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自分を生きること・自分のために生きること

長い間、自分で自分に関する物事を決めてきたと思っていた。

日本は基本的人権の理念があるし、女性に対して(おおぴっらに)抑圧する社会ではないし、民主主義だし、法を順守し、良き市民でいれば、何でも自由にできる。

私はずっと自由に生きてきたと思っていた。でも、私にとっての自由、即ち「心が囚われない自由」は、長い間知らずに過ごしてきていた。

学校にも職場にも「自由」な私はいなかった

小・中・高と勉強は楽しかった。進学先は「自由に」選んだ。

職場は、稼げそうな職場を「自分で」選んだ。チャレンジングで面白い。

高校も大学も「周り」が、そして「みんな」が「すごい」と思いそうな大学に行きたいと思った。恋愛は、「みんな」が「すごい」と思いそうな人とした。仕事は、「勝ち組」と「みんな」が思いそうな職場についた。

楽しかったと思う。そして、楽しい。

でも、「みんな」の「すごい」や「まとも」が本当にこれで「合っているのか」時々不安だった。アンテナを常に立てて、自分の振る舞いや考え方を真剣に修正した。

そして、いろんな世界に触れれば触れるほど、「すごい」や「まとも」が何なのか分からなくなった。しかも、「みんな」の定義がそもそも定まらなくなった。

お金に囚われず、貯金が全然なくても好きなことをして、心から楽しんでいる人。お金は稼いでいるのに、全く働かなくてメリハリをつけて独立している人。会社員だけどもっと稼いでいる人。違う業種で違う働き方の人。。。etc

女性として悩んだのは、私が考えていた「みんな・周り」の定義にいつも、「結婚」した女性が入っていたこと。多くの人に「結婚はいつするの?」と聞かれた。今ははっきりと、「結婚は制度であり、心を通わせる手段にはなりえない。私の人生の目標ではない」と心から思えるし、言える。でも若い頃は、「みんなのように結婚しないとヤバい人」になってしまうと思っていた。*人によっては、これは真実なのかもしれない。人それぞれの考え方なので、それも今は尊重できる。

周りに「すごい」と思われることを目指して、ずっとガムシャラに頑張ってきた。それなのに、気づくと自分が「正しい」のか、「合っている」のか良く分からなくなっていた。

ある時は、「多分周りから見たら、「すごい」道を歩んでいるはず」と自信があるのに、別の時は、「あの人と比べたら全然だめだ。負け組だ」と肩を落とす。

過去の不自由は今の自由につながっている

私の「自由な」選択は、常に「みんな」が「すごい」って言いそうな選択肢に絞られていた。しかも、その選択肢は他でもない、「私」が率先して、「皆」の目線を内面化して、「私」が絞っていた。

私は、いわゆる「いい子」でいたかったし、なろうとしていたんだと思う。特別でもなく、平凡で、何でもない私は、必死に世間から「外れない」よう、「より上」を目指したのだと思う。自分に自信がないから、「より上」を目指しておけば、きっと、どんなに悪くても「ギリギリ」ラインは保てる、と思っていた。そして、「より上」の基準や「ギリギリ」の基準がどんどん分からなくなった。

素直に「好きなこと」を目指していいと、私は私に長い間言ってあげられなかった。より上でもギリギリでもなく、「ここ」でいい、と認めてあげられなかった。

私は、「みんなの目線」に囚われて、自由に選択をしていなかった。

他人や世間が悪いのではない。他の誰でもない、私が作った、「他人の目線」を、私は内面化していた。そして、それに囚われていて、私は不自由だった。

私は、私に自信がなく、私のことはちっぽけで、取るに足らない存在だ、と思っていた。なぜこう思ったかは、また書きたい。そして、私は、こんな自分が変わらなければいけない、と思い葛藤してきた。

小さい頃から、私の周りで、世間一般に「良い」と言われることをやろうと頑張ってきた。勉強して、人に教えを請い、対話を沢山した。私の考え方が偏っていないか、客観的な意見がないか探ろうと、書籍やネットで様々な情報を取り入れて、多角的に物事を見ようとした。

沢山努力したから、葛藤することが出来た。沢山葛藤したから、どんな他者でも、自分と同じように悩み葛藤する人間なんだ、という視点と出会うことが出来た。

他人基準で進む道を決めていた私は、不自由だった。でもこれは、今の「私基準」の自由な思考につながっている。

この時した決断は、私は過去の私に本当に頑張ったね、と言ってあげたい。後悔もしていない。何故なら、ガムシャラに頑張ったから、勉強の楽しさ、仕事の楽しさや、やりがいを学べた。プロフェッショナルであろうとする自分に出会えた。学者になりたい!と頭でっかちで世間知らずの学生だった私が、「社会」というものを真剣に学べた。

自信がなかったからこそ、他人の目を意識してきたからこそ、私は、努力することを通して、私の多様性を知った。

私は今でも「他者基準のすごい」には絶対なれていないし、なれないと思う。ある人から見れば、「ヤバいやつ」かもしれないし、ある人から見れば、こんなレベルのどうでもいい人、かもしれない。

でも、「私基準」では、今の私は最高だ。それは、〇〇という肩書や××という役割があるからではなく、「葛藤してきた」自分が、何にも代えがたい財産だと思えるからだ。

自分を決定すること。自分を生きること

”あの人はこう言っているから、こうあるべきだ”

”皆は絶対ダメって言うから、こうあるべきじゃない”

こう思考停止している段階では、実は、「私」で決定が出来ていない。そして、私が気づいていないだけで、ひょっとしたら今も、そうなのかもしれない。

それはそれで、これからの葛藤や新たな自分との出会いの可能性でもあるので、楽しみだと思う。

私は、自由に選択しているか。

それは、自分と対話するまで当り前にできていると思っていた。でも蓋を開けると、私は、「他者の目線に縛られて」不自由に選択をしていた。

同時に、不自由だったから、私というアイデンティティは多様に磨かれた。多様に磨かれたアイデンティティは、心の奥底にいる「自由」になりたい、「私の基準」を刺激した。そして、今の私に出会えた。

「自分で決定する・選択する」ということは、私のために、私を生きる選択をしているか、ということ。

私を生きる、ということは、私のやりたいこと(基準)と私の決断が調和していること。やりたいことが分からなかった時、私は、「他人目線」の中にいた。そして、自分の可能性を信じてあげられなかった。

可能性というものは、「大物」とか「成功」とイコールだと思っていた。それを一生懸命追いかけていた。たどり着けもしないのに。

可能性は、「私」の可能性で良いのだ。周りから見てちっぽけで何でもなくても、それは、私という生を生きる可能性で、私にとっては尊い。Decide Because I want to(私がしたいから決断する)がある可能性なのだ。

So I up and face another day(だから僕は顔を上げて別の日を向くんだ)
....

This for you I pray(これは僕が祈る言葉)
Pray for you today(今日、捧げる祈り)

And in the morning I'll be gone(朝になったら僕は出ていくよ)
Where for to cannot be told(どこへ行くかは言えない)

A mind filled with memories(沢山の思い出に溢れた心)
Weigh me down, my god(ああ神様、思い出は僕の心に重くのしかかる)

*Some Day Soonの意訳(by Hatoka Nezumi)。


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