母と映画の話
幼い頃、母と映画を観に行くのが好きだった。
会社を立ち上げたばかりだった当時の父は土日も関係なく働きづめで、父のいない休日は母とふたりで映画を観に行くことが多かったのだ。
その頃、わたしたち家族が住んでいた場所は、今の実家のある場所よりも幾らか不便で、映画館が街にひとつもなかった。
そのために、わたしと母は映画を観るために隣の隣の、さらに隣の街まで車を走らせた。
デパートの最上階へ続くエスカレーターに乗ると、途中からあたりの景色がみるみる暗くなっていく。
真っ白な蛍光灯がぴかぴかと光る他のショッピングフロアとは違い、フロア全体の照明が控えめで、どことなく暗い。
ふわっとキャラメル味のポップコーンの香りが鼻を掠める。
映画館だ!映画館に来たんだ!この雰囲気に、いつも胸が踊った。
今は、事前にインターネットでチケットを購入して、スマホひとつでシアターへ迎えるけれど、当時はその日にその日のチケットを購入することが常だった。
背の低いわたしは、頭上に表示された画面をじっと見つめ、お目当の映画の座席がまだ空いているか、○とか×とかを、ドキドキしながら確認したものだ。
◇
新型ウイルスが流行してからというもの、感染対策のため映画館へ行くことは少なくなってしまった。
楽しみにしていた映画も、公開が延期された。
仕様のないことだけれど、それでも母と電話で「映画、観に行きたいねえ」とこぼす日々が続いた。
わたしの母は映画だけでなく、カフェやランチ、ショッピングなど、とにかく出かけることが大好きなので、自粛生活は彼女からあからさまに笑顔を奪っていった。
そんな折に、実家のテレビが壊れ、最新式のテレビに買い換えたという話を聞いた。
わたしは、映画館へ赴く楽しさにはかえられないかもしれないけれど、それでも明るい気持ちになればと思い、ある提案をした。
「せっかくテレビ買い換えたんだしさ、なんかサブスク入れば?」
「サブスクって何?」
やはりというかなんというか、そんな反応がかえってくる。
そうだ。離れて暮らしているから忘れがちだけれど、わたしの両親はインターネットとか機械とか、とにかくそういうものに疎かった。
かく言うわたしもそこまで得意ではないけれど、それでもデジタルネイティブ世代ではある。
映画系サブスクリプションサービスの説明をすると、「それいいね!どうやって登録するの?」と興味を示してくれた。
あれこれと説明しながら、なんとか1つのサービスに入会することができた。
そういえばと思い「新しいテレビってネット繋がってるの?」と問うと、「ああ、なんかリモコンのどこかを押すとできるみたいなんだけど、よく分からないからやってないよ」と母。まさに宝の持ち腐れ状態だった。
新しい機械を買うこともなく、テレビがネットに繋がるのならと思い、色々と説明したり質問したりを繰り返していると、予想通り、テレビの画面でそのまま映画を観ることができるのだと分かった。
それから数分後、意外にもあっさりすべての手はずが整った。
「へええ!すごいねえ、こんなにたくさんあるんだ!何から観ようかなあ」
テレビの画面いっぱいに広がる映画のサムネイルを前にして、母の声は分かりやすく弾んでいた。
「今の人たちはすごいね、こんなことしてるんだね。これじゃあ家で過ごすのが楽しくてしょうがないんじゃない?」
父も感心するように頷く。わたしは、今まで当たり前に自分が享受してきたものに、これほどまでに両親が驚き、喜ぶとは思っていなかったので、どこかそわそわと落ち着かない心地だった。
わたしはこれまで、両親は何でも知っていると思っていたし、事実そうであることが多かったので、こういうことに慣れていなかった。
父と母も歳を取るんだなあ。これからは、わたしが教える番なのかもしれない。どこか使命感にも似た小さな火が心のなかにぽっと灯った。
それからしばらく、父と母の賛辞は続いた。
◇
後日、母から電話が来る。
「ねえ、『ジョーカー』っておもしろいかな?」
開口一番にそんなことを言うものだから、少し吹き出した。
いつもひまわりみたいに笑う母とジョーカーはあまり似合わない。
「うん、おもしろいんじゃないかなあ。わたしは観てないけど」
観てないけれど、色んな人がおもしろいって言っていた気がする。
そんな雑な記憶を頼りに、返答する。わたしの返事を聞くなり、母は話題だったよねえ!と明るく頷く。
映画、さっそく観るんだねと言うと、母は張り切った様子で「昨日は、蒼井優が出てる邦画を観たよ。“あなたにおすすめ”って出てきたやつ」と返して来た。レコメンドのことを言っているのだろう。
「おもしろかった?」と聞くと、母は苦笑いを浮かべながら「ちょっとエロ、だった」と。
わたしが先日『人間失格 太宰治と3人の女たち』というR15の映画をウォッチリストに入れさせたからかもしれない。
思わず笑った。
「ああでも、昨日は少し暗い映画を観たから、次は明るいのがいいなあ。なんかないかな?」
「うーん。明るいやつか」
母の問いかけに、しばし首をひねる。
「じゃあインド映画は?おすすめのおもしろいのあるよ!」
名案だとばかりに提案するわたしの言葉に返って来たのは、想像とは裏腹に煮え切らない様子の唸り声だった。
「えー…、それって踊ったりするやつ?」
「うん」
即答する。当たり前だ。踊るに決まっている。
むしろ踊るのがいいのだ。わたしが自信満々に答えると、母はさらに曇った声をあげた。
「お母さん、突然踊るのとか突然歌うのとか苦手なんだよね」
「ああ、そういえばそうだったっけ。でもさ、別によくない?わたしは気にならないけどなあ。それに、お母さんだって突然歌ったりするじゃん」
「いやまあするけどさ。なんか、映画だと長いじゃん。歌ってる時間がさあ」
「ええ〜…そこがいいと思うけどね」
そんなとりとめもない言葉を交わしながら、わたしたちは次に観る映画についてゆるく議論を重ねる。
「これがおすすめだよ」とか、「それは名作だから観たことある」とか、「これって観たことある?」とか、「それは昔ふたりで映画館で観たじゃん」とか、映画のタイトルを挙げるたびに、話は尽きない。
そうしていると、母とわたしは映画の好みがほとんど違うことに改めて気づく。
わたしは暗い邦画が好きなのだけれど、母は明るい洋画が好きだ。わたしは外国の映画は吹き替えで観るけれど、母は必ず字幕で観る。
わたしはミステリーが好きで、母は宇宙とかSFものが得意だ。
親子とはいえ、好みは同じじゃない。それがなんだかおもしろかった。
「それにしてもほんと、いいもの教えてもらったよ。ありがとねぇ」
嬉しそうな母の声に、わたしはなんだかむず痒い気持ちになった。
こんなに喜んでもらえるのなら、もう少し早く教えてあげればよかったな。
「お母さん、昔から映画好きだもんね」
わたしが言うと、母は「そうそう」と頷く。
そうだ、忘れかけていたけれど、実は母はわりと、映画好きなのだ。
それは恐らく、わたしが映画を好きな気持ちよりはるかに大きいものだと思う。
わたしが幼い頃、幼稚園や小学校へ送り出すと、母はひとりで映画館に足を運んでいたらしい。
1日鑑賞券なるものを使って、3本ほどの映画をはしごすることもザラだったそうだ。
映画館に行かない日は、レンタルビデオ屋さんで映画を数本借りて、昼間から部屋を暗くして、ポップコーン片手にひとりで映画館気分を味わっていたという話も聞いた。
それだけ聞くと、なんて贅沢な主婦なんだとも思うけれど、仕事に忙しい父を尊重するかのように家事育児などをほとんどひとりで請け負っていた母の、密かな楽しみだったのだろう。
「でもさあ、1日に何本も映画を観るなんてわたしにはできないなあ」
尊敬と感心の意味を込めてわたしがそう言うと、母は笑った。
「いやほんとそうだよね。たしかに、話混ざって来るもん」
「あはは、それ、だめじゃん」
電話越しに、わたしと母の笑い声が響く。
結局、母は変わらない。昔も今も、映画が好きなのだと思う。
それは、こんな時代になっても、だ。
「今度また一緒に、映画館に行きたいね」
母の口から出たその言葉は以前よくこぼしていた愚痴のようなそれと変わらないのに、暗く沈んだ様子は一切なく、どこか前向きで明るいものだった。
映画が、母の心を明るくさせてくれたのだろう。
うん、行こう。このどうしようもない時代が終わったら。
いや、終わらなくても。絶対に。
そろそろ、あの甘ったるいキャラメルの香りを嗅ぎたくなってきた頃だし。
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