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ホテル屋サカキの命令違反

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命令違反を繰り返す『ホテル屋』の奇想天外な日常を描くショートストーリー。
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#ショートストーリー

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「スモーク・ラビリンス」

 借金取りに追われ、逃げ込んだ先が河畔に立つ小さなホテルだった。 「どこでもいいんだ。一時的に身を隠せる場所はないかな?」  助けを求める坂木道夫に対し、魚のような顔をしたフロントスタッフは意味深な笑みを浮かべた。 「では、絵本の世界などいかがでしょうか」 「絵本の世界?」 「ご安心ください。大人向けの絵本です。身を隠すには、これが最適かと」 「じゃ……じゃあ、それで」  案内された202号室で指示どおりに炭酸水を飲んでいると、頭上からモーター音が聞こえてきて、次第に視界があ

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「メイド略奪」

「メイドのイエリです」  坂木道夫のなかで、眠っていた向日葵が一瞬のうちに開花した。一目惚れだった。  晩餐会で出会ったイエリは、知的で笑顔が眩しく、清楚なのに少し傲慢で、それでいて外見がストライクだった。  ――この出会いは運命に違いない。  イエリの雇用主を前にして、坂木は一歩も引かない覚悟を決めた。 「メイドさんを私にください」  口から出た言葉は明らかに説明不足で、まるで、結婚を決意した男が、相手の親に認めてもらおうと足掻いているかのようだった。 「そんなさぁ……お嬢

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「五右衛門風呂」

 カーラジオが臨時ニュースを伝えている。殺人教唆の疑いで会社員が逮捕されたとのことだった。 『――も発見されており、警視庁は余罪や詳しい動機について調べを進めています』  逮捕された人物の名前が、殺したいほど憎んでいる同僚と同じ名前だったことに興奮して、坂木道夫は思わずアクセルを強く踏み込んでいた。  その結果、坂木が運転する車は、田舎道のカーブを曲がりきれず、林に突っ込み大破。身動きが取れない状況となってしまった。  事故の衝撃で携帯電話は壊れ、手元に助けを呼ぶ手段は残って

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「夢枕」

 赤道直下に建造されたメガフロート『マイルストーン』。標石の名を冠するこの海上都市には、祈りを海洋に投下するための竪穴貫通孔が存在している。 「矢切さん、あれ」  坂木道夫が同行者の名を呼び、前方の竪穴を指し示した。 「おお、あれが……」  矢切は坂木を追い越し、しっかりとした足取りで竪穴へと歩み寄る。とても103歳とは思えない軽やかな動きだった。  ――さすがは、人間国宝。  老いを感じさせない矢切の背中には、超人的な生命力を感じずにはいられない。  竪穴の前では、魔女の仮

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「双身ワームホール」

 控え室で待っていた宇宙飛行士は、最新号の科学雑誌を上下逆さまに持っていた。 「時間です。行きましょう」  坂木道夫が出発を促すと、女性飛行士は咳払いをして立ち上がった。  開館60周年を記念する特別講演の開始を前に、会場となる博物館は静寂に包まれている。  控え室を出る二人は、ドア横に設置されたセンサーにIDをかざし、退室記録をログに残してから講堂へと歩きはじめた。  今回のイベントにおいて、坂木は講演者のアテンド係という役割を担っている。  主催の博物館が公益財団法人とい

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「裸眼」

 裸眼干渉。死者が生者を裸眼で見ると、見られたほうの生者は命を失う。  俗にいう『死者に呼ばれる』とはこの現象のことを指すのだと、そう教えてくれたのは兄だった。  生者の世界と死者の世界。二つの世界の境界が曖昧になった享霊元年以後、死者の世界における生者への裸眼干渉は固く禁じられていた。 「桃香」  兄が名前を呼び、火照った私の頬を優しく撫でる。 「夕飯なにがいい?」  奔流に晒されて末端を削られたのだろう。外で待っていた兄は、指先を第一関節まで消失していた。  私は「しらた

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「熱気球マフィア」

「とびきりのケバブを食わせてやる」  セールスマネージャーの誘いはいつも強引だった。素直に従う義理はないのだが、断ると面倒だということを知っているため、坂木道夫が首を横に振ることはない。 「明朝六時。第三ターミナル南」  行きつけの店にでも連れていかれるのかと思いきや、蓋を開けてみれば、それは海外出張だった。  寝不足による負債を仮眠でちまちまと返済しながら、機内で13時間を過ごす。  そして、いざ現地に着いてみると、ホテルの部屋は坂木の分しか予約されていなかった。 「おまえ

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「残務整理_難易度A」

 最後まで残っていたホテルの従業員を脱出させる。安全地帯から指示を出す上層部が想像するほど、それは簡単なことではない。  坂木道夫が現地に到着したとき、ホテルは原型を留めないほどに破壊しつくされていた。  抵抗する人間は一人もいない、という意味なのだろう。国旗を掲げるためのポールには、白旗の代わりにシーツが括りつけられている。  ロビーの中央。かろうじて残っているオブジェの後ろに人影を認め、坂木は「あの……」と声をかけた。  敵意がないことを主張しながら正面に回り込んだ坂木は

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「舌平目神社例大祭」

 舌平目神社の境内。日焼けした子供が鳩を追いまわしている。逃げ場を失った鳩が一斉に飛び立つと、近くにいた外国人観光客が甲高い悲鳴を上げた。編隊を組む鳩は、境内をせわしなく一周して本堂の軒先にとまる。わずかな間を置いて、鳩がとまった本堂の奥から祭囃子が聞こえてきた。年に一度の例祭。蝉の鳴き声と協演するかのごとく、太鼓と笛の音色が、厳かな空気を境内に満たしていく。そんな雅な雰囲気を台無しにするように、隣にいる老人が短く屁を放った。 「大変です、坂木さん」  顔をしかめた坂木道夫の

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「天狗小隊」

 天狗になるという言葉がある。いい気になって調子に乗るという意味だ。そこから名前を取って天狗小隊。正式名称は、私服待遇独立即応小隊だが、仲間内では、彼らは天狗小隊と呼ばれているとのことだった。  隙間時間の暇つぶしに彼らの一人と雑談していた坂木道夫は、その皮肉めいた呼称が、呼ばれる側の人物の口から発せられたことに違和感を覚えていた。 「笑ってらっしゃいますけど、そんなふうに呼ばれて悔しくないんですか」  すると、雑談相手の女性隊員は大きく首を振った。 「べつに悔しくなんかない

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「キックバック」

 海外旅行のパッケージツアーに参加した観光客のうち、特定の食べ物を食べた客だけが、帰国時に空港検疫で止められる事案が多発していた。  最新鋭のセンサーが異変を感知し、ゲートを通過したところで一度は止められるのだが、二度目のスキャンによって今度は正常と判断され、彼らの疑いはまもなく晴れる。 「なんつったっけかなぁ。風呂敷みたいな名前のアレ」  挽き肉入りのパンを油で揚げたものを、上司は曖昧な言葉でアレと表現した。  ――現地に行って食ってこい。  それが坂木道夫に下された命令だ

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「三代目マーブルポリッシャー」

 深夜のホテル。人の気配が消え失せたロビーで黙々と作業を続ける男がいる。  驚かさないように正面へと回ると、坂木道夫は男に声をかけた。 「お疲れさまです。こんな時間に大変ですね。なにをされているのですか」  這いつくばるように床を撫でる男は、手を止めずに坂木の質問に答えた。 「研磨です」  遠くからは拭いているように見えたが、実際は大理石の床を磨いているのだという。 「私もホテル関連の仕事をしているのですが、少しだけ話を聞かせていただけないでしょうか」  良いとも悪いとも答え

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「奇病オウム返し」

 来客だと聞き応接室へと向かうと、取引先の男性が青白い顔で待ち構えていた。傍らには、いかついヘッドホンで耳を塞がれた女性が座っている。 「その方が、先日おっしゃっていた浮気相手ですか」  女性の耳が塞がれているのをいいことに、坂木道夫は、聞かれてはいけない一言を口にした。女性が妻であることは知っていたが、前回の商談では男性に不愉快な思いをさせられており、やり返したいという気持ちが前面に出た。 「違う。あの話は忘れてくれ。この人は俺の妻だ」  知っている、とは答えず、坂木は先を

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「極点」

 出港前の夕食会で二人の男性と知り合いになった。  海洋研究の専門家とフリーランスのライター。キママ島へ向かう目的はそれぞれ異なるが、不思議となにか、共通するものがあるように感じられ、坂木道夫は二人と行動を共にすることにした。 「調査チームの拠点が島にある」  海洋研究者は、キママ島へ向かう目的を、仲間と合流するためだと語った。近くの海底火山が三年前に噴火をし、流れ出た溶岩が堆積したことによって新島ができたのだという。彼は、その新島を調査することで、謎に満ちた地球のメカニズム