レポの基本⑪:短資会社とは

レポ市場において重要な役割を果たしているのが短資会社ですが、今回は短資会社について簡単なメモを作っておきます。なお、本稿は下記を前提としますが、今後必要に応じて加筆・修正します(これまで記載した内容については既に大きく加筆・修正しているので注意してください)。

レポの基本:現先取引と現担レポ取引|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本②:「国債決済期間短縮(T+1)化」と現先の普及|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本③:ターム物のレポ取引|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本④:レポとフェイル|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本⑤:東京レポレート|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本⑥:補完供給オペにおけるレポ取引の事例|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基本⑦:フェイル慣行の歴史と現状|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基礎⑧:円債における社債におけるレポ市場と共通担保オペ|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基礎⑨:後決めGCレポとバスケット|服部孝洋(東京大学) (note.com)
レポの基礎⑩:ワンタッチスルー・ブラインド方式|服部孝洋(東京大学) (note.com)

短資会社は、歴史的に、1909年に柳田ビルブローカー(今の東京短資)と山根ビルブローカー(現セントラル短資)を発端としています。植月(2002)によれば、1901年の金融不況により、手形割引業者の拡大が広がり、それが短資会社が生まれた契機と整理しています。その後、短資会社のビジネスは拡大するものの、1923年の金融恐慌後、一定の淘汰がなされ、第二次大戦後にビルブローカーが「短資会社」という名称に変更されます。この辺りの経緯は、Wikipediaにすごく細かく記載されています(この辺りの歴史について整理してある論文が分かればまた紹介します)。
短資会社 - Wikipedia

短資会社は、政令において「主としてコール資金の貸付またはその貸借の媒介を業として行う者」と定義されています。イメージとしては短期市場におけるブローカーとしての業務(一部自己資本を用いる)というところかとおもいますが、東京マネーマーケットでは下記の5つを業務としています(p.5)。

①コール・ローン、コール・マネーの取引、ならびに資金の貸借及びその媒介
②手形の売買及びその媒介
③国債、地方債、政府保証証券、短期国債、投資信託、その他の有価証券、ならびに金融先物取引等有価証券関係以外のデリバティブにかかわる、金融商品取引法によって営むことが認められる業務。
④金銭債権(譲渡性預金を含む)の売買及びその媒介
⑤有価証券の貸し付け・借入及びその媒介

私個人のイメージは、国債市場における短期国債とレポについては、基本的には証券会社等のブローキングであり、短期国債について一部自己資本を用いてビジネスを展開しているというものです。私自身はあまり気にすることはないですが、その他コール市場やCPやCDもやっていると聞きます。

現在の3社体制

現在、短資会社といえば、東京短資、上田八木短資、セントラル短資という3社体制になっていますが、戦後の統廃合が続き、1960年代以降はいわゆる6社体制が長く続きました。今の3社体制になったのは、2000年くらいの合併によるということのようです。2001年4月に、山根短資・日本短資・名古屋短資が合併してセントラル短資が誕生し、その後、上田短資と八木短資が合併して上田八木短資が生まれ、今の3社体制になりました。

再び、植月(2002)によれば、

・証券会社と同様、自己資本比率規制が課されたこと
・金融ビックバンを控え取引先の合併・統合が進んだこと
・RTGSの導入により自己資金の増強による決済資金の確保が必要になったこと
・以前は短資会社のみが日銀のオペ対象先であったのが公募になったこと
・ゼロ金利政策の導入により短期金融市場が停滞した

という理由(p.121を参照)で、2000年ごろに様々な環境の変化があったことから、今の3社体制になったということです。

なお、短資会社の財務状態は開示されていないので、その大きさやBSの状況などは外部からわからない状況です(格付けも取得しており、この理由もよく分からないため(おそらくファンディングに役に立つからでしょうが)、この点もわかれば追記します)。

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