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鳩子、鳥を観るの巻

鳥好きが高じた。
双眼鏡(注1)を買ってしまった。
某鳥の会がビギナー用にと勧めるものを入手した。
識者の意見は、まあまあ素直に聞くことにしている。
双眼鏡が届き、説明書は少なくとも途中までは読んだ。
それよりなにより、さっさと鳥を観に行くことにし、家を出た。
 
鳩子は意気揚々と近所の公園に向かった。
樹上の鳥を探しながら公園内の階段を下りた。

べタン

転んだ。

「痛い」
 
痛い?
よくわからない。
痛みよりも、放出されるアドレナリンが勝っているのだろう。

ピーーー
 
頭上で鳥の声がした。
痛がってる場合じゃない、なにしろ痛くないのだから。
さっと双眼鏡を構えて、声の主を探した。
 
「ああ、なんてこった」
 
悪名高き野良インコだった。
かつてはペットだったであろう青柳あおやぎ色のその集団は、とにかく何でもやり過ぎる。桜の季節になると、片っ端から花を落としてしまう。不自然に花ごと大量に落ちている場合は、大抵奴らの仕業だ。

「せめて最初に見るのは、ゆかしい野鳥だったらよかったのに」

さっき打った膝が急に痛み始めた。テンションが下がったのだ。

「もう帰ろう。いや、帰れない。野鳥を見るまでは」

気を取り直し、公園を出て、近くを流れる川に向かった。
勝算はある。むしろ勝算しかない。川辺は野鳥の楽園だからだ。早朝ウォーキングの際に目星をつけていた鳥スポットがいくつかある。
鳩子はそのうちの一つに向かった。

「いた! 仙人だ!」

鳩子が仙人と呼ぶのは、アオサギのことである。
胸のあたりに長い髭のような羽を生やしたその風貌は仙人を思わせる。その横にはコサギも見え、少し離れた茂みに鴨も数羽いるようだ。

その日は朝食をついばむ野鳥をしばし眺めてよしとした。
帰宅後、さっき打った膝をみると赤く腫れている。湿布を貼って様子をみることにした。翌日には青黒くなっていた。数日後には黄色くなって治りそうにみえた。
自己診断による全治2週間という目論見は甘かった。膝はすぐには治らなかった。それから何となく双眼鏡の出番はなくなってしまった。
 
冬が来た。
渡り鳥の季節である。どうやら膝も治ったようだしと、埃をかぶった双眼鏡を引っ張り出した。今回は公園へは行かず、まっすぐ川辺に向かった。鳩子とて学ぶのである。決して同じ場所で転んだりはしない。どうせ転ぶなら別の場所で転んでやる。
 
鳥スポットに到着すると、レギュラーメンバーの留鳥に加え、渡り鳥の群れが見えた。
漆黒の集団はオオバンだ。その脇で川鵜が羽を広げて乾かしている。鮮やかな雄のマガモの横で、雌鴨は瑠璃色の羽を数枚忍ばせ、白鷺しらさぎ(注2)の飾り羽は日の光に透け、ふわふわと風にそよいでいる。どこからともなく現れた一匹狼のウミネコがどしりと中州に陣取る横で、孤高の仙人ダイサギは相変わらずの風格でベストポジションを取る。お馴染みの風景に心が和む。
 
鳩子も静かにベストポジションを探した。
うるさくすれば、野鳥はあっという間に飛び去ってしまう。双眼鏡を構えたまま、そろりそろりとカニ歩きで移動する。野鳥の距離感が自然の距離感だ。それが正しい距離感なのだから、人はそれに従うだけだ。この距離感には、人も学ぶことがあると思ったりもする。近寄り過ぎるから揉めるんだろうに。(注3)
 
グキッ
 
「痛い」
 
足首を捻った。
オオバンの群れが一斉に飛び立った。
 
「お前さん、よそ見してっからだよ」
 
ゆったりと流れる川面をボチャンとボラが跳ねた。

 
ここで一句
 
対岸の 白鷺モドキ ポリ袋
 
双眼鏡を手に入れたことで失うものもあった。川の対岸に捨てられたスーパーの白いポリ袋を白鷺だと信じて眺めていた日々はもう帰ってこない。知らないほうが幸せなこともあるとつくづく思う、物書きモドキの心の一句。
 
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注1 双眼鏡で観ると、鳥がなぜその場所にいるのかが分かってくるが、基本的には餌場だからだ。この辺りの川辺では、大型のアオサギやダイサギがいい場所を取っている。なぜそんなことが分かるかというと、その周りの水面をしきりに小魚が跳ねているからだ。食べ放題のロケーションなのである。野鳥は警戒心が強いゆえ、離れた場所から双眼鏡で観ないことにはこういった細かい事まではわからない。鳥好きが双眼鏡を持つのにはそういう理由もあったのかもしれないと、持って初めて納得したりもする。

注2 白鷺と言っても、白鷺という鳥がいるのではない。白い鷺がいるということで、白鷺というのは彼らの総称だ。この辺りでは大中小の3種類いて、それぞれダイサギ、チュウサギ、コサギと呼び名も違う。見分ける方法は大きさだが、少なくとも一度3種見る必要があるかもしれない。双眼鏡があれば、遠くにいても足の色なんかでも見分けることができる。コサギは黄色のショートソックスを履いている。

コサギ
後頭部、胸、尾のあたりでフワフワしているのが飾り羽。
黄色のソックスは指し色です。たぶん。

注3 とは言うものの、カラスや猛禽類のトンビやタカのように、縄張り争いで激しい空中戦を繰り広げるものもいる。カラスvs. 鷹などは、噛みつき合ったままグルグル旋回しながら落下してきたりする。羽があるからぼとりと落ちたりはしないが、なんにせよ、とんでもない流血騒ぎを起こしていることがある。

潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)