世田谷学園から塾なし現役で東大へ【②離陸編】
【①助走編】はこちら。
高3・一学期末~スランプ脱出の兆し~
さて。
ハイレベルな数学の授業で息絶え絶えになり自信を失いかけていた6月、部活の顧問と話す機会があった。
その時、顧問の先生がおっしゃってくださった。
「(僕の名前)には、東大行ってほしい。」
そう。この言葉、実は初めて耳にしたのである。
それまでの僕は、別に東大に行きたいというより、「どうせならA判定をとりたい」「どうせなら好成績を」「どうせやるならやりつくす」というモチベーションで勉強していた。そのおかげで次第に東大は見えていたものの、別に「東大に行きたい」わけではなかったのだ。もちろんいけたらすごいし、舐めていたわけではないが、そのくせ周りの友人は「お前なら東大行けるよ」などと言うから少し困っていたのだ。「行けるよ」などといっても今のままで行けるわけがない。数学はムズすぎて吐きそうだしすでにもう自信を喪失しかけている。
そんな中、先生の「東大に行ってほしい」という言葉は、僕に強く刺さった。
「行ってほしい」と言ってくれたのだ。
「どうせ行ける」と言われたら、「いや、今のままじゃとうてい無理だよ!そういうこと無責任に言うのやめてくれ!」と思うのだが、「行ってほしい」と言われたら、
「っっお、じゃあおれ、がんばります!!!!!!!!!!!!」
となったのである。
行けるとか行けないとか、どうでもいいのだ。
そう。行ってほしいらしいのだ。じゃあ僕は、「行きたい」のだ。
思えば学校がこんなに背中を押してくれているのだ。
学校も、友人も、僕に東大に行ってほしいのだ。
そして、幸運にも、この学校でなら、この友人たちとなら、もしかしたら、行けるかもしれない。
というわけで、東大への滑走路の建設が始まった。
高3・夏~計画書で乗り越えた天王山~
さて。東大に心を決めた僕は、本気で東大に入るべく、
前代未聞の自己分析・計画立案を始めた。
夏休みの学習計画である。
バカみたいな話だが、模試や近況をすべて分析し反省点や課題点・改善すべき点を書きだした。そのうえで、自分が夏休みに使える時間をすべて計算した。これは使える日数×勉強時間で求まる。その後、自分がすべき学習内容におのおの想定の学習時間を与え、その総和が自分の使える時間とつりあうように調整を重ねたのである。
なぜこれをやったかというと、人間、意気込んだ時というのは「あれもやろうこれもやろう」状態に陥りがちであり、たとえば夏休みの最初だけ手を広げられるだけ広げてしまうことがありうる。しかし、それが終わらなかったり、中途半端になったりするのであれば、どうせなら、学習内容を絞って完璧にした方が効率的だ。しかし、どのくらい絞ればよいかわからない。そこで、僕は「使える時間」をすべて計算し、それに見合うだけの学習内容を立て、ほぼ夏休み中ならほぼ毎日のスケジュールが言えるくらいにまで計画化してしまったのである。
バカみたいな話だ。この作業に3日くらいかかった。勉強をやめて、計画を立てた。迷いはなかった。そうしないと、夏休みどうしていいかわからず不安だった。
そして、これを作りながら、複数の先生方に何度も相談に伺った。
「これをやればいいですかね?」「これで大丈夫ですかね?」「これできると思われます?」と、いろいろ、しつこく伺った。快く答えてくださった先生方に、今でも感謝しかない。
そんなわけで、計画表が完成した。この計画表のもと、夏を迎えた。
やることは決まっていた。起きる時間も勉強を始める時間も決まっていたので、それに従い、毎朝5:30くらいに起きた。朝、近所の友人(同じ高校)と散歩しながら世界史の問題を出し合って、6時ごろに家に戻ってきて朝ご飯を食べた。
僕は夏休み中、ほぼ毎日5時台に起きた。
もう、勉強以外やることがないので、修行僧のような気分で勉強した。
たまに辛くなるので、洋楽を聞いていた。
あとは、気分転換で散歩やランニングによく行った。SNSはLINE以外停止していたので、スマホで時間を潰すようなことはあまりなかったと思う。
ちなみに、夏休みによく聞いていた曲がこちら。
夏休みにラッキーなことは、授業がいったんストップすること。
今まで予習で精いっぱいだった世界史も、復習するなら今だ!ということで、世界史は毎日結構な量やった。
そして、スランプ期に申し込んだTOEFLに向け、対策を進めた。
高校で担当の英語の先生に添削までしていただいて、本格的に4技能を伸ばそうとした。いちおう目標(80/120点)を立てたので、立てた目標にはこだわり、きちんと点の取り方の戦略まで考え、スピーキングもしつこく練習した。英検とは段違いのレベルだった。特にスピーキング。思ったことをすぐに英語のまま口にする。もはやほぼネイティブみたいになれという話。
しかし、大学が舞台設定になっている問題が多い上、ライティングはアカデミック要素が強く、興味を持って学習に取り組めた。やはり、英語の勉強は楽しかったし、TOEFLの学習はアカデミックライティングはにはうってつけの練習だった。
概観すると、7月下旬の1週間は学校の夏期講習とTOEFL対策を並行し、7/30にTOEFLを受験しに行った。(しばらく経ってから知ったが、結果は85点で、目標を超えることができた。)
また、当時はTOEFLがどれほど大学受験に役立つかわからなかったが、あとから思うととても役に立った。(詳細は後述する。)
8月に入った。
8,6/7の河合塾東大オープン、8,13/14の駿台東大実戦を受験した。前者は微妙、後者はそこそこ、という感触だった。しかし、結果がわかるのは1か月先の話。
とりあえず結果は置いておいて、自己採点し、復習を進めた。解答解説を読み込み復習ノートでまとめ直していく。。。
この時、塾なしで一緒に勉強していたN君がビデオ通話を介して復習に付き添ってくれた。彼も同じ模試を受けていたので、解答解説を吟味しながらいろいろと相談し、予備校の解答に代わる別解や改善案なんかも出し合った。互いの解答にアドバイスを与えることもでき、本当に貴重な時間だった。何より、つまらなくなりがちな復習を楽しくできたし、ノートもより充実したものになった。彼には感謝しかない。
ちなみに、8月中旬は期間限定で学習環境をそれまでと変えた。いつもと違う机を使う期間が、自分の中でちょうどよい中だるみ防止になった。
完璧な計画表を立てると、ガチガチにやることが決まってしまいよくないのでは、と思うかもしれない。
しかし、僕の計画表は、柔軟性を確保できるようになっていた。to do リストは余裕度によって数パターン用意していたし、使える時間を可視化していたので、計画を後から調整するのは簡単だったのだ。
この時期、共テもやりつつ、学校の授業数学の復習を進めていたが、8月下旬は東大の過去問に入り始めた。
東大過去問は、2019年度から解き始めて遡っていった。駿台の25ヵ年は全科目そろえていたので、できる限りの年度数をこなしたかった。あわよくば20年分くらい。。。?、と思っていた(結局無理だった)。
過去問に関してアドバイスできるとすれば、まず、夏に入る前にはもう志望校の過去問は一律買いそろえてしまってよいと思う。新年度の過去問はネットでもどこでも手に入るので、前年度に出版された分の本でよい。そして、赤本と青本があるなら、青本を優先して購入しよう。解説は赤本より青本の方が充実している。とはいえ、時に青本の解答も微妙だ。というわけで、できれば、赤本も青本も買ってしまおう。これで、複数の解答を比較し吟味できるようになる。加えて、古典には鉄緑会の東大古典問題集(市販)を使うとよい。
また、東大現代文に関しては以下のサイトが参考になる。クラスメイトに教えてもらったものだが、なかなか有用だ。著作権的にグレーなことをやっている気もするがまあ。
東大過去問は、解き始めの時はやはり思うようには解けなかったし、点も取れなかった。しかし、2月よりはよくなっている、という実感はあった。東大型模試を経て少しずつ東大型の問題になじんでいたことも大きいと思う。
が、過去問は、復習がすべてだ。はっきり言って、問題を解くフェーズはあまり重要ではない。
解いた問題を、問題文・自分の解答・模範解答・分析、とまとめなおす。
結局、今まで作ってきたノートと同じだった。過去問の復習だって、今までの復習ノートのノート法で十分だったのだ。
ちなみに、解いた問題は高校の先生方にメールやクラスルームを通じて共有し添削やコメントを貰っていた。高校の先生方はその科目のプロフェッショナルだ。いくら東大の過去問といっても、その科目だけ取れば高校の先生方の指導で通用する。(東大だからと言って、テレビに出ているような一流講師の講義を受ける必要は特にない。)
なので、一年のセットをこなすだけでも、「解く→添削を出す→返却された添削を確認し青本を読み込む→ノートにまとめ直す」を英語・現代文・古典・地理で行う必要があった。なお、数学は解いてから復習までに時間を置きたくなかったので添削を出さなかったほか、世界史はまだ範囲学習が終わっていたかったのでパスしていた。
復習をノートにまとめる作業は、とても時間がかかった。現代文や古典となると、最低でも2時間、長いと5時間くらいかかった。東大の問題なのだから、そう簡単に理解できるわけではない。しかし、それだけ時間をかけて自力でかみ砕いてみると、気づけることはごまんとあった。特に現代文は、どうすれば点を取れるのか、紙面上で試行錯誤を重ねた。
話を戻す。
二次型の対策は一学期の復習から東大過去問の演習へ、という軸で励んでいたが、このころ共テの演習を止めなかったこともよかった。というか、共テタイプの演習は、受験生は一度たりとも止めてはならない。共テ当日その日まで、できれば毎日、少なくも週に5日は共テタイプの問に触れよう。なかなか点数が伸びず苦しむことも多いが、ここが踏ん張りどころだ。
夏休み中、学校がストップしてくれたために、自分の好きなように共テ対策・学校の復習・過去問演習を進めることができた。
気づいたら、天王山を超えていた。
夏の終わりには、気分転換に美術館に行った。
死ぬほど痛い口内炎があったのを覚えている。
夏が明けた。
学校が再開した。
高3・秋前半~夏の成果~
9月に再開した学校の授業では、一学期と比べついていくのが楽になった。数学の授業の内容が一学期から少し変わったこともあるが、夏休み中に数学の復習を積んだことも良かったのかもしれない。スランプに入るようなこともなくなったし、学校の数学についていくので大変、ということはなくなった。
共テは相変わらず喜べない微妙な点が続いていたが、少しずつ上がっては来ていた。一般的に、東大志望者は9割欲しい、とよく言われる。自分も9割を目指していたが、やはり予想問題の難易度にはブレがあるし、9割に届かないままで終わってもよくないので、むしろ「全科目平均で絶対85%以上をとる」という方を重視するようにしていた。
学校の朝学習(英数国の共テ対策)は、一学期には全問題を解いて復習していたが、このころから自分の苦手分野の演習に絞り始めた。結果的にこの戦略は夏から秋への転換にちょうどよかった。共テの苦手分野を補填しつつ、生まれた余裕を二次型の学習に回すことができたからだ。東大の過去問をやりながら共テセットを毎回全科目こなしていくのはほぼ不可能だと思う。(注.あくまでも分野や科目を絞ってもよいという話であり、復習をテキトーにはしないように!)
また、一学期には英国数に力を入れていたが、二学期には理社にも強く意識を向けるようになった。地理・地学基礎は学校でだいぶ対策してくれていたのでそれに乗っかり復習を心がけていた。ただ、範囲学習を優先した世界史、トライの授業動画で基礎知識を把握するくらいだった化学基礎については、あまり共テ対策の時間を取れなかった。
東大の過去問は割とのろのろ進めた。9月が終わったことに5年分くらい蓄積されていたくらいだ。でも、着実に学力が伸びている感覚はあった。
ちなみに、9月初旬にTEAPを受けた。英語四技能試験で、TOEFLよりはハードルが低い。上智や早稲田の文系学部を志望校に加える人は、TEAPの点数で英語試験を代用することができる(※学部により異なるので自分で調べてほしい)のでぜひ受験を勧めたい。ちなみに、自分はTOEFLの対策が済んでいたのでTEAPに関しては過去問を一度解くのみだったが、四技能型試験を初めて受ける人はきちんと対策すべきだと思う。
さて。共テ模試の記憶はあまり細かくはないのだが、秋くらいになるともう共テ模試にもだいぶ慣れてきて、少し楽しい休日のイベントのような気分だった。楽しいのは、何が出るだろうという気持ちと、何点取れるかという若干の緊張。「練習を本番のように」の意識は、楽しさの観点からもいえると思う。模試であれ、自分が試されると思って試験を楽しめるとよい。
9月半ば、一日休息を兼ねて登山に行った。タイミング的にはちょうどよかったと思う。一日まるまる休んでしまうのは、この時が最後になったかもしれない。
高3秋の前半を概観すると、夏で頑張った成果のおかげで東大過去問に挑戦できるくらいの学力が付き、メンタルも良好だった。特に、10月に受けた東大本番レベル模試は数学の成績が伸びた。もともと数学がボロボロ(東大模試で偏差値46)だった僕が、数学において割と良い成績(東大模試で偏差値65)をとったのだ。すごい伸びだ。
これはどう考えても一学期〜夏休みの取り組みがあったからだろう。
ここで、夏休みを控える受験生がいたとしたら次のようにアドバイスしたい。
まず、夏休みは天王山といわれるだけあって重要な期間である。特に難関大志望者はここで苦手を潰すか得意を伸ばすか、いずれにせよ自分の成績に変革を起こすチャンスである。偏差値で爆伸びしろとは言わないが、たとえ偏差値で現れなくても、「苦手科目/分野の攻略」や「得意科目/分野の武器化」に関しては、夏休みに経験しておきたい。
辛いこともあるだろう。けれど、努力は結実する。いや、結実するまで努力せよ。
「必ず実る」なんて甘ったるいことをここでいうのはやめておこう。
「実るまで努力せよ。」そうやって受験当日まで努力を重ねる。なぜなら、受験生にできることはそれだけだからだ。
まあ、すこしくらいはオフを作ってもよい(基本的に甘ったるいことは言いたくないので受験生は事前にオフ日のことなどあまり考えないで欲しい。)が、ただ、オフ日に関しても「英語には触れる」のような「最低限ルール」を決めておくとよい。自分の場合は英語リスニングだった。
そういうわけで、夏の成果にすがりつつ、9・10月は安定感のある受験勉強生活となった。
高3・秋後半~揺らぎ~
11月ごろから流れが変わり始める。
ここまで、夏に数学の苦手を克服(一応そういうことにしておく)し、9月•10月には東大過去問の英数国を数年分解き、丁寧な復習まで行った。そして結果的に、10月の東進東大本レで東進模試にしては初のA判定が出た。学習の効果がしっかり現れ、英数国で勝負できるレベルに立てたのだと思う。
ちなみに、地理は学校のサポートのおかげで元から良く出来ていた。
ということで、残るは世界史だった。
世界史だけ、まだほとんど東大過去問に手をつけられていなかったし、範囲学習も完全とは言い難い状況だった。センラーレベルで8割超えるくらいの実力しかなく、記述型の知識やスキルもまだまだだった。
秋になると、模試でも地歴の重要性が高まってくる。
というのも、「英数国が夏明けに固まっている」なんていうのは、僕に限らず、見えないライバルたちも同様だからだ。現役生にとっては、この時期あたりから地歴の差が開き始める。
終わったから言えることだが、この頃地歴に目がいくことは正常であり、むしろこの時に英数国の過去問で太刀打ちできないとなると正直この先厳しい。
地歴が固まっているのなら別に良いのだが、たぶん現役生で地歴から先に固まる人はいないので、やはり英数国は夏から二学期前半くらいに型をつけるべきだ。
そして、もし型がついていたら秋から地歴ブーストをかけよう。万一型がついていなかったら、残された時間との戦いだと思って戦略を立て直そう。満遍なくやりつつも、効果が出るようしっかり演習&復習を繰り返すしかない。
一番ダメなのは、全科目が途上であるがゆえ、満遍なくやろうとして各科目の学習がテキトーになり、つまり、解いた問題の復習を怠ったり身についているかの確認をしなくなったりして、結果的に全科目が伸び悩んでしまうことである。科目を絞れと言っているのではない。全科目を満遍なくやるにしても、テキトーにこなしてはいけないという話だ。手段と目的を勘違いしないように。
世の中には、教材の「制覇」や「n周目」だとか、過去問「何年分」という言葉に気を取られる受験生が多いが、例えば「10年分はやりましょう」と言われて、テキトーに10年分解いたのでは意味がない。その場合、3年分でもいいから復習まできっちり行い自分の力に変えてゆこう。
ちなみに、自分はこの時からZ会の教材を解くのをやめた。9月号まではほぼ全て提出していたのだが、10月以降は自分で過去問を解き学校の添削をもらう、というサイクルが安定していたのでZ会の教材は不要になったのだ。これも、手段と目的を分けて考える例だと思う。届き続けるZ会の教材を無視するのは心苦しいが、別に「Z会をやれば受かる」なんて決まっているわけではない。あくまでも与えられた教材は一つの手段であり、やることだけ増やしても「もの」にできなかったら意味がないのだ。このアドバイスは特に秋の受験生に言える。
繰り返す。
「志望校までまだまだだ」と精神的に追い込まれても、「テキトーにこなす」ようになってはならない。手段と目的を区別し、しっかり自分の力を伸ばす勉強をしよう。過去問「n年分」などという言葉にはあまり執着しないように。
「きっちりやる」ことは精神的に苦しいかもしれない。学習の向上はすぐには表れないかもしれない。それでも、自分が「力を伸ばせるはず」と思う勉強をしっかりしよう。まあ、簡単に言えば、(復習から)「逃げるな」「甘えるな」ということである。
話を戻す。
世界史が発展途上だった僕は、頭がおかしくなったかのように世界史だけやり始めた。正直、英数国の自習はストップしかけていた。学校で英数国の演習機会はあるから別に良いだろう、と思っていた。(結果的には学校がある限りそれで問題なかった。)
とにかく世界史をやった。記述だけまとめる自作のミニバインダーを作った。「My世界史論述帳」みたいなものだ。東大世界史の第2問はほぼそのまま書き写し、第1問は意味的に区切って書き写し、単語や注意点の解説を付した。ひたすらやった。(補足.このくらいの時期には学校でも論述対策をしてもらっていた)
0から作り始めたバインダーが分厚くなっていくのが楽しかった。
完全自作なので、ついつい開きたくなった。気づいたら暇な時はいつも持ち歩いていたし、登下校中もよく見るようになっていた。時に音読した。
だが、やはり世界史の学習範囲はとてつもなく広い。全範囲カバーなんて考えられないくらい大変なことだった。少しだけ、心が折れかけた。
この時に僕を助けてくれたのもやはりN君だった。彼と一緒に世界史の問題を出し合いながら学校に通った。世界史は友人と学習するにはぴったりの科目だ。友人と世界史を学習することは、この例に限らず、受験生時代の楽しみの一つになった。
ちなみに、世界史の良い学習方法は、僕にはわからない。自分はこれでうまくいったが、効率の良い学習法はほかにあるような気もするし、方法ごとの覚えやすさは人により異なる。自分で見つけ出そう。
とにかく、僕の場合は模範解答を書き写すくらいしかできなかった。時に複数の予備校やネット上の解答例を見比べて精査した。また、異なる問題同士を意味や時代で結び付けて理解するよう心掛けた。論述ではおそらくこういったポイントが重要になる。
なぜこの学習をしたか、だけお話ししておこう。
まず、世界史論述の基本は中論述だ。マーク式とはまた違う頻出テーマがあり、ある程度テーマごとに書くべき流れやポイントが決まっている。一番良い例はフランク王国とローマ=カトリックの接近あたりだろうか。
そして、いわゆる大論述は、中論述ができない人には厳しい。
というわけで、世界史論述の選択者はだれでも「中論述の引き出し」を自分の中に増やしていかねばならない。
解答を音読して覚えるという人もいるらしい。しかし僕は手で書きたかった。手で書くからこそ覚えられる用語や漢字もある。世界史は煩雑なカタカナ用語も多いので書いた方がよいときも多い。自分は秋ごろまでダーダネルスをダーダルネスと勘違いしていた。音読ばかりだと、少し危険かもしれない。
また、教科書を音読して覚えるという人もいるらしい。僕は間に合わなかった。(ただまあおそらく、そのようにして論述の定番の書き方を覚えてしまえばよい話なのだ。)
ここで、僕の学習法の最大のメリットは、増えていくごとに自由に追加できることだった。ノートだと、後ろのページに新しく作ったものがたまっていくだけだ。しかし、バインダーの場合、時代やテーマごとに整理しながら追加できるのである。僕は「列強編」と「非列強・前近代編」の二冊に分け、時代順に追加していった。これがとても見やすく復習しやすかった。
これ、お分かりだろうか。
頑張ると、My教科書のような「世界史(ほぼ)全史」が完成する(はず)なのである!
この作業にははまった。アホみたいにやった。これを、最終的には入試直前まで続けた。(直前期は字で書く時間が惜しくて効率の良いPC作業に移行したが。)
そんな中、11月の東大実戦を受けた。
ここで、揺らぎが起きた。英語のリスニングが壊滅的な点数だった。得意の英語が、ほとんど初めてだろうか、足を引っ張った。結果としては偏差値が55を切った。全体が64.4なのに、今まで一番の得意科目だった英語で、この偏差値だった。ちなみに地理はこの時が東大模試の最高値偏差値73.5で全国7位だったが、それだけ勉強した自負はあったのであまり気に留めなかった。
それより、英語のリスニングにショックを受けた。
毎日やると決めていたのになんで取れない。
モヤモヤが続いた末、分析・反省の文をつらつらとまとめて学校の英語の先生に相談した。
このときなぜここまでできなくなってしまったのか自分でもよくわからない。今でも少し謎。だが、いちおう失点の原因を分析した結果、自分の中で結論は出た。「『解く』段階の訓練が必要」というものだった。
出た結論に従い、学習に励んだ。まず、単純に得量を増やした。そして倍速やノイズ音も組み合わせて対策した。
しかし、どうだろう。今振り返ってみると、その原因分析&計画と同じくらい、いやそれ以上に、そのメールへの先生の暖かな返答文に励まされたものだ。受験生のメンタルは弱い。特に入試まで100日を切るこの時期、周囲のサポートは非常に重要だと思う。今も先生には感謝しかない。
さて。英語以外の面では、やはり個人的な注目は世界史だったのだが、成績的にはまだまだだった。いくら集中的にやったとはいっても成績に現れるほどではなかった。もう少しの辛抱かな、と思いながら世界史論述の対策を進めた。
概観して、11月駿台東大実戦は、なんともいえぬものだった。A判定はギリギリ死守したが、調子はあまりよくなかった。いつ周りの受験生に追い越されるかもわからない。いままでA判定だった自分は、「追い越されてしまわないか」という謎のプレッシャーを背負っていた。
共テ模試も微妙な気分で、とりあえず受けに行った。理科基礎ができなくて、危機感を覚えた。
小さくなっていく日数のカウントダウンの数字に緊張感や不安も高まっていった。
学校の授業が終わりに向かいだした。12月で学年末試験なので、11月いっぱいでもう授業は締めの雰囲気だったのだ。
実力的にはまだまだなのに、学校から離れなければいけないのも、変な気分だった。
当時、よく聞いていた曲。僕の心情が重なる歌詞だった。
https://www.youtube.com/results?search_query=slide+away
この時にメンタルが揺らいでいたのには、また別の事情もあった。
私大である。
私大受験は元から考えていたが、大して対策は積んでいなかった。
赤本だけ買ってあったので試しに解いてみた…..結果、惨敗。
早慶の壁は高かった。無理だと思いかけた。心が折れかけた。
特に早稲田法学部の問題は難しく感じられた。
受かるだなんてさらさら思わなかった。
こうした事情から、11月は「揺らぎ」の時期だった。
とはいえ、やはり仲間がいたからどうにかなった。ひとりじゃむりだ。
仲間と、「いよいよこれからだね」と雰囲気の中、前を向いて歩み続けた。
特にN君。ここでも君には感謝を告げておこうと思う。ありがとう。
学年末試験が終わった。
ほとんど記憶にない。
もっともっと大事な試験が迫っていたから。
しかし、人生で初めて、生き方の試験の記憶だけ残った。「自分の世田谷学園生活での相承」というテーマの自由論述だった。あの問題は、ひとつの思い出かもしれない。
高3・冬~共テへ~
高3の冬は何といっても共通テスト対策である。
祭りとまで言ったあの共通テストが、ついに本番まで一か月。
人生最後の共通テスト模試は、自信ありげで行ったくせして85%を割った。やはり、まだまだだった。
となれば、もうやることは決まっている。東大二次力を残しつつ、また、依然として不安な私大の存在も念頭に置きつつ、私大マーク式と共通テストを組み合わせた対策を考えた。
夏休みと同様、冬休みの計画表を立て実行していった。
が、今回は私大にそこまでエネルギーを割けなくなってしまった。といより、早慶に受かる自信がないにも関わらず、結局共通テスト対策に集中してしまった。正解かはわからない。
自分で選んだ選択を、自分で正解にするしかなかった。
やるからには、本気でやった。
自分にとっては特に、3年目となる共通テスト全科目受験だ。自身の共テ人生の最終回だ。
(←もはやオリンピックに向けて調整するスポーツ選手の気分だった。)
冬休み中に共テをできるだけたくさん解いて復習した。
その際、間違えた問題をすべて、ひとつ残らず「失点原因」「反省」へとまとめ直した。時間はかかったが、これが一番良い学習方法だという確信があった。
これをやり続けた結果、10ページ分の、教訓点合計 1189点が蓄積された。冬休みに僕が間違えた問題の点数の合計である。言い換えて、これが冬休み中に僕が成長できた伸びしろである。
世界史はセンター過去問も黒本に載っているだけ解いた。
そんな感じで、共テに向けては数をこなし、誰よりも復習をしっかり行うことで最後まで成績を上げられるよう最善の努力をした。
そんなあるとき、いつものように近所へ走りにでかけた。
雁が飛んでいた。あの雁にとって世界はどう見えているだろう。あの雁は時間というものを知っているのだろうか。
時の流れというものが不思議だった。あと一か月後共通テストが終わってるだなんて、なんとなく、変な気分だ。
そうやって、2022年が、幕を下ろした。
当たり前だが、人生で一番勉強した一年だった。
それと同時に、とても楽しく充実した一年でもあった。
ここまでが、僕の物語の長い長い助走と離陸の道のりである。
さあ、もう時は満ちた。
飛べ。
【③飛翔編】へ続く……。
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