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【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「極点」

 出港前の夕食会で二人の男性と知り合いになった。
 海洋研究の専門家とフリーランスのライター。キママ島へ向かう目的はそれぞれ異なるが、不思議となにか、共通するものがあるように感じられ、坂木道夫は二人と行動を共にすることにした。
「調査チームの拠点が島にある」
 海洋研究者は、キママ島へ向かう目的を、仲間と合流するためだと語った。近くの海底火山が三年前に噴火をし、流れ出た溶岩が堆積したことによって新島ができたのだという。彼は、その新島を調査することで、謎に満ちた地球のメカニズムが解明されるという確信を持っていた。
「私は島民と仲良くなりたいですね」
 いっぽうのライターは、自身の目的を、島民の取材だと語った。少し前から、島民のなかに特異な才能を持つ者が現れるようになったらしい。現地語を話せる彼は、その利点を活かしてユニークな記事を書きたいと意気込んでいる。
「半分仕事、半分趣味といったところです」
 そんな二人に対し、坂木は自身の目的を、洞窟内の壁画を見ることだと説明した。古代文明を描いた壁画が、多数の歴史学者によって価値のあるものとみなされ、坂木が評判を聞きつけるほどに話題になっていた。
 キママ島へは片道54時間の船旅だった。船上では特にすることもなく、それぞれが自分の時間を過ごしていたが、食事の時間になれば食堂に集まって話をした。
 奇妙な変化に気づいたのは、二回目の夕食を食べ終えたときのことだった。
「満腹だ」といって、ライターが腹をポンポンと叩くと、淡い色の発光体が胴の周りを回りはじめた。まるでアニメのワンシーンを見ているかのようだった。
 不思議なことに、隣にいる海洋学者には、その発光体が見えていない様子だった。
 船がキママ島へと近づくにつれ、坂木が目にする周囲の変化は、次第に大きくなっていった。
 すっかり親しくなった二人にそのことを打ち明けると、ライターは、「島民のあいだで発生している謎の現象、才能の開花と関係があるかもしれない」と、嬉しそうにいった。
 いっぽうの海洋研究者は、さして興味がない様子で、軽く相槌を打つと、すぐに手元の書籍へと視線を移した。
 他人の肉体に生じた変化など、所詮はその程度のものなのかもしれない。ライターの反応が過剰なだけであり、むしろ海洋研究者の無関心こそが一般の感覚に近いのだ、と考えることにした。
 出港からきっかり54時間後、キママ島へ上陸した坂木が目にしたのは、そこが同じ地球上とはとうてい思えないほどの、異質で鮮やかな光景だった。
 咲き乱れる花は、風に煽られ散った瞬間から、星になり、打ち上げ花火となって大地に降り注ぐ。島民の住宅を支える精巧な老人の石像は、坂木の姿を認めるとウインクで挨拶をしてきた。
 肉体に生じた変化は、このときすでに最高点にまで達していたようで、なにが幻想でなにが現実なのか、もはや坂木自身にも判別が不可能になっていた。
 港で二人と分かれた坂木は、島民の通訳ガイドを雇うと、自身の目的地である洞窟へと向かうことにした。
 洞窟へと向かう道中、見晴らしのよい場所で休憩をしていると、通訳ガイドが荷物のなかからハーモニカを取り出した。
「あいつ、この音色が好きなんです」といった通訳ガイドがハーモニカを奏でると、周囲に突風が吹き荒れ、見たことのない巨鳥が二人の前へと飛来した。
 坂木の目には、それは巨鳥に見えたが、この島に住む通訳ガイドの目にも同じように映っていたかは定かではない。
 休憩を終えた坂木たちが再び歩きはじめると、巨鳥は、案内役は自分だといわんばかりの表情で二人を先導しはじめた。鳥の表情の変化というものを認識したのは、坂木にとっては、これが初めての経験だった。
 洞窟の壁画は、評判に違わず、素晴らしいものだった。歴史的に価値があるものなのかと問われれば、答えに窮する代物だが、少なくとも、これまでにない特殊な壁画であることは事実だった。
 壁画自体は、すでに写真で何度も目にしていたが、それにはあまり意味がなかった。なぜなら、壁のなかでは、描かれたものが動き回っており、絵自体がたえず変化をしていたからだ。
 感覚を研ぎ澄まして壁画に対峙すると、絵のなかの人物がこちらに向かって語り掛けてくる。
「やりなおしてはいけない。未来を知ってもいけない。分岐を跨ぐ行為は破滅をもたらす」
 絵は言葉を発しない。にもかかわらず、なぜそれを理解できるのか。他者に説明する術を、坂木は持ち合わせてはいなかった。
 通訳ガイドが昼寝をする横で、坂木は絵のなかの人物が語る言葉を一心不乱に手帳に書き留めていた。
 気がつけば島を発つ日になっていた。帰りの船に乗る前に、すっかり島民と打ち解けたライターに声をかけてみたが、彼は島を離れるつもりはないのだという。
 海洋研究者は、新島を調査するために、すでに拠点を出発したあとだった。坂木に宛てた一枚のメモには、「この島に長く居てはいけない」と書かれており、洞窟にこもっていた数日間のあいだの出来事がそこに記されていた。
 海洋研究者とライターが行った数日間に渡る調査の結果、島民の才能が開花しはじめた時期と、海底火山の噴火で新島が出現した時期は、ほぼ一致しているということが判明した。
 ライターが書き上げ、すぐにネットに投稿した「極点」という記事は、瞬く間に世間を賑わした。
 ――人間のなかに眠る未知の本能。この島には、それを呼び起こすなにかがある。
 甲板に寄りかかって記事を読んでいた坂木は、ふと思い出して、手帳のページを捲ってみた。そこには、見慣れない渦巻き模様の文字がびっしりと書き連ねてある。数日前には理解できていたその言語も、いまはもう読みあげることすらできない。
 極点から遠ざかるにつれ、段々とそれは失われていく。
 通訳ガイドから譲り受けたハーモニカを吹くと、頭上を飛ぶ海鳥が短い鳴き声を上げた。
 かすかに残る超感覚の名残が、ひどく懐かしいものに感じられた。

(了)