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#8月31日の夜に

夏休みの終わりはいつも憂鬱でした。

今はコロナもあり、「夏休み」と「学校の始まり」の意味合いが、いつもと違う気がします。

大人が言っている、コロナ禍での「学校生活はこうしなさい」は正しいのか。

今年受験なのに、学校の授業や今後のスケジュールの全体像が全く見えない。

元々学校が苦手なのに、コロナ禍で学校も混乱していて、学校に行きたいと思えなくなった。

就職活動しなきゃいけないのに、コロナのせいで今まで普通に出来ていたことができないし、会社の求人も減った。

いつもと違うことで、大きな不安を抱えてしまう。

私はコロナの前もずっと「人と違う」、「世間と違う」歩き方をしてきました。その度に大きな不安を覚えて、自分が間違っているのではないか、他の人はスムーズで羨ましいと思ってきました。

今のコロナ禍の学校生活や受験・就活の厳しさは、「わかる」とは言えません。ただ、こうした「いつもと違う・みんなと違う」状況で、私が得られたことについて、今日は書きたいと思います。

いつもと違う夏休み:中学校2年生の時(私の場合)

私は、中学2年生の六月、突然グループの友達から口をきいてもらえなくなりました。

一緒に登下校していた子も、私を避けるようになり、学校では一人ぼっちでした。

学校の男子からは、友達の女の子がいじめられていたのを庇い、先生に言ったことから、「チクり魔」というあだ名が付けられて、いじめられました。

具体的には、私のカバンや机を触っては、汚いと言って男子たちで盛り上がって遊んだりされました。

女子からは、何で無視されているのか分からず、いじめられている子を助けたことで、男子からいじめられて、私は学校に行くことが本当に辛くなりました。

当時、ものすごい田舎に住んでいたので、先生も子供もその親たちも、お互い誰で、どういうことをしているのか、良く知っている間柄でした。

私の父は、地域では(小さい田舎だったので)有名な人でした。

いじめが酷くなってきたとき、親には何となく伝えていましたが、迷惑かけたり、いじめられていることが恥ずかしくて、詳細を親には言えませんでした。

ただ、本当に辛かったので、身近にいた先生に相談をしていました。

先生は先生なりに、優しくいつも時間を作って話を聞いて下さいました。とても感謝しています。

ある時、学校に行きたくない、と思うようになりました。丁度夏休み前でした。

先生たちに言うと、夏休み前ということもあり、不登校になってはいけない、と思ったのか、とても丁寧に「何があっても、学校には来た方がいい。休んではだめだよ」と言い続けてくれました。

私の心は本当に限界だったのか、その時先生に「学校に行きたくない」と言いました。すると、その先生が「あなたのお父さんは有名なんだから、あなたが不登校になった、って噂が広まったら、お父さんの顔が立たないよ」と言われました。

物凄く絶望したのを覚えています。私は家族が大好きだったので、私が学校に行かなくなることで、父に迷惑が掛かることが本当に嫌でした。

その日は夏休みの一日前でしたが、夏休みをどう過ごそうとか、嬉しい、という気持ちより、「絶望」して何も考えられなかったのを覚えています。

翌日、夏休み前の最後の登校日、私は身体が重くて起床できませんでした。

初めての経験でとても驚きました。仮病を使っている訳ではないのですが、本当に体が重くて起きられないのです。

父と母が、心配して部屋に来てくれました。父も母も先生から色々連絡が行っていたのか、私の態度から色々察してくれたのか、一言「今日は学校を休みなさい」と言ってくれました。

父は続けて、「お父さんもお母さんも、お前を守りたい。でもお前の心は、お前にしか分からない。だから、お前にお前の心を守ってほしい」と言ってくれました。

私は我慢したのに、涙が出たことを覚えています。

そして、夏休み最後のその日、私は学校を休みました。とても心が軽くなったのを覚えています。

夏休みも、したいことをして、サマーキャンプに行って、学校以外の友達に会い、気晴らしが出来ました。

勉強は夏休みの宿題だけで、他の勉強は何もしませんでした。

楽しい楽しい不登校の始まり

夏休みの終わりが近づいた時、また体が重くなるような感じになりました。あと何日で夏休みが終わる、と思うと、一日は驚く程早く過ぎました。

新学期の一日前は、眠れませんでした。翌朝も、身体が重くて起きられません。「でも夏休み遊んだんだし、学校に行かなきゃ。」と奮い立ち、制服を何とか着ました。

一階に降りて行くと、父と母は私の態度を察したのか、「今日はどうしたい?学校に行きたい?」と聞いてきました。

私は夏休み前の先生の言葉を思い出し、無理に頷きました。

すると父が、おどけて「今日も休みなさい」と言いました。「今日だけじゃなくていい、休みたいと思うだけ休みなさい」と言いました。

そして、私が何をしたいか、将来どうしたいか、を話し合いました。

私は帰国子女で英語が出来たこと、学校に行けなかった場合、英語を活かして仕事をすれば何とかなるかもしれない、ということを両親に話しました。

すると、その日父と母は、私に学校に行かなくて良いと言って学校を休ませました。

父は仕事の帰りに、隣街のレンタルビデオショップに行き(田舎だったので車で40分はかかります)、大量の字幕付き洋画を借りて来てくれました。

「明日からこれを好きなだけ見なさい」と言ってくれました。「足りなければ、もっと借りてくるから遠慮なく言いなさい」と。

私はすごく驚いて、とても嬉しかったことを覚えています。その日から私の楽しい不登校が始まりました。

3日間程ずっと洋画を見続けると、色々な発見がありました。英語だけではなく、親子関係だったり、SFの世界だったり、政治だったり、歴史の奥深さだったり、恋愛だったり、アメリカという国についてだったり、イギリスという国についてだったり、フランスという国についてだったり。

本当に人間や物事について、多くの事を学びました。

4日目になると相変わらずレンタルビデオは見ましたが、勉強をしたいと思うようになりました。

学校に行っていない焦り、というより、学校に行かないという選択をしたことで、私があの時点で知りえない「将来」に出る影響を、最小限にしておこう、という冷静な判断からです。

田舎で進学塾はありませんでしたが、子供の頃から、進研ゼミを取っていました。真面目に進研ゼミの教材で勉強したことはありませんでしたが、この時、ちゃんと取り組みました。*私は高校生の夏期講習(1週間)以外、塾には通ったことがありません。

教科書を3回読んで問題文も3回解く。そのあとに、進研ゼミの教材を参考書と練習問題で解く、ということを繰り返しました。

進研ゼミが授業よりもとても分かりやすいことを、あの状況になって初めて発見しました。

それから、私は毎日、学校の時間割に併せて、進研ゼミを全教科勉強するようになりました。洋画も見続けて、気になった英語表現、私が知らない単語を自分で辞書で調べたり、映画の中でどう使われているかを、調べたりしました。これは、やらなければ、というより、映画が本当に面白かったので、調べたいと思って調べました。

自分でしようと向き合った勉強は本当に楽しかった

私は元々(不登校の前も)勉強しなくても成績は良い方でしたが、勉強を面白いと思ったことは一度もありませんでした。

不登校になって、自分で「やりたいこと」、「最低限やれること」に向き合った時、初めて、勉強が面白いと感じました。

私の様子を見て、今なら大丈夫、と思ったのか、両親が出席日数の話をするようになりました。

中学校は最低出席しなければいけない日数が定められている、と。

私は、テストのみ受けに行こうと思いました。「休める」ということが分かっていれば、学校に行くことが不登校前よりも、怖くなくなっていました。

丁度期末試験があったので、夏休み以降一度も学校に通っていませんでしたが、期末を受けに行きました。

案の定、久しぶりの私の登校にいじめていた男子たちは、嬉しそうに嫌がらせをしました。今振り返ると、彼らは「テストはいつも赤点」と豪語されている方々だったので、ストレスを私で発散していたのかもしれません。

私は、心臓がバクバク言う程、本当に苦しかったですが、「テストが終われば帰れる、そのあとは休める」と思って耐えました。

無事3日の日程でテストを受け終わりました。そのあとも、登校したり、しなかったり、自分の心と相談して決めました。テスト結果が出た一週間後、私は登校しました。

すると、先生から登校してすぐに職員室に呼ばれました。そして、全教科で100点満点中、95点以上、クラスで一番だ、と伝えられました。

勿論、田舎の1学年1クラスのテストなので、そこまで難しくはないと思いますが、私もとても驚きました。夏休みから期末まで一度も登校していないにも関わらず、テストで全てここまで良い成績を出すとは思ってもいませんでした。

ただ、カンや何となくではなく、テストを受けながら全ての問いに、納得して、理解して答えられたのも、これが初めてでした。

私は、その後辛い思い、苦しい思いをしながら、出席日数だけ何とか確保し、テストの近辺で登校する、というスタイルで何とか1年間乗り切りました。

3年生の秋になると、同じグループだった女子たちが、私に話しかけてくるようになりました。男子のいじめも落ち着いて、卒業直前に不登校から脱しました。

すぐに高校受験になり、無事進学校の英語科特進に合格しました。

振り返ると、私は中学校の最低出席日数を守って、学校を戦略的に休み続けました。

そして、中学校の成績が良かっただけではなく、高校も進学校に進み、大学もみんなが「すごいね」という東京の大学に進みました。留学もし、海外で大学院も出ました。仕事は、みんなが「すごいね」という大手日系企業や外資系の職場に就職しました。*この点についは、今反省もあります。皆がすごいということが、イコール、私にとってやりたいこととは限らないからです。

学校に行く行かないではない。勉強を自分のためにしているかどうか

田舎なので、同級生の噂は母がすべて把握していますが、虐めていた人達で、誰も私のような道を歩んでいる人はいません。(*母に聞くと、私をいじめていたある男子は、16歳で恋人を妊娠させ、学校をやめ、18歳でとある法を犯し、とある塀の中にいる、と聞きました)

勿論人それぞれなので、自分が納得して歩んだ道であり、そこは問題ないですが、ここで言いたいことは、学校を休んでも、不登校でも、「勉強を自分のためにする」ことを「自分で納得して、楽しんで」見つけられれば、「学校に行くこと」自体は、別に大したことではない、ということです。

言い換えれば、学校に行かなくても、「みんながすごいね」という大学にも行けるし、「みんながすごいね」という職場に就職もできます。

〇〇という学校に行っていたから頭がいい、仕事が出来る、という人に私は会社員人生で、一人も会ったことがありません。

勿論いい大学を出ている方々もたくさんいますが、むしろ、私が出会った仕事が出来る人、頭がいい人は、「肩書」や「学校」に自分の価値を求めていない傾向がありました。

私は不登校を通じて、戦略的になることを学びました。「出席日数」と「やりたいこと」にフォーカスして、やれることを整理する。そして、この戦略的に生き抜く経験は、今の仕事でも、生き方にも、全てに活きています。

これは、学校では決して教えてくれないことでした。

もし、明日学校に行きたくない人がいれば、自分の心と対話して、本当に「自分が」やりたいこと、好きなことをとことん探ってみてほしいです。

そのために休むのであれば、それは「人生の投資」であり、非常に素晴らしい選択だと思います。なぜ大人が、「自分探し」と言って世界を旅したり、仕事を休めるのに、子供がそれをしてはいけないのでしょうか。

私はフランス人の方と仕事を沢山しますが、彼らは1か月~2か月夏休みを取ります。そして、それは彼らがパフォーマンスを発揮するうえで必要なことだ、と言っています。事実、彼らは皆良く休みますが、本当に優秀です。

コロナ禍でいつもと違う毎日が不安である時、それはむしろ、自分に向き合うチャンスだと思います。

私は、中学生の時、いつもと違う休み(不登校)で、とことん、休んでやりたいことを見つけることが出来ました。ありていに言えば、学校を休んで、映画を見まくっていました。世間一般には子供として、宜しくないことだと思います。*義務教育の義務を負っていない。

でも、自分でしたいと思って勉強をし、義務教育の指標であるテストでオール95点以上を取り続けました。

結果、やらされる勉強のつまらなさではなく、自分でやる勉強の楽しさを学びました。義務教育では教えてくれないことでした。

学校生活だけではなく、36歳の今、私はちゃんと良い企業で働き、年収もちゃんと確保しています。

学校に行っていなかったことを、今の私の働き方を見て、責める人は一人もいないです。そして、私は、新たなステップとして今度仕事を辞めます。それは、戦略的に新たな生き方をしたいと思ったからです。

そして、この選択肢は今の「みんながすごい」という会社の方々から、「すごい」と言ってもらえるものです。何故なら、肩書きや学歴があるからではなく、私が戦略的に考えて決めているからです。

テクノロジーの進化:本当に学校は必要?

最後に、私は学校は本当に必要かな、と思っています。

何故なら、学校は「証明書」だけを与えてくれましたが、それ以外に何も与えてくれませんでした。学校は、私に学力を与えてくれる場所ではありませんでした。

〇〇高校、〇〇大学、〇〇大学院修了、という証明書だけで、私の今の学力も知的好奇心も、全て「私」が培いました。

どこでか、というとそれは、本やネットや人との交わりを通してです。そして、この「人との交わり」は学校以外の場所です。

学校は、「異質な私」という存在をむしろ、「違う」「むかつく」という理由で、堂々と排除できる格好の場所だったのだと思います。

学校で私を無視した女子たちは、「あいつむかつく」が口癖でした。私が「何でむかつくの?」と聞いても、「むかつくからむかつく」というあまり合理的ではない回答をしていました。

私は「何で」と、問う自分が好きです。彼女たちは私の「何で」が「むかついた」と当時言っていました。今振り返っても、合理的ではないです。

私が良い大学を出られたのも、良い職場に行けたのも、「何で」と問い続けていたからです。職場で良いパフォーマンスが出せた時は、「何で」という視点を失わなかったからです。

自分と違う人を、自分の基準で簡単に排除できてしまう共同体。それが私にとっての学校です。

そして、AIやインターネットの発達により、こういう学校に集まる、ということ自体本当に必要なのか、という議論も必要かと思います。

学校には人との出会いがある!という意見もあると思います。でも、私は、自分で楽しいことを極めていたら、いつの間にか、多くの本当に出会いたい人と、自然と勝手に出会いました。学校以外で。それは学校である必要はないと思います。

もちろん、学校であってもいいと思います。

テクノロジーの進化に併せた、学び方、学ぶ場の選択肢が増えていくことを強く望みます。



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