適応障害と診断されるまで④激しい闘い

※病気に関する表現が出てきます。苦手な方の閲覧はご遠慮ください。

闘い

1時半に嘔吐して、ラクになったから眠れる。

そう思って、横になった。眠れない。

それどころか鈍い痛みが出てくる。

寒い。気温のせいなのか、寒気なのか分からない。

ヒーターをつけたまま、パーカーを羽織って、新しいごみ箱を持ったままうずくまった。

痛みはどんどん増してくる。

週末は人と会う予定だった。翌週は、泊りで京都へ行く予定だった。

夜中だったけど、お断りのメッセージを送って、宿泊施設にはキャンセルした。

プライベートの連絡先を知っていた職場の同僚には、夜中にメッセージを送りつけた。

2時間経過しても痛みはひかない。

それどころか、黙っていることが苦しい。呻くしかなかった。

スマホを片手で原因を探した。分からなかった。

疑ったのは、虫垂炎と食中毒、あと一つは忘れた。

どれも当てはまらない。夜中の3時だ。病院へは救急車になる。

たかがこんなことくらいで救急車に迷惑をかけるわけにはいかない、と救急車の呼ぶかの判断を調べまくった。

救急車呼んだほうが良い。って書いてあるところまでは辿り着いた。

でも、呼べなかった。家には家族がいる。

突然、救急車が来たら、驚く。

家族は、保険証の場所を知らない。

そう思ったら、呼べなかった。そのまま悶絶するしかなかった。

5時ころ。父が悲鳴に耐えかねて、来てくれた。

人がいることに安堵したけれど、叫ぶことは止められなかった。

痛みで叫ぶしかなかった。

思考は動くけど、何を伝えればいいのか分からなかった。

しばらく傍にいてもらって、次女の出勤時間になった。

父が母の元へ行った。

次女出勤後、救急車を呼んでほしいことを伝えたけど、病院へ電話した結果、「診療時間に来てください」だったからと、そのまま耐えた。

6時半。トイレに駆け込んだ。

おなかを下した。

落ち着いたと思って、手を洗っていたら、激しい嘔吐。

5回くらい繰り返した。

マーライオンってこれか。とか考えてた。

止められないのがしんどかった。

これは異常事態ってことだけは自覚した。

病院へ

叫ぶほどではなくなったこともあって、保険証・お薬手帳・会社の連絡先を用意した。

病院へは父母に付き添ってもらった。

ただひたすらに喉が渇いていて、かかりつけの病院へ着いたときコップ1杯の水をもらった。

ちびちび飲んだけど、そこから痛みが増した。

母に付き添われて診察室へ。

この状態では帰れない。との判断で、点滴をすることになった。

横になる事がしんどくて、ソファに座らせてもらいながらの点滴。

ひたすら寒さと痛み。

しばらくして母が来て、傍にいてほしいことを伝えた。

テレビがあったから、それを見ていた。

点滴が半分に減ったけど、痛みはどんどん増していて、私は叫び続けていた。

母は「まるで陣痛」と言っていたけど、陣痛を経験していない私には分からない。

でも、叫び続けた。

インフルエンザに妊娠に疑われたけど、どちらも違う。

先生が来て、救急で搬送することの同意を取りに来た。

近隣の救急車はなくて、40分待たされると言われた。

今だから書けるけど、40分も待たされたら助からない命だってあると思う。

もっと必要な人がいるから、救急車呼ばないほうが良いのではって思ったくらい。

搬送先は、市立病院。

そこの救急にいたスタッフさんからは、「我慢せず救急車呼ばなきゃダメだよ」と言われた。

レントゲンやCTの結果を見た看護師さんたちは、緊急オペになると騒いでいた程の状態だったらしいから。

痛みが引くなら何でもよかった。オペでも何でもさっさとしてくれって思ってた。

手術はできない

痛み止めの筋肉注射を打ってもらい、ようやく痛みから解放してもらえた。

時刻は、お昼。12時を過ぎていた。

告げられた原因は、腸に穴が開いているだった。


早く見つけられなかったのかを聞いていた。

先生曰く、

・30手前とはいえ、20代であること。(医学的には若い)

・ボーリングの球でも穴が開かない臓器と言われている胃や腸という臓器

この2点の結果、精密検査をしないのが“一般的”なのだそう。

行く病院を誤った、と言うよりも、20代の若さで、臓器に穴が開く方が稀。だから、疑われない。疑わない。というのが、医者の考え方のようだった。

その後、治療についての話があった。

痛み止めの効果と、痛みとの闘いの疲労もあって、ほとんど覚えていない。

いろいろな条件が重なって、転院先も見つからなくて、「手術はできない」ことになった。



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