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昼のセント牛乳。

湯上りの身体に、冷たい牛乳瓶が心地いい。
一口のむと、乾いた身体にしみわたっていくのを感じた。

ああ、今日は良い日だな。

そう思える自分が、すこしだけ誇らしかった。

  〇

今日の午前中、古い知人と待ち合わせをした。駅前のドトールで、コーヒーを飲みながら少し近況報告をして、善意のアドバイスを全身に浴びた。

向上心を持つことも、将来を考えることも、大事なことはわかっている。それから逃げるつもりだってない。
だけれども、今はひとやすみしたい。今の私は、そういう時期。

そういうときに、さあ歩け!って後ろからせっつかれるのは、とても苦しい。

簡単に言えば、そういう善意を全身に浴びた。悪意がないと分かっているので、余計に苦しい。

コーヒーカップを空にして別れるころには、心が疲弊しきっていた。

  〇

商店街の方まで足を伸ばして、怪しげなインドカレー屋さんでおいしいマトンカレーを食べる。お腹がいっぱいになれば、少しは気分がよくなるかと思ったけれど、問題はそう簡単ではなかった。

ごちそうさまを言い、商店街を抜ける。このまま、大通りを走るバスに乗って家に帰ろうか。冬に戻ったビル風を浴びながら、なんだか泣きそうになっていた。

身体よりも精神的な疲弊が強い。こういう時、私は素直に帰ることが出来ない。家に帰って母や家族と話すよりも、一人で、ふらふらとどこかの喫茶店にでも籠りたい気持ちになるのだ。

しかし、たった今カレーを頂いたところ。胃袋はいっぱい。
このまま帰れば、この鬱々としたやり場のない気持ちを三日は持ち続けることになるだろう。そういう面倒くさいところが、ある。

まいった、どう自分の機嫌を取ったものか。買い物をする気分にもなれないし、欲しいものもない。

そんなことを考えながら、商店街を抜けた下町を、とぼとぼと歩く。ますます風は冷たくなって、明日は雪が降りますという、今朝のアナウンサーの声を思い出していた。

心の強張りに引きずられて、身体まで次第に縮こまっていくのを感じる。意味もなく、死にたくなるような憂鬱が、北風と一緒に身体を冷やしていく。

あ、泣きそう。

そう思ったとき、目の前に銭湯が現れた。

  〇

「ゆ」と大きく書かれた暖簾。前に立ち並ぶ自転車。すぐ横に置かれた公衆電話。

これは、まぎれもなく、銭湯。昭和の銭湯。

そうだ、銭湯に入ろう。

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  〇

券売機で、大人ひとりを購入。それから、貸しタオルも。
番頭さんに靴箱のカギを渡して、脱衣所のロッカーのカギを貰う。

女湯の脱衣所も、これまた、昭和だった。古いタイプのドライヤーも、きちんとある。

ささっと脱いでシャワーで身体を清め、いざ、入浴。

「ああ~~」

極楽である。強張った肩も、緊張していた首も、冷えた手足も。すべてが緩んでいくのを感じる。
大きな岩風呂のお風呂は、ちかくの温泉からお湯を運んでいるらしい。とろっとして、肌をやわらかく包む。あまり温度の高くない温泉は、ゆったりと長風呂をするのにもってこいだ。

手足を伸ばして、肩まで浸かる。重力から身体が解放されて、心のカク付きもゆるやかになっていく。

身体がゆるむと、すこしだけ回りを見る余裕が生まれた。

平日の三時頃だというのに、街の銭湯はそこそこの賑わいを見せている。みんな、自分用のシャンプーやボディソープを持ち込んで、まるで家のお風呂のように利用している。

常連さんに混ざって湯船につかるのは、なんだか不思議な感じだ。だけれども、中には海外の方もいらっしゃって、どうやってここを見つけたのだろう。もしかして、この辺りに住んでらっしゃるのかな。それか、お知り合いに連れてきてもらったとか?
いずれにしろ、我が街もグローバルになったものだ。なんて、誰目線か分からないことを考える。

あたたまった手を枕にして、湯船の縁に顔を寝かせる。

眼鏡もなくて湯気でぼやける視界は、心地のいい非現実感を運んできて、すこしずつ、自分の気持ちと向き合うことができるようになっていた。

  〇

知人にあったのは、かれこれ十年ぶりだった。十年前といえば、思春期と反抗期を煮詰めてひねくれにひねくれていた時期である。学校に行くのも嫌だったし、家にいるのも嫌だった。

今だって、休学で学校にはいってないし、母とも喧嘩はする。だけれども、十年前とは決定的に違うのは、意味も分からずただもがいているわけじゃないってこと。

勉強は好きだし、この道をあきらめるつもりもない。ただ、疲れて、ひとやすみしたいだけなのだ。それから、この身体との向き合い方を考えよう、そういう時期というだけなのだ。

きっと、知人の中で私は十五歳の反抗期のままなんだろうな。

だから、『諭さなきゃ』とか『導かなきゃ』なんて気持ちにさせてしまうのだろう。本当のところは、諭されることも、導かれることも、望んでいない。でも、それは私が今二十歳をすぎたからそう思えることで、十五歳なら話は変わってくる。

きっと、そういう齟齬で、心が疲弊したのだな。

ぼんやりとした視界で、銭湯の古い天井を見上げていた。

  〇

ゆでだこになる前に、湯船を上がる。
脱衣所で身体を拭いて着替えていると、身体の大きなおばさまに声をかけられた。

「おたく、みかけないけど、ようくるんかね?」
「いえ、はじめてでして。たまたまみつけたものですから」
「そうかね、銭湯のお風呂はいりゃあ、家のお風呂はいれんくなるわな。うちはな、毎日きとるんやて。きもちええもんなあ。温泉、きもちよかったやろ」
「はい、とても。身体が温まりました」
「そうやろお。ここね、牛乳もおいしいからね、湯上りにのむとええよ」
「そうなんですか、ぜひそうします」

そんな会話を交わすのも、下町の銭湯ならでは。
いいなあ、この距離感。いいなあ。

  〇

それから、券売機で牛乳チケットを買って、番頭さんに牛乳の栓を開けてもらった。

「社長、さっきこのおねえちゃんに宣伝しといたでな。ここの牛乳おいしいて」
「そりゃありがとな、うまいで、飲んでな」

受け取った牛乳瓶は、つめたくて、心地いい。さっきまで、外の寒さで固まっていた身体が、すっかり温まったのを感じる。

ひとくち、牛乳を飲む。

たしかに、まろやかでおいしかった。

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家に帰って、銭湯に行った話をしたら『昼のセント酒』だなって言われた。お酒は飲まないし飲めないので、昼のセント牛乳だよ、って返したら、笑われた。それで、私も笑った。


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