1日48時間を創るオフライン革命

2016年3月10日。雪が舞う西の都。


1日12時間を注ぎ込んだ僕の京大受験は、不合格という形で叶わぬ夢となった。


その日、最寄りの出町柳の駅にコンタクトレンズを両眼とも落とし、眼を真っ赤にして帰りの高速バスに乗ったのを思い出す。



その日以来ひねくれてしまった僕は、今に至るまで変わらず、「自分の考えは当てにならない」前提で、何事もスタートするようになった。


一見投げやりで迷惑そうなこの思想が、ある時吉と転じた。



大学三年の夏、公認会計士試験受験中の、追い詰められた周囲からの評価と、逼迫した時間制約のなかで生まれた出来事だ。



”理解して知る”と”考えて吐き出す”に、別の定義を与える


僕はあれ以来、自分という存在に見切りをつけているので、基本的に自分が思いついたことは当てにしない。

もしくは、その思いつきを入念に精査しない限り発言しないし、ましてやnoteに吐き出すこともしない。



日本の大学受験制度には、国語と数学という科目がある。


どちらも、最低限の知識を使いこなすことで、論理力を鍛えさせてくれる。


すやきなりに換言すると、数少ない文を読む知識や数学の公式を”理解して知って”、答案用紙に”考えて吐き出す”のだ。



一般に「頭がいい」というと、知識が豊富であることよりも、論理的に考えられる能力を指し、その思考力の最高峰に東京大学が君臨するというイメージが根付いている。



僕はこの世の中の考えが、難関資格や受験を目指す全ての人の感覚を狂わせていると思っている。


つまり、

頭がいい、言い換えると思考力がある人間だけが、難関を突破できると。


これは大きな間違いで、数学や国語には、”理解して知る”というインプットの部分が極端に少なく、”考えて吐き出す”アウトプットの絶対量が多いだけなのだ。


なのに、多くの人は、全てがアウトプットだけの思考力だけだと思っており、インプットとの線引きの意識がないのだ。



高校生活を終えて社会に出てから、この二つの科目以外に、”考えて吐き出す”思考力の試されるものがあっただろうか。



そうそうないはずだ。


簿記とか企業法という科目ですら、「知ってりゃできるインプット問題」の巣窟だ。(慣れが必要とかの議論は置いておく)



まあとは言っても、僕がこれから話す考えが咀嚼してもらえると、思考水準の高いものにでくわしても対処できるんだが。。



ここで、”理解して知る”と、”考えて吐き出す”定義を明確に分離しよう。



”理解して知る”とは、単純に何か新しいことを、教えてもらうことだ。イメージとしては、「原宿はファッション最先端の街で、個性のある若者が集う」という情報そのもののこと。


”考えて吐き出す”とは、教えてもらった知識を使って考えることだ。

イメージは、「実際に原宿を歩いてみて、なんでファッション最先端なのかを、美容室や店の出店具合を観察しながら考えること」だ。



ここで、”理解して知る”、言っちゃえば、情報を浴びるだけの一番簡単なフェーズについて。

これは、知らなかったらどうにもならないことでしょう??



なのに多くの人が、ここのインプットのフェーズでうんうん唸っている。


この無駄を排除するに、どうすればいいか??


”理解して知る”べき事案のみ、誰か知ってるやつにぶん投げて聞いてしまえばいい。




オフラインの向こうでオンラインを稼働させ、時間を二重で走らせる


話を冒頭の方に戻すと、大学三年の夏は精神的にも肉体的にも追い詰められていた。まあ追い詰めていたのは僕なんだけど。


4時半にはバイト先に行かなければいけないため、1日の勉強時間はマックス7時間。

終電までバイトするから、十分な睡眠をとっていても少し眠い。


僕の当時の会計士試験の模試成績は、7月の時点でD判定だった。

そこに、訳もわからず飲食バイトを週4週5でぶっ込んでしまったから、共感される友達もおらず、自分で考えざるを得ない状況に追い詰められた。



そこで生み出され、今とて時間を創出するエンジンになっているのが、


オフラインとオンラインを同時で走らせる

という考え。



例としては、

自分ではわからない問題、つまり”理解して知る”だけのただのインプット情報を、知ってる人に教えてもらうように、チャットやLINEで聞いておく。

そして自分は、”考えて吐き出す”アウトプットの作業に集中する。

そのうち、メッセージを投げた人から返信が来る頃には自分のやるべきことは終わってるから、無駄に調べるような時間をごっそり削減できる。



つまり、LINEやチャットのオンライン上で誰かにインプット用の情報提供準備をしてもらっといて、自分は既存のインプット情報をもとにアウトプット作業ををオフラインで進めるということだ。



僕は”知らない自分”を人生の早い段階で認めていたから、知らないことは躊躇なく人に聞いてきた。

あまりにも早朝からメッセージが飛んでくるから、向こうとしてはイライラしてるだろうが僕には知ったこっちゃない。

応答のメッセージがきたら、爆速で返信して「ありがとう!」とだけ言っとけば向こうも嫌な気はしないものだ(たぶん)。

そうして次の日もまた早朝にメッセージを送るのだが。。



コツとしては、自分が作業を始める前にメッセージを投げておくこと。

そうすれば、オンライン上で勝手に仕事が動き出す。



もっというと、オンライン上でぶん投げる事項は、”理解して知る”べき情報のみにすること。そのあとの”考えて吐き出す”作業は自分でやらなきゃ意味がない。


これを徹底して、1日を48時間馬力にすることにあの時成功したんだ。

だから僕は、ある意味最小の時間で圧倒的な成果を出した。


ちなみに私生活でも。

寝る前に、明日の飲みの誘いをメッセージしたり、オンラインじゃないけど、シャワーの前に洗濯機を回したり。こうして手待ち時間を排除しまくって、1日の時間を増やしていける。



意識の継続で簡単に革命を起こす

もうこの記事も終わるので最後に。

僕が2ヶ月弱でD判定から一桁の順位になるまで、この意識だけと共に走った。


「できないしょぼい自分」ではありつつも、やっぱり大学受験に失敗したあの日は忘れられなかった。


もう2度とあの日のような悪夢を繰り返すまいと思ってから僕は変われた。

けれど多くの人はやっぱり変化が嫌いみたい。


変化すると目立つし、目立つことは”意識高い系”でダサいという考えはいまだに蔓延っている。


なんで多くの人はこんなにも、平均値に埋没したがるのか、僕には一ミリも理解できない。


僕は人から何か思われようとなんも思わないし、周りにいいる同期の会計士は僕と同じような性格だ。


特に何かを考えたわけでもなく「東大が最高峰」と語るような頭の弱い平均値でいてはならない。


大学受験も資格試験も、分布の大半を占める平均値があるから、化ける人は簡単に化けるのだ。


化けようとする一歩はとっても簡単だ。

時間制約と精神的負担という不利な状況でそれなりの結果を出したしょぼい僕が言うから間違いない。


「残りの人生も砂糖水を売ることに費やすか、それとも世界を変えるチャンスがほしいか」


他人の人生だから、僕には知ったこっちゃないが、僕は一度味を占めてしまったから、もう次のステージに向かうけれど!!


♪安田レイ「up to ME」

すいません、以下から内容を少し抜粋してます!⇩

いってらっしゃい!






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