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【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「奇病オウム返し」

 来客だと聞き応接室へと向かうと、取引先の男性が青白い顔で待ち構えていた。傍らには、いかついヘッドホンで耳を塞がれた女性が座っている。
「その方が、先日おっしゃっていた浮気相手ですか」
 女性の耳が塞がれているのをいいことに、坂木道夫は、聞かれてはいけない一言を口にした。女性が妻であることは知っていたが、前回の商談では男性に不愉快な思いをさせられており、やり返したいという気持ちが前面に出た。
「違う。あの話は忘れてくれ。この人は俺の妻だ」
 知っている、とは答えず、坂木は先を促す。
「頼む、坂木さん。あんたにしか頼めないんだ」
 話を聞いて、坂木は、女性がヘッドホンをしている理由を理解した。
 女性は奇妙な病に罹っていた。
「オウム返し、……ですね」
 なにを話しかけても、同じ言葉を返すことしかできなくなったのだという。
「おはよう」と声をかければ「おはよう」と返し、「死ね」と罵れば「死ね」と返してくる。以前の女性であれば、それは考えられないことなのだと、男性は語る。
 いまは聞いた言葉をすべて返してしまうため、一時的な処置としてヘッドホンで耳を塞いでいるとのことだった。
「なんでも、現代医学では解明されていない風土病の一種らしく、どこかの国の洞窟住民のあいだでしか発症例は無い、なんて医者にいわれて……」
「それで、困った末に私のところに?」
 男性は素早く二回、首を縦に振った。
「では、奥様を調べてみるので、そのあいだ隣の部屋でお待ちください」
 男性は不安げな表情で躊躇していたが、坂木が「早く!」と怒鳴ると、逃げるようにして部屋を出ていった。
 診断を終えた坂木は、男性を呼び戻すとすぐに結果を伝えた。
「入力と出力が同時に行われていました」
「どういうことだ。わかりやすくいってくれ」
「正常な状態では、入力で得た情報をもとに出力すべき言葉を思考します」
「まあ、そうだろうな」
「ところが、この病気に罹ると、入力と同時に出力がなされるので、思考の時間が確保できなくなります。そのため、聞いた言葉をそのまま返すことしかできないのです」
「難しいことはわからないが、けっきょく俺はどうすればいい?」
「出力を止めて、思考する時間を与える。簡単なことです。入力器官の耳ではなく、出力器官の口を塞いでやればよいのです」
「なるほど、そういうことだったのか」
 頷いた男性は、女性の耳からヘッドホンを外すと、
「愛してる」
 といって彼女の唇にキスをした。

(了)