”わたし”は4つある?潜在意識の世界って?多次元的な生きかたの指南書
潜在意識という言葉に出会って10年、たくさんの時間を投入して見えてきた世界
20歳の時に潜在意識という言葉と出会ってから約10年間ほぼ毎日、見える世界と見えない世界の間に何が流れているのか考察し、検証し、そして自分の言葉にしようともがいてきました。
Suchnessとは、真如のこと。ものの真実の姿、普遍的な真理を指します。
わかるようでわからないこの言葉が、わたしの中にずっしりと腰を吸えるようになったのは、ある一文に出会ったからです。
一如・真如とは
真実なるさとりの境地をいう。一とは二、三に対する数量をあらわす一ではなく絶対不二のことであり、如とは人間の思慮分別を超えた、もののありのままのすがたをいう。
自と他、生と死、愛と憎しみといったさまざまな対立は、人間の自己中心的な想念である虚妄の分別心が生みだした虚構である。
そうした虚妄分別を破って、もののあるがままなありようを直覚する智慧が開けたことを「さとり」という。
そこでは知るものと知られるものが一つに融けあい、生と死がわけへだてなく受けいれられ、愛と憎しみをこえて、すべてがかけがえのない尊厳をもって輝いていく。
(梯實圓和上著『歎異抄』より)
この本に出会い、この箇所を読んだとき、わたしは何か見えないものをすこしだけ掴んだような気がしました。
あくまでも自分の中で、ですが、まとまりのなかったものが1つずつ繋がり、自分の研究してきた考察結果がすべて繋がっていると感じました。
そこでは知るものと知られるものが一つに融けあい、生と死がわけへだてなく受けいれられ、愛と憎しみをこえて、すべてがかけがえのない尊厳をもって輝いていく。
特にこの箇所を読んだときは身震いしました。泣きそうになり、表現できないような喜びを心の内側に感じたのです。
何かと何か、誰かと誰か、の間には明確な境界線があるように見えて、本来それは存在せずわたしたちが創りだしているのだとしたら。
その明確な境界線さえも本来は意味を持って存在している。
この明確な境界線のことをわたしは『自我(エゴ)』と解釈しています。
自我(エゴ)という言葉は、精神世界において邪険に扱われることもありますが、本来自我は意味を持って存在しています。自我が成熟していかなければわたし達は、見るものや感じるものとの間に境界線をつけられず、時間感覚も曖昧になります。
明日の予定も立てられなければ、約束もできませんし、きっとミーティングも忘れます(笑)
だからこそ、自我(エゴ)は必要ではありつつ、それが未熟な状態から成熟した状態へと変化することが大切だとしています。
さらにわたしは、精神世界や潜在意識、真如の世界を探求するだけでは満足せず、身体的なトラウマにまで何かを見出したくてカラダのことも探求してきました。
身体の持っている様々な機能は最終的にはすべてひとつに集約されていくと感じましたが、あくまでも身体は媒体であって、”架け橋”であると考えるようになります。
身体とは一体、どのようなものと、どのようなものをつなぐ”架け橋”なのか?
そこをさらに探求していくうちに、意識や身体、心や脳はすべて繋がっているが、それらは全てが密接に連動しているわけではないかもしれない、という風に考えるようになります。
まるで駅や電車の線路のように・・・
すべての駅は何かしら繋がっているのですが、かといって1つの駅がすべての駅に通じるわけではないのと同じように。
そこでわたしは、全体図を描くために、まずは各駅を描くようにして、このように分けました。
■魂(ソウル)
‖=精神(スピリット)
■自己(セルフ)
‖=心(ハート)
■身体(フィジカル)
‖=感情的な心(エモーション)
‖=思考(マインド)
■自我(エゴ)
■はすべて駅です。駅は”わたし”です。‖のところは駅と駅をつなぐ線路、ここは”意識”です
ここから、このマップを通して、わたしが10年以上探求してきた潜在意識や深層心理、精神世界の法則を、わたしなりに解説したいと思います。
これが正解というわけではないので鵜呑みにせず、あなたの生きる参考にしてください。
4つの”わたし”と、それをつなぐ意識、そして現象
まずはシンプルに、4つの自分がいる、とイメージしてください。
魂という”わたし”
自己(セルフ)という”わたし”
身体という”わたし”
自我という”わたし”
この、4つのわたしとわたしの間で、いろいろなことが起きます。
魂
>精神性(スピリット)
自己
>心(ハート)
身体
>感情(エモーション)
>思考(マインド)
自我
”わたし”と”わたし”の繋がりが悪かったり、断たれていたり、何か障害があったりすると問題が起こります。
スピリットの問題
心の問題
感情的な問題
思考の問題
精神性(スピリット)と心(ハート)の問題よりも、感情の問題と思考の問題がもっとも認識しやすく、身体にも顕在しやすいです。だから、まずはこの2つからアプローチする手法が多いんですね。(感情解放やマインドセットなど)
ただ、感情も思考も、身体と自我の関係によって起きている現象なので、感じていることも考えていることも、あなた自身ではありません。生まれたり消えたり生まれたり消えたりします。あなたの中で起きている現象ですが、あなた自身ではないので感情や思考で自分のことを評価する必要はありません。
だから、感情も思考も基本的には”気づいて、受け入れて、認めて、終わり”です。感情と思考の問題を解決するには、身体(フィジカル)と自我(エゴ)の繋がりを強めることが大切になってくるので、簡単に言えば”身体の声をよく聞いて過ごしましょう”となるんですね(シンプルすぎる・・・が、基本はまずコレ!です。)
働きすぎない、ちゃんと寝る、ちゃんと食べる、ちゃんと休む、身体を労わる。自我が暴走しちゃうときは、自我が身体との繋がりを失っているも同然なので、ヨガや呼吸に集中する瞑想なんかはまさに、繋がりをつくるレッスンだと思います。
潜在意識とは何なのか
魂ステーションと自己ステーションは、普段わたしたちの脳が認識できない領域にあるので、”認識できない意識”ということになります。
つまりこれが、”潜在”意識領域です。
潜在しているので認識はできないけれど、有る意識領域。
※無意識というのは意識が無と書きますので、わたしは潜在意識と無意識は異なるものを指していると考えます。
自我(エゴ)や思考(マインド)は意識しやすいので、”顕在”意識領域です。そして、それぞれのステーションを繋いでいるのが、意識です。
領域と意識は違います!ここ注意!
魂(ソウル)や自己(セルフ)をつなぐ意識のことを潜在意識と呼びます。身体(フィジカル)と自我(エゴ)をつなぐ意識のことも潜在意識と呼びます。しかし、この2つの潜在意識は、その潜在度合いが違います。
つまり、潜在意識(領域)にもいくつかレベルがある、ということです。
自己(セルフ)と身体(フィジカル)の間に心(ハート)がありますが、これはわたしたちが普段よく感じる感情的な心とは別のものです。
逆に、一般的に言われる心というのは、身体(フィジカル)と自我(エゴ)の間にあり、これらの関係性によって生まれます。つまり感情は身体で発生している、と考えています。
よく、”心を閉ざす”と言いますが
心を閉ざす(ハートが閉じる)
=
自己(セルフ)と身体(フィジカル)のつながりが断たれている状態
であり、
感情にフタをする
=
身体(フィジカル)と思考(マインド)や自我(エゴ)の間が断たれている状態
という解釈になります。
潜在意識なんちゃらかんちゃらについて
潜在意識をクリアリング(クリーニング)したり、潜在意識を変えることで現実が変わるとよく言われている理由は2つあります。
1つは、各ステーションをつなぐ間の線路にゴミが溜まっていたら、流れが悪いためです。血液と同じで、循環しなくなればどこかに問題が起こります。
2つ目は、身体(フィジカル)や自我(エゴ)、思考(マインド)が過去の体験などによって必要でない習慣を持っているために問題が起こります。だから、自分にとってよろしくない習慣を改善するのも潜在意識のクリアリングです。
何が言いたいか、というと・・・巷で言われている潜在意識の法則はさまざまあるんですが、どの領域に対してアプローチしているか、は同じではないということなんですね。
ケース1:潜在意識を変えて人生なんちゃらかんちゃら!
=
身体(フィジカル)と自我(エゴ)が持ってしまっている必要でない習慣やプログラミングされた情報を変えることで、感情や思考が変わって人生を変えるアプローチ
ケース2:潜在意識とつながってなんちゃらかんちゃら!
=
魂(ソウル)や自己(セルフ)と繋がることで、本質的な自分を生きるようにするアプローチ
ケース3:潜在意識を活用して人生をなんちゃらかんちゃら!
=
身体(フィジカル)と自我(エゴ)を、より自分の魂(ソウル)や自己(セルフ)とのつながりを強めることが重要なので、正確に言えば心(ハート)を鍛えるアプローチ
このように捉えてもらえれば、わかりやすいのではないでしょうか。他にもいろんなアプローチがこの世にはありますが、すでに学んでいる方や学ぼうとしている方が皆、分かっているとは限りません。
全ては目的ありき、だと思っているので、どれが正しいとか間違っている、とかはありません。世の中に出回っている全ての法則や理論、メソッドの大元はひとつ。それを人それぞれの表現をしているだけであり、目的が違うだけです。
これから潜在意識関連を学ぼうとしている方は、その方法やメソッド、理論や体系化されたものが、いったいどの部分にアプローチしていて、どんなことを目的にしているのか?なんとなくでもいいので把握していると、もっと理解度が増すんではないかなーと個人的には思っています。
世の中にはすでにたくさんの、素晴らしいメソッドがありますからね。
例えば感情的な問題を解決したいなら、魂とかやるよりも身体(フィジカル)と自我(エゴ)の関係性を良くするアプローチの方がいいかと思う。
あるいは、脳の仕組みを理解して考え方をシフトする(思考を変えるだけで感情は随分と変わるので)
心(ハート)をひらいて、心に忠実に生きることを目的にするなら、自己(セルフ)と身体(フィジカル)のつながりをまずは強化することが大切。
もっと魂を生きたい!!!と思うなら、魂と自己の間に生まれるスピリットを意識する・・ーというような感じですかね。
もちろん絶対にこうしなければいけない訳ではないため、この辺りはまた別で記事にしたいと思っています。
『潜在意識なんちゃら』といっても実にいろんな領域や段階があるんだなーとここでは知っていただければ嬉しいです。
それぞれの”つながり”を観る
自己は魂と隣接し、魂と身体をつないでいます。
基本的に魂と自己のつながりは断たれていないので、どんな人にもその人なりの精神性(スピリッツ)がありますが・・・自己と身体とのつながりが断たれていれば(弱ければ)その人の精神性(スピリッツ)は現れません。
なぜなら、すべての表現は身体を通してなされるからです。
魂は自己を通してでなければその人の身体とは繋がれないため、その人の自己が強くあることで、魂との繋がりが強くなります。
自己(セルフ)というステーションが小さな駅ではなく、大きな駅として機能してくれれば・・・魂と身体の連結は強いですよね。
わたしが別の講義で”コア(本質)”と呼ぶものはここでいう自己(セルフ)の性質を指します。自分のコア・自己本質を知ると、わたしたちの自我は自己とのつながりを取り戻していく。だからコア学というものをやっています。
魂には魂の目的が、自己には自己の目的があるのですが、身体は自己と自我(脳)の間に挟まれているため、非常に非常に酷な状況にあるのではないかと思っています(笑)
自分らしく生きたい自己の願いと、自分らしさを履き違えた目的を目指す自我の間で、どちらの目的にも順応しようとするのが身体です。
ほんと、いつもお疲れ様ですね!
(やはり、普段から労ってあげたいなと改めて思います。)
次回は・・・
長くなりましたので、次回の基礎講義02では『マチュリティレベル』のお話をします。
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