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漫画家活動について

最初に言います。これは30歳超えて漫画家を目指すこどおじの日記です

せっかくnoteを作ることにして、雑記を記していこうと思っていましたが
それだと自分のiPadで描いてる日記と大して変わらないな・・・せっかくならnoteで人に読んでもらうコンテンツとして、「この人は何してるんだろう」と思われるものを作らねば、と思いまして。

とりあえず自己紹介がてらに今までの活動をここでまとめておいておこうと思いました。
noteの良いところですね。画像もURLも全てまとめて置けるというのが。

まず2024年現在、34歳の限りなく無職に近い漫画家です。
2021年から2023年までは漫画のアシスタントでヒィヒィ働いておりました。
アシスタントも勉強になりましたが、やっぱり大幅に自分の制作時間が削られる事に危機感を感じて、背水の陣と思ってついにアシを洗ったわけです。

時系列順に紹介していきます。

最初は2017年にアフタヌーン四季賞に初投稿しました。


もはや名前しか残ってない

結果は運良く佳作にギリギリ入りました。
前はHPで見れたんですが、今やアプリに世代が変わり2018年からしか読めないらしく、自分の初漫画は僕以外誰も読めません(悲)

「夜明け」というタイトルでしたが、初めての漫画で25pくらいだった気がします。
当時は社畜で、毎日満員電車に押し潰されながら、休みの日は何もしないでぐだぐだと人生を浪費していました。
ある日、仕事で新宿の世界堂に行った時、セール品コーナーのところにあったものが何となく目に入りました。
「漫画家セット」 原稿用紙とペン軸とペン先が入った、小学生が買いそうなアレです。ちょっと包装がボロくなってたので特価だったんでしょう。
ボーナスも無かった(少なかったんだっけ?忘れましたが)ので、「じゃあもう自分でボーナスを手に入れよう」と思って、描き始めた覚えがあります。
描いている途中で、退職しちゃいましたけど。
そんなこんなで何とか手に入れた賞金10万円で、長崎の五島列島に一人旅をしたのを覚えてます。これがたしか28歳の冬。

2作目 2018年夏 アフタヌーン四季賞 投稿

またまた佳作

半年後、2作目をまたアフタヌーンに投稿しました。
この時は「何が何でも漫画家に、俺はなる!!!」

・・・なんて熱い気持ちは全く持ってなくて
絵を描いてボーナスみたいにお金がもらえる事が快感で、もう一回旅行費を手に入れたくて必死に描いた覚えがあります。
こちらはまだWEBで見れるそうなので、興味がある方はぜひ。
1作目は完全にフルアナログで、つけぺんも満足に使えずにイライラ。
トーンは使い方が全くわからず、死ぬほど面倒くさいやり方で、まさかのトーンを貼りたい形にチョキチョキとハサミで切っては、シールみたいにぺたりと貼ったりしてました。(YOUTUBEで調べるとか、その時は考えてもなかった)
そんなやり方は2度とやりたくない、と思い楽にトーンを張る方法はないかと検索したところ、あるじゃないか、クリップスタジオとかいうのが!!
この時です。僕がCLIP STUDIOという相棒にナイストゥミーチューしたのは。ペン入れまではアナログで描いて、トーンはデジタルで。
1作目は25pに半年かけましたが、2作目はそうして52pを三ヶ月で作れました。
そしてまた佳作。これが確か28歳の夏。
この金で僕はカンボジアに旅行に行きました。
アンコールワットが見たかったんだ・・・。

3作目 2019年ちばてつや賞 投稿


3作目はちば賞に投稿しました。
なぜ四季賞じゃないのかというと、遅刻したからです。
締め切りが七月だったんですが、忙しくて間に合わず、八月締切のちば賞に出しました。結果的には良い結果でした。

忙しかったんです・・・そうです。社畜に戻ってしまったんです。
この時の自分は、知的障害の子供を支援する施設のスタッフとして働いてました。そういった福祉系の仕事はとにかくハードで大変でした。
締め切り直前日にセブンイレブンでプリントアウトをしたのを覚えてます。

この時の作画は、友人が使っていないiPadをタダでくれました。
その頃、まだクリスタはiPadに確かなかった・・・?のか、僕はメディバンという無料で使えるお絵描きソフトを使って描いた覚えがあります。
今思えば毎回描き方をコロコロ変えてよく描けたものだと思います・・・。
そして、運良く入選。50万円もらえることに。
この時から、講談社以外のところからも編集者から連絡が来るようになりました。「お話だけでも・・・」と言われて神田のカフェでただ飯を食わせてもらうのを一ヶ月に1回くらいやってました。すみません・・・。
とにかく、仕事がハードすぎて新作なんて余裕はなかったし、連載なんて全く考えられなかったのです。
ちば賞の受賞式は12月で、編集から連絡が来ても「仕事が忙しいから参加できないかも・・・」と返信したりして
「ちば先生ともお会いできますし、できたらぜひ、参加していただけると・・・」と優しく説得され、職場に嘘ついて有給使って出席したのを覚えています。講談社の最上階でパーティ会場のようなところでちば先生のスピーチと、受賞式、お祝いのお寿司と飲み会をした覚えがあります。
ちょろいもので、そんなお祝いされたりしたら「漫画家目指すっていいな」って思っちゃいました。けど、仕事は辞められないな・・・。
これが29歳、20代最後の冬でした。

そんな時です。皆さんもご存知の大事件が起きましたね。

2020年 新型コロナパンデミック

歳をあけて、僕は30歳になってこの1年をどう過ごそうか。ずっとブラック社畜かな・・・会社辞めたいな・・・と思ってた時です。
一月から、あのウイルスが地球全土をパニックに陥れました。
どんな職場でも、混乱とストレスと絶望に見舞われたと思います。
僕の職場でもそうでした。誰にも助けてもらえない中で、ただひたすら先の見えない対策、対策、対策に追われて、普段の業務は倍に増え、ストレスはもう限界をとっくに超えました。
そして決めました。「どうせ世界が終わるなら、僕は自分が楽しいと思うことをしよう」
30歳という節目を分岐点に、人生をくるりと変えたくなったんでしょう。
そしてそれは、12月に体験できたあの世界に対する憧れに向かいました。

2020年 脱サラして、まずは漫画アシスタントへ

会社を辞めて、僕はどう生きようか迷ったあと、漫画の作画能力が適当な事に問題意識を持ってました。
描きたいものはあるけど、作画がいつもめちゃくちゃなやり方をしてました。クリスタも使ったことがほとんどなかったし。
というわけで、漫画アシスタントをやろうと思って、片っ端からガンモという募集サイトにある連絡先に応募しまくりました。
どうせクビになってもいいや。誰か死ぬわけじゃないしと思って笑
それまで、いつ子供が死んでもおかしくない、そんな仕事をしていた自分にとって、僕の仕事がなくなることなんてのは些細な問題ですから。

そして、1番最初に返信が来たのが、ある女性漫画家でした。
許可をもらってないので、名前を挙げませんが
面接の時に、「元社畜でした、30歳から漫画家を目指します。クリスタはこれから覚えます」みたいなことをいった覚えがあります。
よくこれで採用してくれたなあ、と思いますが
あとで聞いたら「作品自体は考えて作ってるなと思ったし、あと30歳から漫画家目指すってやばい人だなと笑笑 そういう人、雇ってみたかった」と言われました。半分お試しだったようです。けど、嬉しかったですね。
その職場では半年だけ働きました。半年後、連載も終盤だったので最終回を迎えて終わってしまったんです。けれどそこで僕は欲しい技術をふんだんにもらいました。金ももらいました。そして、何より別の編集からまた連絡が来て、漫画を一緒に作りましょうといってもらいました。
またチャンスがやってきたんです。

2021年 初雑誌掲載


月刊!スピリッツの8月号
自分の作品が印刷して載っている!!

その編集さんと連載や読切の話をしていくうちに、1本ネームが通りました。
そして月刊誌に載せてもらうことができました。
正直、拍子抜けした覚えがありました。こんなにポンポンうまくいくもんなのか?と。現実味がなかったです。
描いた漫画は45pくらいで、自分としてもまだ4作目。線画も適当で、今見ると恥ずかしいくらいに適当でした。
けれど、漫画家としての1歩を踏み出せた気がしました。この時は。

苦悩の2021年 沈没の2022年 崖っぷち2023年

そこから、連載のネームは全く、一つも通らず。
違う出版社に持っていったりしても、他の編集に出してみても全く何もならず。
新しく入ったアシスタントの仕事も激化して、2年近く何もできないまま、ただただアシスタント仕事をしてました。
担当の編集とは連絡も取らず、異動して別の編集がついたりしましたが、もはや向こうは僕に興味はなし。
そうです。僕は漫画家にまだなってすらいなかった。
最初の1歩も気のせいだった。玄関のチャイムを押しただけに過ぎず。
僕は門前払いされただけでした。

何をしたら良いのかよくわかりませんでした。
編集からはなぜかひたすらアダルト系に進めようとしてるのか、アダルトゲームやエロい漫画をおすすめされて、徹夜してゲームをクリアしたりしてました。けど、結局アダルトも向いてなさそうでした。

ここから、自分は今まで何に興味があったっけ、という自問自答に入ります。やっちゃいけないアレです。
自分の中の正解探しが始まります。沼にハマるアレです。
けど、これは運良く短期間で終わりました。
なぜなら一緒にアシスタントをしてた友人が連載を勝ち取ったからです。
「や!!ば!!い!!」
と思いました。置いていかれる!!置いていかないでぇ!!
そう思って、僕は「悩んでる場合じゃねえ!!」と、今自分が思っていること、考えていること、なんでも良いから形にする事にしました。
この時、僕を鼓舞した言葉は「クソでも良いから描け」です。
まずクソを出す。話はそれからだ!!
そうやって決心したのが2023年2月。そこから半年かけて
激務のアシスタントの合間合間を見つけて原稿を完成。
そして僕は、今まで出したこともない賞に投稿しました。

トーチ漫画賞 投稿、そしてアシスタント卒業

僕は決めたことがありました。
この投稿をして何にもならなかったら、一生アシスタントで仕事しようと。
ほんとにそうするかは分かりませんでしたが(笑)

現在、残ってます。

そして、去年の10月末
HPで発表された最終選考に残ったメンツの中に
ありました。
僕が捻り出した、クソが。
2年近くだんまりして、作品を作ってなかったので
この感覚は久しぶりでした。「自分の絵が載ってる」
そして僕は先生に頭を下げて、12月にアシスタントを卒業。
1月からは自分の制作に全力で打ち込もうと決めました。

そうした決意の一環が、このnoteです。
もし、興味があればフォローしてください。
これは30歳で社会も捨ててきたやばい人が、本当に漫画で生きていけるのかを試している実験場です。

X(ツイッター)でも告知などはしていきますが、長いぐだぐだ話はnoteに上げていこうと思います。
あと体験記とか旅行記とかの漫画も描きたいですね。
なので、応援をよろしくお願い致します。

ではお楽しみに。

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