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【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「熱気球マフィア」

「とびきりのケバブを食わせてやる」
 セールスマネージャーの誘いはいつも強引だった。素直に従う義理はないのだが、断ると面倒だということを知っているため、坂木道夫が首を横に振ることはない。
「明朝六時。第三ターミナル南」
 行きつけの店にでも連れていかれるのかと思いきや、蓋を開けてみれば、それは海外出張だった。
 寝不足による負債を仮眠でちまちまと返済しながら、機内で13時間を過ごす。
 そして、いざ現地に着いてみると、ホテルの部屋は坂木の分しか予約されていなかった。
「おまえと一緒にするな」
 飼い犬が待つ実家に帰るのだと、セールスマネージャーはいう。
 ここに至ってようやく、彼がこの国の出身だったことを思い出した。
「経費削減のつもりですか? そもそも、今回の出張、目的はなんですか。いいかげん教えてもらわないと」
 出張の目的はいまだ告げられていない。だが、ケバブが目当てでないことだけは明らかだった。
 なぜなら、指定された持ち物に強靭エキスが含まれていたからだ。これが必要になる出張に、穏やかな業務があった試しがない。
「レストランの個室を押さえてある。詳しくはそこで」
 荷物を置いてこい、といわれたので、スーツケースを押してエレベーターに乗り込んだ。テレビ横のバゲージラックに荷物を載せ、軽くシャワーを浴びてからレストランへと向かう。
 個室で待っていたセールスマネージャーは、たかたが20分弱の待ち時間を耐えきれずに、先に食事を始めていた。
 最悪なことに、彼が食べていたのは、この国とはまったく関係のない中華料理だった。
 ケバブはどうした、という言葉を呑み込み、坂木はセールスマネージャーに詰め寄る。
「さあ、話してください」
 坂木に促され、セールスマネージャーは食事の手を止めた。
「このホテルにマフィアのボスが滞在していることがわかった。奴らの殲滅は喫緊の課題だ。住民の安全のためにも、この機会を逃がすわけにはいかない。外国人のお前なら相手も油断するだろう。接触して奴らの根城を暴け」
 正気を疑いたくなるような命令だが、驚きはそれだけではなかった。
 マフィアの名称を聞いて、坂木は自分の耳を疑った。
 ――熱気球マフィア。
 たしかに彼はそう口にした。
 光学迷彩を施したステルス熱気球を駆り、けっして捕まることなく犯罪を繰り返す、神出鬼没の空の支配者。
 地元警察と協力し、マフィア組織を壊滅させる。それが今回の出張の目的だった。
 夕食はほとんど喉を通らなかった。なにも精神的なことが理由なのではない。個室に乱入してきた地元警察にあれこれ指示を出され、目の前の料理を食べている余裕がなかったのだ。
 うんざりしながら話を聞いていると、地元警察の若手が駆け込んできた。
「奴が現れました!」
 ホテル内の蒸し風呂にマフィアのボスが現れたのだという。
 どういうわけか坂木が接触することになり、あれよあれよというまに衣服を剥ぎ取られ、腰にタオルを巻かれて蒸し風呂に放り込まれた。
 蒸気が立ち込める浴場では、全身毛むくじゃらの獣のような男が、大理石の床にうつ伏せになっていた。
「それ以上近づくなよ、小僧」
 マフィアのボスが顔も上げずにいう。
「おまえは俺より強いが、俺はおまえより硬い。この意味がわかるな?」
 意味はわからないが、手を出すなと釘を刺していることだけはわかった。
 いずれにせよ、相手は気配だけでこちらを敵と認識したことになる。いくらマフィアのボスとはいえ、そんな現実離れしたことが可能なのだろうか。
「どうして私が敵だと?」坂木は尋ねる。
「長年マフィアをやってれば、さすがにそれくらいわかる」
「すべてお見通しというわけですか」
「どうだ、小僧。一度だけでいいから、俺と手を組まないか?」
 坂木は考える。――悪くない。
 なぜかは不明だが、この男は自分のことを殺し屋かなにかだと誤認しているようだ。もはや、無害な観光客を装って情報を得る、という地元警察が考えたシナリオは通用しない。
 首尾よく事が運んだとしても、アジトを聞きだすことなど不可能に近いと思っていただけに、手を組まないかという申し出は坂木にとって好都合だった。
「おもしろそうですね。いったい、なにをするつもりなのですか?」
 その後の一言を聞いて、坂木はまたしても自分の耳を疑うことになった。
 マフィアのボスが、大理石の床に膝をつき、蒸気をまとって立ち上がる。
 彼はいった。
「ドラゴンを狩る」
 
 翌日、いわれたとおり屋上のヘリポートで待っていると、突如として目の前に気球が出現した。
 光学迷彩が解かれるまで、そこにあることさえ気づくことができなかった。
「これはすごい」
 バルーンに吊られたゴンドラのなかから、マフィアのボスがひょっこりと顔を出す。
「早く乗れ、出発するぞ」
 熱気球は、坂木を乗せると、またたくまに空へと舞い上がった。
「あの……、バーナーというのでしょうか。空気を温める機材が見当たらないのですが」
 不安を口にする坂木に対し、マフィアのボスは、
「バーナーも内燃機関も一切載せていない。奴に警戒されるからな」
 と答えた。
 奴とは、これから狩るドラゴンを指すのだという。
「では、どうやって空気を温めているのですか」
 素朴な疑問だった。熱気球は、バルーン内部の空気を熱することで浮力を得る。機材もなしに、大量の空気を温めることなど不可能に思えた。
「マジックだよ」
「は?」
 聞き間違えたかと思ったが、そうではなかった。彼は手品のことをいっていた。
「バルーン内部の空気を、気温の高い地域のものと入れ替える」
「どうやって?」
「だから、マジックで」
 ゴンドラから地上を見下ろし、坂木は絶句する。ホテルのヘリポートは、すでに豆粒ほどの大きさになっていた。
 得体の知れない原理で連れてこられてよい高度ではなかった。
 マフィアのボスは続ける。
「これは、偉大なるマジシャン、オス・マ・ニエがデザインした世界に一つだけのステルス熱気球だ」
「いや、待ってくださいよ」
「バザールで待機中のブラザーが、木香を焚いて奴をおびき寄せる。いくぞ、小僧。空中戦だ、気合いを入れろ!」
 
 討ち取ったドラゴンは、偉大なるマジシャン、オス・マ・ニエの宿敵である欲深いマジシャンの成れの果てだった。
 強靭エキスを飲まなければ、ドラゴンに噛まれた瞬間に坂木は命を落としていたかもしれない。
 戦いを終えた熱気球は、バザールの広場にゆっくりと着地する。
 ゴンドラから降りると、マフィアのボスが手を差しだしてきた。
「前言撤回だ。おまえのほうが俺より硬い。どうだ? ファミリーに入らないか」
 嘘でもよいのでYesと答えておけば、アジトを特定して任務は完了となるだろう。
 けれども坂木は、続く誘い文句を聞いて、一瞬のうちに断る決意を固めた。
 その誘い文句が罠であることを坂木は知っていた。
 マフィアのボスが、あの男と同じ言葉を口にする。
「とびきりのケバブを食わせてやる」

(了)