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三十一回 臨時号「うさぎとかめの真相」後編

大きな目標と小さな目標

  2021年夏。クラが6歳とカンジロウが4歳で囲碁を始めて1年近くになる頃、緑星さいたまでは恒例の軽井沢合宿が予定されていました。それは三日間朝から晩まで囲碁を打ち、そこには卒業生やプロの棋士も来て相手をしてくれるという、まさに虎の穴のような場です。ただ息子たちはというと、みんなで旅行して碁が打てるんだと、純粋に楽しみにしていたようです。兄のクラにとっては卒園までに初段という大きな目標が達成出来なかったこともあり、この合宿でみっちり力をつけて三級から一気に初段へ駆け上ろうという想いがありました。

 

 しかし、再び緊急事態宣言が出されてその目論見はあっけなく潰えてしまいます。ひとつの軸を失ったように、連日残念がるクラ。次第に僕もどうしたらよいものかと思っている中で、妻の日奈子が「林家夏合宿」なるものを僕らに提案してくれました。お盆を挟んだ五日間、自宅で合宿のメニューをこなす。苦肉の策ではあったけれど、僕は面白いなと思いました。妻は合宿のメニューや、二人の対戦表(百番勝負)を模造紙に書き始めます。やると決まったらぐいぐい行動を起こすのが日奈子の素晴らしいところです。

 

 ただ、ここで一つ問題が浮上してきました。クラは大きな目標を掲げながらも、自分より少しレベルの上の先輩たちをベンチマークにして登っていくタイプなのです。最初は、先生の息子であるチセイ。その次は天才肌のサウスポーのカズマ、そして憧れの六年生のソラちゃんといったように…。それが、今回の林家合宿では、自分より明らかに下である弟のカンジロウと打ち続けることになってしまう訳です。百番勝負というマラソンの中で、彼のモチベーションが維持出来るのだろうかという危惧がありました。

 

兄弟対決はじまる

  これじゃ、まるで「うさぎとかめ」のお話みたいじゃないか、ふとそんなことが僕の頭を過りました。絶対に勝てないような前提の中でレースに挑む「かめさん」。勝って当然、もしも負けたら眼も当てられないという状況下で戦わなければならない「うさぎさん」。

「童話の中では、自己顕示欲の固まりのように描かれるうさぎさんだったような気がしていたけれど、果たして本当にそれだけでこの勝負が始まったのだろうか。うさぎさんの気持ちは本当のところどうだったのだろうか」段々とそんな気持ちが湧いてきました。

  八月十一日、開会宣言を僕が行い、合宿が始まりました。詰碁や棋譜並べを午前中に、午後には兄弟対決が行われます。普段と違い、合宿中なんだという意識がそうさせるのか、二人は距離を取りながら、囲碁サロンでやる時と同じような集中力をもって盤面に向かっていたように思います。

 

 初日の兄弟対決の結果は、なんと五勝五敗の五分。兄がリードしたかと思えば弟が追う、弟が逆転したかと思えば並んでくる兄。しかもハンデ無しでやりたい、というかんじろうの希望もあって互先で打っての結果でしたから、本当にびっくりしました。まさに当初抱いていた僕らの危惧が杞憂に変わった瞬間です。

  二日目、三日目とまるで映画のシナリオのように十勝十敗、二十勝二十敗という風に、星取表がきれいな均衡を保ったまま進んでいきます。この結果には信じられないという気持ちと共に、僕ら夫婦には全く別の感情が湧き上がってきていました。

 

「うさぎが…、いやお兄ちゃんのクラがもしも最終的に負けてしまったら、どうしよう…」

 そんなこと全く想定していませんでしたから、本人たちよりも僕らの方がおろおろとし始めていたかもしれません。

 

 カンジローにも夢があった

  そして注目の四日目。親がドギマギしていることをよそに、兄弟対決は行われずに終わりました。なぜ行われなかったのか、その真相は分かりません。翌日の最終日には、大宮公園の「屋外での最終決戦三番勝負」が行われることになるのですが、その結果をお話する前にカンジローのこの数ヶ月の歩みについて、少し触れなければならないかと思います。

 

 クラが目指すべき目標に向かう中で、小さなベンチマークを立てながらスピード感をもって進んでいくのに対し、カンジローの歩みはとてもゆっくりに見えます。

 しかし、彼には彼なりの夢というようなものを抱きながら歩んでいました。

 「いつかプロになって、棋士をやりつつお寿司屋さんをやる。お寿司屋さんでお金を儲けて、家族や友人、棋士の知り合いにお寿司を食べさせてあげる。そして自分も美味しいお寿司をたくさん食べたい」

  こんな感じです。今思えば「ゆっくり」ではなく、「焦ってなかった」といった方が良かったのかもしれません。親としてはクラを視点に比較していたので、カンジローの歩みは、まさに止まっているかのように見えていました。けれど、あくまでそれは相対的な尺度であり、本人からすれば余り気にならない程度のことだったのかもしれません。であるならば本来勝ち気な性分である彼が、負けても負けても、何度負けても今まで碁を続けてこられたというのは合点がいきます。

  さて、少し話は変わります。僕は彼らが囲碁を始めた頃とちょうど時を同じくしてフィルム写真を始めました。最初は色々な人の暮らしや街並みにレンズを向けていましたが、いつしか「囲碁を打つ人たち、考えている人を撮る」ということに興味が生まれてきました。そして、外に出かけたり、人と会うことが難しくなるにつれ、自然の流れとして囲碁を打つ息子たちを撮るようになるのです。ただこの数ヶ月の間、僕は特にカンジローの写真をより多く撮ってきたように思います。正確にいうと「撮らざるを得ないというか、撮らされた」感覚があるのです。

 

 彼は誰時の中で

  朝の薄暗い五時くらいから日が登る頃までの時間、和室からパチッパチッと音が聴こえてきて、何をしているのかなと覗いてみると、独り碁盤に向かって静かに石を打つカンジロウの後ろ姿に出会うのでした。

 四歳の小さな息子であるはずなのにどこか近寄りがたいような、邪魔をしてはいけないオーラのようなものを感じるのです。じっと眺めているとなぜか心打たれるから不思議なのです。

 

 カンジローはこのように相手がいなくてもよく独りで打ちます。自分の世界に浸っているかのように…。それは囲碁を知っている人ならば、棋譜を並べているのだろうとか、手筋の研究をしているのだと思うかもしれません。

 

 でも、それとはちょっと違うようなのです。自分の好きなようにただ、白石と黒石を黙々と並べていく一連の動き。それは模様を広げていきながら、まるで占いをしているようにも見えます。そんな光景につい見とれてしまうのは、僕だけではありませんでした。

 囲碁サロンでも、周りに仲間がいるのにカンジロウは独りで碁石を並べます。すると「カンジロー何やっているの?」と、彼の周りに子供たちがじわじわ集まって来たりする光景を何度か見かけました。

 

 兄のクラの場合はカンジロウのそれとは違います。「棋譜並べや詰碁をやらないと初段にはなれない」と師匠に言われてかつての名人たちの棋譜を並べて勉強しています。クラは記憶するのが得意なので打ったそばからどんどん覚えていく、それがとても楽しいようでした。

 カンジローのように実力もないのにただ自由に碁石を並べ続けても、たぶん強くなることはないだろうことは、碁を打たない僕にでも分かります。

  でも、本人が好んでやっているのだから外野がとやかく言うこともないだろうと、僕もその姿を見守るように観察するだけに留めていました。少し離れた位置から、ファインダーを覗きシャッターが切れる瞬間をじっと待つ。その時間が、僕はとても好きでした。撮られるカンジローの方も僕の存在を気にすることなく、とてもリラックスしているように見えました。そういう不思議な時間がこの数ヶ月、つまりこの合宿の日まで続いてきました。

 

うさぎとかめのデッドヒート

  その石並べの成果が出たからという訳では決してないのだろうとは思うのですが、カンジロウは毎月一つずつ級を上げながら五級に辿り着きます。カンジローが意外に力をつけてきているのかもしれない、と噂する人が現れ始めたのも、確かこの頃からだったような気がします。始めた当初から見てきた親としては「あのカンジロウがホントかなぁ」と、正直疑っている部分もありましたが、確かに実際のランクとしてもクラに迫ってきていたのは事実です。

  さて、うさぎとかめの絵本の中では、ゴールであるかのような山の頂上に立ったかめをみて、うさぎさんが悔しがる場面がクライマックスとなっています。

 しかし、実はそこは本当のゴールでもありません。ひとつの勝負として「むこうのお山のふもとまで」というかめさんのざっくりした提案からこの勝負は始まっていたことを覚えているでしょうか。

 山の麓とは、その山の頂きから更に降りた向こう側、平野との境目辺りのこと。つまり言葉通りに受け取るとしたら、スタートラインからは見えない地点までの勝負とも考えられます。そこに着くには、山頂を越えてから茂みや岩場を抜け、もし川があったらそこをも渡らなければならないのかもしれません。

  では、見えないゴールに向かっていく時に人はどうやって進んでいけばいいのでしょう。

 クラの場合、目標がどこであれ、その前段のベンチマークを決め、そこに達したら次の照準を定めてしっかり脚をためる、そして次の一歩としてピョンと跳ねていきます。

 対してカンジロウの方は、「見えないゴールまでのことなんて考えても分からない」というのが現実でしょう。だから彼は彼なりのマイペースでゆっくりと進んできました。ゆっくりのように見えて、少し進んではその都度脚をため、また一歩進むという風に……。

 

 そして最終決戦へ

  夏の林家での合宿の最終日。いよいよ三番勝負が行われました。もちろんこの合宿は彼らの目標のための手段ですから、最終決戦というのはおかしいのかもしれませんが、これはこれで大事な節目として真剣勝負の舞台をつくりました。

 脚付きの重い碁盤を公園に運びます。ゴザも必要でしょうし、休憩のお菓子や飲み物、撮影機材も一式持ち込んでセッティングしました。舞台は整いました。ひとつ反省点を挙げれば夕方になってしまったので、蚊が多くてかゆくて集中出来ないとクレームが出たことくらいです。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し、

そういう言葉をお前たちは知らないのか」「全集中だ!」

と一喝して試合は始まりました。

 三番勝負は先に二勝した方が勝ちになります。

  初戦は勢いにのったカンジロウの僅差勝ち。

  そして二戦目。

兄の威厳をみせてクラの中押し勝ち。

 三番目の前に、お菓子休憩を入れることになりました。その間に虫刺されの薬を塗ったり、僕もフィルムチェンジを行って準備します。二人の気迫の一手、その瞬間を焼き付けたいと強く願っていました。

 ここまでくれば、今までの経緯がどうあれ、実力差なんて関係ありません。彼らもどうしても白黒つけたい、そんな気持ちが高まってきているようでした。

 そして最終戦。互いにとって負けられない戦いが始まりました。僕ら夫婦は親として、どちらが勝ってもその後のケアについて頭を悩ませることになります。

 ファインダー越しに観る二人は、輝いてみえました。まるでプロ棋士のタイトル戦のように、繰り出す一手一手に熱が宿っているようです。

 いつの間に、こんなに大きくなったんだろう。彼らの成長が眩しくて、嬉しくて途中からシャッターを切るのを忘れる程でした。

 

勝負の後半、ちょっとした事件が起きました。切り株の上に碁盤を載せていたために、石がずるっとズレてしまったのです。直す最中に、クラとカンジロウが石の位置をめぐって揉めています。その議論に決着が着かず、カンジロウが涙を浮かべながら強弁な態度で譲りません。

僕もカメラを置いて近寄り、結局かなり遡った場面から打ち直すことに決めました。が、クラは納得がいかないようで拗ねてしまいました。

 

この時点で、こういった「勝負の綾」がつくことがあるんだなと複雑な思いになったことを覚えています。

結果としては、この一悶着で流れは切れてしまったというか、拗ねたクラの負けという結果に繋がったように思います。

 予定していた百番には辿り着けませんでしたが、兄弟対決はカンジロウの二十七勝二十六敗で五日間の家族合宿は幕を閉じました。

 

兄弟二人が初めて互角の勝負を繰り広げることになった今回の合宿は、僕ら親にとっても忘れられない節目となりました。もちろん、彼らの目標は、まだ先にあります。

二人にとって入門した時に掲げた目標は「初段挑戦」です。なんとか今年の年末までに達成したいと思っているはずですから、この夏でどれだけ脚をためられるかどうか、これからの歩みが楽しみです。

 

【おまけ動画十五秒】うさぎとかめの真相を探る面白い動画を発見しました!

https://www.youtube.com/watch?v=frm0Hga3lO4&t=33s

 (次号 うさぎとかめの後日談 エピローグとしての初段合格秘話に続く)

 

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