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2021/07/18 物心ついてから、もう何度目の五輪?

物心がついたのはいつか。あなたは覚えているだろうか? 一つの指標が、「一番最初に記憶のある五輪」だ。ミドルの私にとっては、1980年のモスクワ夏季五輪である。「日本は参加をボイコットした」とだけ聞かされた。まだ、「ボイコット」の意味も分からなかった。「日本の選手は五輪に出なくなったんだよ」と教えられ、がっかりしながら、熊 をモチーフにしたマスコット「ミーシャ」が競技をしているシールを、机や缶のゴミ箱にいっぱい張った。

1980年は、私の個人史にもエポックメーキングな年だった。新築マンションに引っ越しをして、小学校を転校した。子どもにとっては、世界が丸ごと入れかわる大きな出来事だ。だからなのか、その年から政治や社会ニュースに、目が開かれたように思う。きっかけは、同年6月12日に、参院選の選挙戦のさなかに、大平正芳首相が急死だった。

さて、五輪の話に戻る。本格的にテレビ観戦に「初参戦」したのは、1984年のロス夏季五輪。開会式にジェット・パックを背負って、空から舞い降りてきた「ロケットマン」が登場した演出は、今でも記憶に鮮やかだ。主人公は、100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目で金メダルを獲得したカール・ルイス。彼の華麗なパフォーマンスと相まって、きらびやかでゴージャズで、特別な存在としての「五輪イメージ」が私の中で醸成された。

ロス五輪は、今に続く商業五輪の起点となった。5日後に始まるはずの東京五輪のゴタゴタは、その矛盾や限界が行き着いた先に起きている。

一体、誰のための五輪なのか?

選手ファーストの理念は遠く、利権がうごめく商業五輪の構造。期せずして、今回の非常事態がその実態を浮き彫りにした。表面を繕ったスポーツの祭典に対して空しさを覚えているのは、私だけではないだろう。

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