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アボカドの種は割れる/石田千『きなりの雲』

 食卓に、アボカドの種がいる。
 スーパーで安売りしていたアボカド。包丁を入れてねじると、中からまるまるとした可愛らしい種。それを育ててみようと思ったのは、その時読んでいた本の影響だった。

 水にひたしてひと月すると、しろい根がのびた。それからしだいにしわが寄って、かたく縮んでしまった。
 さらに二週間たった。アボカドの種は、桃太郎が生まれるように、ふたつに割れた。透けるほどやわらかな葉が二枚あらわれたのは、年をまたぎ、正月のにぎわいもおさまるころだった。

 その本は、そんな書き出しではじまる。

 石田千『きなりの雲』を、私はなにか大切なものを取り戻すような気持ちで、ゆっくりと読み進めていった。
 主人公は失恋をして、半年ほど自室に籠城している女性。毎日卵サンドばかりを食べて、在宅の編み物仕事だけをこなす。誰にも、連絡を取らない。そんな日々を送っていた。心の疲弊は、体につながる。体調を崩した彼女は、病院で叱られて、ようやく体に栄養を渡す気になる。スーパーで自炊のためにあれこれと買い込み、そのなかの熟れたアボカドを、帰ってすぐにトーストにのせる。かぶりつく。
 まるで、そこにいるような、絞ったレモンの酸味まで伝わってくるような、柔らかくて生命感があふれる文章。体が喜ぶ様子。辛くとも、生きなければならないという当たり前のこと。
 そして、彼女はそのアボカドの種を育てることにした。

 〇

 去年の六月、進学した大学院になじめずに体調を崩した。慣れない環境と、それでも学業に励まなければいけないと、丈夫でもない身体と心を酷使し続けた、当然の結果だった。
 大学院の授業で発表をして、連日の疲労から帰ってすぐに布団に潜り込んだ。それからひと月、ほとんど下宿を出ることができなかった。予定していた発表も、研究も、アルバイトも、なにもかも手が付かなくなり、入浴すらままならなかった。
 食事は日に一回食べればよい方、水だけは飲むようにしていた。毎晩寝れずに天井を眺め、毎朝起きられずに己を責めた。
 このままでは、いけない。そう思って実家に連絡を入れられたことは、遅すぎるが賢明な判断だった。

 実家に帰省したのは七月のこと。
 それから、病院に行き、薬を処方してもらった。
 地元の図書館を訪ねたのは、七月の終わりだったと思う。ひねもすぼんやりと憂鬱の沼につかっていては、心が苦しかった。なにか、なんでもいい、なにか、読むものを探していた。
 しかし厄介なことに、脳みそが文章を受け入れてくれなかった。特に、自分の研究課題は本と縁深いもので、常に大学のことが脳裏を掠めた。それでも何か読もうと思ったのは、半分は使命感から。なにもやれずにいることに、とてつもない罪悪感を感じていた。
 石田千の本を手に取ったのは、そんな時だった。
 『夜明けのラジオ』
 そんなタイトルの、優しくすがすがしい装丁の本。エッセイだった。
 本棚から取り出して、最初の一つを読む。やわらかい語り口、いのちの息吹を感じる言葉、強さとやさしさが織り交ざった文章。
  この人の小説を読みたいと思った。

 その数日後、本屋で『きなりの雲』を買った。
 図書館で見たエッセイの在庫がなく、通院の電車には文庫本がちょうどいいだろうという理由だった。

 〇

 二週間に一度、病院に通う。薬をもらい、帰りに近くの喫茶店で珈琲を飲む。カバンから買ったばかりの『きなりの雲』を取り出した。230頁ほどの、薄くて柔らかい文庫本をめくる。
 そこには、不器用で躓きながら生きる彼女がいた。

 声をかけると綺麗に育つよ。そんな言葉を思い出しながらも、彼女はアボカドに声をかける気にはならない。

 がんばれなんて、いわれたくないでしょう。仲間のように、種をかんばう。すると、その気持ちが通じるのか、種はかたくななまま、日が過ぎていく。
 息をつめ、見まもっているうち、だんまりにつきあわせるほうが気の毒になってきた。さきまわりして、心配する。そんなくせはもうらないんだった。ちいさな種をつつく。そして、そのひと粒だけにうちあけるように、水はたりているのかとか、葉を見せてとささやく。一日に声を出すのは、そのとききりのことも多い。たいてい、かすれる。

 なんだか、とても泣きそうになった。それは、弱い人だからこそ持っているやさしさのような気がした。
 店員さんが持ってきた、いい匂いのするマンデリンを飲みながら、本を読んだ。久しぶりに、文字を追った。

 彼女の住む町は、水彩絵の具で描いたようにゆるやかで、周りの人々はおおらかだ。だけれども、心の躓きや、人間の痛みが確かにそこにあり、皆が自分の人生をえらんで生きているのがわかった。
 学校に通えない少女。家族が入院している初老の女性。海外に行くことを決めた元会社の先輩。ゆるく交わる人生を覗きながら、それでも毎日ご飯を食べて、仕事をする。そういう、小説だった。

 それから、病院に通う時は、その本をカバンに入れて出かけた。読むスピードはすぐには元に戻らなかったが、それでもゆっくりと、一ページずつ確かめるようにめくった。

 人との出会い、それぞれの選択。苦しむこと、うれしいこと、優しくされたこと。周囲とのつながりを、その細くて、だけど強い糸を頼りに、すこしずつ前に進む彼女。

 その夏、私はアボカドを育てることに決めた。

 〇

 それは、一種の願掛けのようで、なんだか馬鹿馬鹿しい気もする。だけれども、ガラスのコップに浮かぶアボカドの種を見ながら、神頼みのように念じた。
 もし、この種から目が出たら、私もなにか変われるだろうか。一日中、家から出られずに、大学にも行けずに、ぼんやりと息を吸うだけの日々。本だって、まともに読み進められない。楽しいことも思いつかずに、憂鬱と毎晩枕をともにする。そんなことを、やめられるだろうか。
 アボカドの種に、自分を重ねる。
 毎日、祈るように水を変えて、天井の代わりに日を反射するコップを眺めた。

 三カ月、アボカドの種はだんまりを決め込んでいた。
 気が付けば、季節は秋になり、着る服の地も厚くなる。家族には、そろそろ諦めたらと言われながらも、どうしても諦めることができなかった。
 この種は私だった。

 〇

 ある朝、水を変えようとしたら、アボカドの種が割れていた。
 綺麗に、真っ二つ。
 内側が、象牙のように眩しく白い。
 割れた中央に、観音様のように、小さな核があった。

 翌日には、小さな根を、水に降ろしていた。

  〇

 それが、去年の11月ごろのこと。
 そのアボカドは、あれよあれよと足を増やして、いまではタコのようにコップ一杯に根をくねらせている。まっぷたつに割れた種の間からは、にょきにょきと赤茶色の茎をのばし、そのてっぺんに緑の透けた、若々しい葉を付けている。
 そろそろ、ちいさなガラスコップに押し込めて置くのが可哀そうになってきた。ちょうどよい鉢に、移し替えてあげなくてはいけない。

 大学を休んで、半年が過ぎようとしている。
 自分がこれから、どう生きていけばいいのか。答えは出ない。
 それでも、彼女のように、このアボカドの種のように、柔らかく強く、生きていきたい。

 アボカドの種は割れる。
 植物の生命力はすさまじい。
 人間も、おなじ。

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