自粛だろうがそうじゃなかろうが

自粛期間自粛期間ってうるさかった世間。

自粛解除になったらなったで人が増えたことをそれしか取り上げることがないのかと言わんばかりに毎日毎日取り上げる世間。

…まぁ見てる人いないと思いますが。。。。書かせてください。

自粛期間だろうが、そうじゃなかろうが、思うことはひとつだけ

どこまでいっても綺麗なものは綺麗だし、好きなものは好き、会えないなら会いに行く、それでも会えないならいろんな手段を使う。

これって当たり前な言葉でしかないと思う人もいてるかもですが、

これがどこまでいっても僕の中では芯食った答えやし根底にあるものやと僕は思っています。

たまたまそこに人が増えただけで、もともと多かっただけで、

世間が思ってることがトリガーになってるってわけじゃないってことです。

都市伝説的なことを言ってるわけでもなく、純粋にそう思います。

今は6月22日深夜25時半。

僕の好きな音楽を聞きながら好きなお酒と吸い物を嗜みながら書いています。

これは自粛であろうが自粛じゃなかろうが変わらないことやし、変えたくないこと。

今、その瞬間に思うことはまぎれもない”今”起きていること。

そこにたまたま”世間”の風習が邪魔してきているだけ。

もう本当にここ最近”その”フィルターを通して会話する人しかいない。

それは無論自分の責任でもあるし、

”それ”を意識させすぎた、コントロールしすぎてる”世間”が悪いし。

でも少なくとも僕の周りに存在してくれている人、モノは悪くないと思ってます。

どこまで言っても結局自分の中で”そうなんだ”と解釈した自分の弱さに腹が立つ。。。。

何言ってるねんこの人、、、って超なってると思います。

でももし、この投稿を目にした人がいるならこれだけ覚えててほしい。

芸能人でもない、インフルエンサーでもない、もっと小さく見て人気者でもない、人に好かれるような人間でもない、そんな僕でも

自粛であろうが自粛じゃなかろうがいつも好きなモノは好きやし

嫌いなモノは嫌いです。

この期間やから大丈夫やろ。は無いと思ってます。

終わりを決めて一歩目を進める強さは僕には無いです。

終わりが無いからこそ人生。人生に終わりがあるのであればこのnoteと同じ。

外面の形は消えども、消え無い何かはあると思って死にたいし、生きたい。

アホな高校卒業で、何か自慢できるモノを持っているわけでもない。

でも譲れない考えとか思いは誰にだってあるはず。

この自粛期間を気に感謝をしている人も多いと思います。

でもそれは物理的にそう捉えただけで心の中ではなんだかんだいつも感謝していることだと思います。

だから”この期間で感じれた事”でまとめないでほしい。

いつも思っている事として、あえてこの今騒がれている事が

みんなのいう”世間”が収束した、と言った時にその気持ちを伝えてほしい。


強い弱い関係なく。

知らんけど。

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