人生を変えたバイト_まかない・歓送迎会編

オゾン・スパイラルでは、まかないの制度があった。

営業終了後に、みんなで集まって食べてから帰宅するのだ。まかないと言っても、白ごはんに汁物をぶっかけたようなもので、もしかしたらまかないとは言えないレベルのものだったかもしれないけれど、ヘトヘトのギャルとギャル男みんなで集まって食べたのは、今となっては良い思い出だ。

とはいえ、多い時は50人前くらいのまかないをバイトの誰かが作らなくてはならないので、結構重労働だった。しかも、食後大量の皿洗いもあるので、食べ終わって帰るまでもう一仕事だった。


ある日、私は初めてのまかない当番に任命された。その時、ヨコイさんという先輩が一緒についてくれた。
ヨコイさんは先輩の中でも一番チャラくて、苦手なタイプだった。親近感が湧く事といえば、身長が小さい事くらい。私は今までの人生経験上"軽いノリ"というのがよく分からず育ってしまったので、そのまかない担当の日までヨコイさんとは意図的にあまり喋る事がなかった。

そして、重ねて最悪な事に、私は料理がめちゃくちゃ苦手だった。というより、全くしてこなかったのでやり方が分からなかった、という方が正しい。

小学生時代の調理実習は、分けられた班の中の得意な子にお願いして作ってもらって、自分は皿洗いに徹していたし、中学・高校とバイトと遊びにかまけて、特に家で料理したりもしなかった。

その日は、豚汁だか野菜煮みたいなものを作る食材が用意されていた。

ヨコイさんは「じゃ、ざざっと切ってとりあえず煮るだな、やって。」と言った。私の目の前には人参、玉ねぎ、じゃがいも、白菜などが転がっている。ヨコイさんは、私がある程度料理ができる人間と思っているようだが、残念ながら全くできない。

こんなチャラいギャル男の先輩に「料理できない」なんて伝えた所で、何を言われるか分からないし、うまく伝えられる自信もなかったので、料理ができない事は黙っていた。

とりあえず人参を握って、うろ覚えでピーラーを使って皮を剥きながら「どのくらいの大きさに切りますか?」と聞くと、ヨコイさんは「テキトーだよ!」と言った。えーーー、適当って分かんないな、と思いながら、自分なりに急いで切っていると、ヨコイさんは気づいた。

「お前、、、料理とかする?」と聞いてきた。

私は、待ってました!手伝ってくれるかもチャンス!とばかりに、「あんまりやらないんです…。」と言ってみた。
けれどヨコイさんは横で見ながら「だろうな、おっせーもん。とにかくもっと早くやれ」と言っただけで、その後も自分なりに急いで切っていた。

次に玉ねぎ、と思い手に取り、茶色い皮をぺりぺりとめくりながら、何気なくヨコイさんに聞いた。

「玉ねぎってどこまで剥くんですか?」と。

本気で聞いた。緑っぽい皮をめくるのか、めくらないのか、白いとこもどこまで剥くのか分からなかった。そのくらい料理をした事がなかったのだ。

ヨコイさんは「お前マジで?うそだろ…?」と深いため息をついた後、スッとまな板の前に立つと、とても速やかに鮮やかに玉ねぎを切り出した。私は単純に感動した。人を見た目で判断してはいけない、このギャル男の先輩めっちゃ料理上手じゃん!と。

「ヨコイさん、(見かけによらず)めっちゃ早い!うまい!カッコいい!!」と、純粋な気持ち+もっとやってもらいたくて褒めていると、「うるさい!こんなん当たり前だろ、お前もさっさと手動かせ」と言って、軽くお尻を蹴り上げられた。

お尻を蹴られた事よりも、ヨコイさんが料理上手な事への感動の方が大きかったので、今の時代だったら言い方とかも含めてパワハラ・セクハラだの言われるような事だったかもしれないけど、何とも思わなかった。野菜をこんなに早く切れるなんて、すごい!と引き続き感動していた。

その後も、鈍臭い私はヨコイさんにお尻を蹴られたり、ブツクサ文句を言われていたけど、結局半分以上はヨコイさんがやってくれて、まかないが無事完成した。
本当に人は見た目によらないなぁ、と心底思ったし、ギャル男という概念で人を決めつけていたなんてナンセンスな自分だ、と思った。
私が「ヨコイさん優しいですよね」と素直に言うと、「こんなチンタラやってたら営業時間終わるわ、ボケ」と言われた。

その後も何度かヨコイさんに鍛えられつつ、そこそこ料理できるようになった。ヨコイさんがいなかったら、私はずっと料理できないままだったかもしれないので、その時本当に感謝していたし、今も結構感謝している。

という事を次のエピソードを話す前に、十分に念押ししておきたい。


ある日、私達オープニングスタッフの歓迎会が開かれる事になった。

オープニングスタッフだけで40人弱、先輩スタッフで10人・社員さんで10人ほどいたので、とても広い座敷で行われた。

私は人見知りも発揮しつつ、何となく同じテーブルになった人と卒なく話をしていた。

途中、ヨコイさんに「ちょっと、こっちこい」と言われたけど、無視して行かなかった。酔ったギャル男と接する勇気など、私はまだ持ち合わせていなかった。店内でホールを回っていても、その頃はまだ話したりする事ができる程余裕も持てず、ただただ業務をしていた時期だった。

すると、突然ヨコイさんが私の隣にやってきた。ヨコイさんは結構酔っ払っていた。

私に向かって「他のやつは俺に敬意あるけど、お前だけ俺に敬意がない!!」といきなり絡んできた。私は「え、敬意あります」と伝えたけど、ヨコイさんからは「いや、ない!」と言われ、その押し問答を何度か繰り返した。

次の瞬間、腕を掴まれて立ち上がらされ、戸惑っているうちに、気づくと組み手をさせられて足払いされた。天井が見える。

何が起きたか把握する暇もなく、いきなりジャイアントスイングをされた。
あの、足首を持ってぐるぐる回られるやつである。アラサー世代では、めちゃイケの爆裂お父さんで加藤浩次さんがやっていたアレ、と言えば分かってもらえるかと思う。

みんなが見ている中ぐるんぐるん回され、そして最後は放り飛ばされた。一瞬の出来事だった。

もちろん人生で初めてのジャイアントスイングに、ギャル男のコミュニケーションって、一体全体どうなってんだよ、と目が回った状態で、お腹も丸見えで座敷に転がって考えていた。

見ていたみんなはびっくりしていたり、笑っていたり、近くにいた女の子が私のお腹を隠してくれて心配してくれたり、見て見ぬ振りしていたり、自分達の話に戻ったりしていた。

私は、ほぼまだ知りあい程度の大勢の前でいきなりジャイアントスイングされた、恥ずかしい、なんでそんな事されなきゃいけないんだ、という憤りの気持ちでいた。
そして、この状況をどうオトすのがベストか分からなかった。圧倒的な経験&コミュ力不足。

ヨコイさんは一応先輩だから、泣いたり、苦笑いしてみたり、社員さんにヨコイさんを怒ってもらったりするのが、その場の空気も自分の気持ちも何となく収めるのに良かったのかな、と今となっては思うけど、当時の私はそういう手段を持ち合わせていなかった。

なんかいきなり喧嘩売られた、としか思わなかった。

私は手近にあった、1/3くらいビールが入ったピッチャーを手に取り、ヨコイさんの元へ向かった。1/3という所が、私の先輩に対しての遠慮なので、一応強調したい。

そして、ヨコイさんの頭の上からビールをぶっかけて、そのままピッチャーをヨコイさんの頭に被せた。

ギャル男は髪型が命なとこあるな、と感じていたので、ぶち壊してやろうと思い、その行動に至った。
怖いもの知らずというか、なんというか、先輩とかっていう事を丸無視して、売られた喧嘩を真っ直ぐ買ってしまった、18歳の自分。しかも、ちゃんとしっかりシラフ!

私がジャイアントスイングされた時よりも、座敷内はザワザワしていた。私は「え?喧嘩売られたから、買っただけなのに…??」と不思議な気持ちでいた。
ここで、「あ、やり返した方をどうやら間違えたっぽい」とやっと気づいた笑。

ヨコイさんは、後輩の私にビールをぶっかけられて「マジかよ」と、びっくりしていた。そして、周りの先輩に止められつつも、怒ってまた私をジャイアントスイングした。

周りの空気を読んだ私は、甘んじて2度目のジャイアントスイングを楽しみながら受け入れて、この場の空気をおあいこにしようと思った。新種のメリーゴーランドだ、と思うようにした。

予想通り、空気的にはおあいこっぽくなったし、ジャイアントスイングをする方はめちゃくちゃ疲れるので、2度目はそんなに回されもせず、痛みも怒りもなかった。
むしろ逆に重いのに2度も回したヨコイさんの方が辛かったんではなかろうか、と思う。

今でも当時の同期から、あの時のハタノは忘れない、狂気だったと言われる事がある。
たしかに、今の私からしたら、先輩にビールをピッチャーごとぶっかけるなんて、どうかしている、と多少思うけど、その時の私の正解は狂気的なそれだったのだ。

では、その後ヨコイさんと私はどうなったか。

結果から言うと、私とヨコイさんは何とも奇跡的に、ある程度お互い距離感は保ちつつも、良い関係になれたのだった。

その居酒屋を出たところでは、またヨコイさんに怒られた。そして、私もまだあの座敷内の空気を覚えていたので、悔しかったけど甘んじて怒られたし、謝ったし、周りの先輩や社員もヨコイさんを宥めてくれて、その日は終わった。

その後も何度か戯れあい混じりの啀み合いはあったものの、結果ヨコイさんの天性のチャラさや適当勢いノリに、どれだけ怒ってても笑かされてしまったりして、吉本新喜劇をゴリゴリ見て育った私は、笑かされたらどういう状況であれ笑ったもんの負け、という謎の信念があり、自分には持ち得ないヨコイさんのコミュ力の高さによって、だんだん心を開かざるをえなくなった。

そして何よりも、配置上一緒に同じ仕事をする事が多く、ヨコイさんの速やかで天才的な仕事ぶりを見て、私は心から尊敬した。(仕事内容の話は、また別途したいと思う)

ちなみに、ヨコイさんは女性関係やお金関係がクズだったので、仕事面以外は全く尊敬していなかった。べつもんだ。

ヨコイさんもヨコイさんで、全く媚びないしチャラさゼロの私の事を気に食わない!と言っていたものの、仕事を一緒にするにつれ、持ち前の柔軟さで何となく受け入れてくれて、ヨコイさんのやり方で気を遣ってくれたり、たくさん教えてくれたり、困っている時にはすぐ助けてくれたりした。私は、不思議とちゃんと甘える事ができた。

ヨコイさんは、クズなのにヒーローだった。

いじめ、家庭内の問題、収容所のような新体操クラブでの指導と、捻くれ曲がったコミュニケーションの方がこれまで主だった私にとって、ヨコイさんの在り方は、型にガチガチにはまって動けなくなっていた私を、ナチュラルな力尽くでいとも簡単に型からズラしてくれた存在だった。

多分ヨコイさんには、その自覚は1ミリもないと思う。何年か前に久しぶりに連絡をしてみて、ジャイアントスイングの件も含めて話をしたら、「俺ってマジかっこいいなーーー」と良く分かんないこと言ってた。

それでも私は、私のガチガチを0から1にズラしてくれたヨコイさんという存在に、今も本当に感謝している。

ハタノ






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