世田谷学園から塾なし現役で東大へ【①助走編】
はじめに
いきなり中高の名前まで出してしまった。
というのも、このnoteを書く動機は「東大合格」を傲慢に宣言したいからではまったくない。むしろ自分の中高、世田谷学園に在籍する後輩たちが充実した日々を過ごすための一助となれば、という動機からだ。
今、この文章を書いているのは2023年3月23日。
繰り返すが、東大合格の自慢ではない。
僕が世田谷学園在学中に見てきたもの、トライしてきたこと、仲間たちと歩んできた足跡、そういったことをこの機会に書き残しておきたいと思う。
まず、話の前提として自己紹介をしておく。
僕は、世田谷学園中高に6年間在籍し、中3からは特進クラスだった。
中3終わり~高1はじめはまさにコロナ禍。そこから勉強に本腰を入れ、高1の一年間で成績が著しく上がった。高2の時は高1での蓄積にすがって獅子児祭に集中。第56回獅子児祭実行委員代表を務めた。高3の時には東大文一を志望し仲間とともに「塾なし予備校なし」で受験勉強。途中、卒業アルバムの作成などに携わって充実した学園生活を過ごし、最終的には東京大学文科一類に合格した。簡単に言ってしまったが、それまで友人・家族・学園の先生方をはじめ本当にたくさんの方にお力添えいただいた。自分だけではこんな素晴らしい経験はできなかった。感謝感謝である……。
では、中3くらいから僕の生活を振り返ってみようと思う。
中3~プロローグ~
勉強の中心は、学校の定期試験だった。
あの時に定期試験の勉強を全力でやろうとしたのが、とてもよかった。また学校外の勉強としては英検二級の学習を自分で取り組み、一発で受かった。性格上、受けて落ちるのは嫌だったので英検に関してはすべて一発で受かるよう本気で臨んでいた。当時そのくらいの本気度で取り組めたのは、逆に言うと英検と定期試験くらいしかないが、この二つがその後も一番役に立ったことは言うまでもない。
中学の勉強を定期試験のためのものと思っている中学生が少なくないが、大学受験まで活きることをここで明言しておきたい。中高の授業には、基本的にやって損な科目はあまりない。倫理だって結局大学受験の現代文を読むのに必要な知識になるし、東大英語だって中学英語ができなければ一生できない。むしろ「中学英語かよ」というような問題も大学受験に出る。意外と見落としがちなのは、あとは漢字や理科基礎あたりだろうか。中学時代、英語と定期試験を励むべきであり、数国はそこそこできるようにしていたい。特段難しいことではない。真面目に定期試験の勉強をしていればいい話。文系にとっての理科基礎、理系にとっての地理・公民なんて、中高時代の定期試験が解けるなら共通テストも解けてしまう。「どうせ高校三年生になったら忘れてるでしょ」と思うかもしれないが、中高時代の定期試験をしっかりやっていた人は、それだけの蓄積が大学受験での武器になる。
ここまで定期試験勉強をしろとしか言っていないが、本当にそれでいいのだ。中学生時代、僕は定期試験を極めるにはどうしたらよいかを考えた。その結果、各科目において自分に合った勉強法が、だいたい、見え始めていた。そしてそれが、大学受験の下支えになった。何かの勉強に本気で取り組んだことのない人は、大学受験のハードルを自分で高めてしまっているのと同じだ。中学時代にやった勉強内容が高校の学習内容につながるのはもちろん、中学時代に確立した勉強方法が大学受験にまで生きるのだ、ということを記しておきたい。
さて、大学受験から振り返っているせいで、勉強の印象ばかりになってしまいがちだが、別に勉強ばかりしていたわけではない。
部活の硬式テニスにも出ていたし、趣味はカメラだったので、休日にはとにかく東京中を歩き回って写真を撮ってまわっていた。中学の友人と一緒に出掛けて写真を撮りに行ったのも良い思い出。
楽しかったなあ。
ところで、「勉強」という言葉は「勉めて強いる」と書く。「強いる」だなんて嫌な言葉だ、と言う人が多いが、僕はこの言葉をためらわず使う。僕にとっての勉強は、「勉めて強くなる」であり、学んだことは、間違いなく今の自分の強さになっていると思うからだ。漢字の由来なんて正直どうでもいい。強くなるための勉強を、ぜひ全力で楽しんでほしい。
話が逸れた。
中三で英検2級を取得した頃から、大学受験を意識し始めた。
英検2級は一応「高校卒業レベル」とされているが、大学受験英語はどんなものなんだろう、という好奇心からだった。
そして大学受験界で有名な「ターゲット1900」をやり始めた。
個人的にはあまり良い単語帳だとは思わないが、手段はどうであれ単語は覚えねばならないものだ。というわけで、頑張って覚えた。頑張って、といっても、周りより自分が一歩進んでいる感じがして少し楽しかった。
簡単に単語学習のアドバイスをしておく。
・絶対に音と一緒に覚えろ!(発音を知らずに覚えるのは損)=音声を聞きながら覚えるとよい
・例文は載っているものを見るだけでなく、自ら調べたり、組み合わせたり、作ったりしてみよう
・覚えた単語で見た目や意味の似ているものはメモしたりまとめたりしてみよう
・文章の中で覚えるタイプの単語帳は、リーディング教材やリスニング教材としても活用してみよう
・ターゲット1900の「タゲ友アプリ」や、章ごとについている確認テストなどを利用し、覚えた単語の定着を確実なものにしておこう
この詳細は以降も述べる。強調して言いたいのは、単語暗記を苦行ととらえるのはやめて、楽しい作業と思った方がよい。(体育会系のマインドを持ち合わせている人は、苦行を楽しむと思ってくれてもよいのだが。)
話を先に進める。
高1・春夏~コロナ禍~
中三の三学期にコロナで休校になった。たくさん遊びに出掛けた。今思えば、中高時代で一番活発に自由時間を過ごした。中学の友人と丹沢へ登山に行った。きれいだったなあ。
さて、休校を楽しんでいられる日もそう長くはなかった。
海外ではロックダウンが普通になり、日本でもステイホームが一般的となった。
しょうがないので、家の中で写真を撮ったり映画を見たりしていた。いかに時間を使おうかと思って少しワクワクした。またこの時、感染症の歴史とコロナを結び付け、これからの世界がどうなるだろうと考える、という趣旨のレポートを書き始めた。誰かに書けといわれたわけではない。時間がありすぎて、なんでもできる気がした。本当に良い機会だった。
そんなこんなで自分なりに楽しみ方を見つけて過ごしていたコロナ禍、気になるニュースがあった。
なんと、コロナで大変なこの2020年から、共通テストなどという新しいタイプの入試が始まるというのだ!!
これは、、よくわからないが、共通テスト対策本とやらを買って様子を見てみようではないか!!!
という動機から、2020年5月に上の参考書一式を準備。
長くこれで勉強することになる。
こちらは当時の僕を支えた曲。Bon Jovi の These Days。哀愁漂うメロディーに今の時代への嘆きを乗せつつ、力強いボーカルでひたむきに未来を求める。。。ような、そんな感じがした。コロナ禍にぴったりだった。
というわけで、この曲を聴きながら、あとビリーアイリッシュもよく聞いた。そんな感じで、
・鉄壁
・英数国の共通テスト対策(主に数学)
・古文入門
・英語長文問題集
・速読英熟語
をやりまくった。やりまくったといっても、とくに鉄壁を全力でやった。
朝昼は国語と数学の勉強をして、夕方走りに行って、帰ってきて、夜ご飯を食べて、夜はたいてい鉄壁に向き合った。
さて、鉄壁をご存じだろうか。
かの有名な鉄緑会という東大専門塾みたいな組織が作った、ぶ厚すぎて辞書と勘違いされがちな単熟語帳である。
大学受験生にもリタイア勢が続出することで有名な単熟語帳であり、あるとき僕のクラスメイトは、鉄壁を買ったもののページを開きもしない多くの友人の状況を風刺し、鉄壁を「オブジェクト」と呼んだ。
まあ、それが鉄壁である。
コンセプトはしっかりあって、よい単語帳だ。
悪いのは、鉄壁ではない。
やる気のある者は正々堂々と向き合うことを強く勧める。
(逆に言うと、やる気のない者には全くもって勧められない。)
歯ごたえがすごいが、やった分だけ絶対に力になる。
勉めて強くなる、まさに勉強だ。
といっても、眺めるだけでは頭に入らない。。。というわけで、僕は知らなかった単語すべてに自作の例文を付すことにした。また、だんだんと発音記号を読めるようになったので、まずは本を見て発音してみて、その後一応weblioで調べて音を聞いてみる、というような学習をした。CDを早く買っておけばよかった。。。と思わなくもないが、発音記号を読む訓練にはなった。(おすすめはしない)
とにかく、この知らない言葉に例文を付す作業に時間がかかった。
が、考えてみてほしい。
なんとなく眺めて、「intrinsic: 本来備わっている」というように訳語を照らし合わせて、本当に頭に入るだろうか?そして、そうして覚えた一対一対応の語義は、あとから役に立つだろうか?
一方で、例文を作る練習の際には文法にも注意を払うことになる。動詞には多くの場合語法があって、例えば不定詞と特別相性が良かったり、固有の使い方があったりする。一対一の訳語対応では、こういった知識を抑えることはできない。だから例文なのだ。そして、例文をいざ「作る」となると、品詞にも意識が向く。少し難しそうに聞こえるかもしれないが、自分で作った例文は人の作った例文より覚えやすいに決まっている。
0から生み出す必要はない。
与えられた例文やネットで見つけた組み合わせのまねっこでいいから、作ってみるのだ。
例えば当時の僕は、pledgeという単語で次のような例文を作った。(もしかしたらどこからかの引用と同じかもしれない)
He pledged to keep the secret.
これは、鉄壁に載っていた例文、
”He pledged to abstain from drinking once and for all”
の下位互換でしかないが、これでいいのだ。後者は他の英語表現も入っており文として充実しているが、自分で作ったもっと簡単な文で覚えられるのなら、それでよいのだ。
単語学習は、体でやるものだ。動作動詞は体でその動作を実際に行いながら発音してみよう。例文はすべて声に出して読んでみよう。声を出しながら勉強して、いや、ジャンプしながらでもいい。そのくらいのテンションで楽しくやろう。
6月ごろまで一人でこんな生活を続けた。
コロナ禍をうまくいかせたものだと思う。
そしてやっと、学校に戻ることが許された。
また、6月には人生で初めて駿台全国模試を受験した。一科目100分、長いなあ、と思った。長かった。結果は、イマイチだった。数学の偏差値は50を切っていた。英語だけ、そこそこ、という感じだった。
高1・秋~友と誓った二つの挑戦~
6月の第一回駿台模試は、イマイチと書いたものの、東大文系でC判が出た(英語のおかげ)。驚きだった。今までは、なんとなく大学受験というものを覗いていただけだったが、模試を経て、自分がプレイヤーになったように感じた。
東大に思い入れはない。東大に行けと周りに言われたこともないし、そんなことは考えていなかった。とにかく、偏差値とやらが出るなら、上げてみたいと思った。判定とやらが出るなら、どうせならA判定をとってやろうと思った。
この時の僕を支えてくれた友人に医学部志望のI君がいた。僕と彼は互いに、秋の第二回駿台模試で志望大学のA判定をとることを誓った。また、僕も彼も、英検の準一級に申し込み、この二つに向けて学習を始めた。
僕は塾に通っていなかったので(というかまあこの後もずっと通わないのだが)、Z会の通信教育で英数国をやり、数学はフォーカスゴールドも使って固めていった。
しかし、A判定をとると決めた以上、なあなあな勉強では済まされない。
しっかり、傾向と分析により対策を立てなければならなかった。
各科目についてネットやYouTubeで情報を収集し、参考書を決め取り組んだ。
英語に関しては、英検準一級のために単熟語帳をボロボロになるまでやった。その単熟語帳は長文付き・音声付きだったので、リーディング対策・リスニング対策にも使えたのである。単熟語帳なのに、ほとんどあの本だけでも英検準一級の勉強になっていた。
夏に一周し、その後は復習で数周し、やがて英検の過去問を解きまくった。直前期は一心不乱に英検対策をした。本番の大学入試かよ、というくらい本気だったと思う。
それだけ本気になれたのは、なにより一緒に頑張ってくれる友人がいたから。ただ、受かるかどうかは自分次第だ。当時の僕は、受かるか受からないか、ぎりぎりのレベルだった。だからこそ、どうにか届くように頑張ろうと思えた。余裕はなかったからこそ合格にこだわって勉強できた。
今振り返って思うが、「今回ダメなら次の回で受かればいいや」は一番ダサい。「今年だめなら来年でいいや」というダメ浪人生と同じである。決めたら、一心不乱に、やるのである。
ただ、別に苦しいことではない。本当に楽しかった。24時間自分のそばに単熟語帳を持ち運んだりしていた。異常かもしれないが、それだけ本気だった。
本当に受かりたかったから、過去問の他に対策問題集も買って何セットか解いた。
というわけで、英検準一級は高1秋の回で一発合格を果たせた。ちなみに、I君も高1のうちに準一級を取得している。
(後からわかったことだが、高1で準一級を取得できた場合、東大・医学部への合格可能性が爆発的に伸びる。厳しい現実だが、高3でやっと取得できたというような人は、東大・医学部には正直手遅れだと思う)
さて、英検はおしまいにして、模試の話に戻ろう。当時の僕の日程は次のような感じだ。
前述のとおり、秋の駿台模試ではA判定をとると友人同士で誓っていた。
というわけで、英数国の総合的な学習も頑張った。
ネクステで文法を固め、
ぜんぜん点数の取れないZ会の添削をめげずに出し、
Z会の教材をノートにまとめなおして復習した。
そして、その結果、
宣言通り、駿台模試で東大文系A判定を取った。
I君も、志望大医学部にA判定が出た。
嬉しかった。やった分だけ報われると思えたし、この時の成功体験が、これから東大受験まで僕を支えることになった。I君には感謝しかない。
さて、この時期に僕は自分だけのノート法を身につけた。
一度出会った問題の問題文・自分の解答・模範解答をまとめて分析し、次に類題と出会ったときには得点できるようにする、というような、そんなノート法である。時間こそかかるが、この時に確立したノート法は、結果的に東大過去問の復習ノートに引き継がれた。やった分だけ力になったのは、あのノート法のおかげだと思う。
ちなみに、この高1秋の時期には、こんなnoteも書いている。↓
とても楽しい日々だった。
勉強の話をしすぎて、すっかり勉強しかしていないように思われるかもしれないが、そんなことはなく、
弁論大会に出場したり、獅子児祭で有志の活動をやったりもしていた、ということも付言しておく。
勉強だけでなく、いろいろやるのが、楽しかった。
高1・冬~大学受験チャレンジ!~
第三回の駿台模試ではさらに成長を遂げ全国二桁の順位を取れるようになった。だんだん大学受験が見えてきて、波に乗っていた。高1の一年間でだいぶ変わったものだなと思った。
この期間のことは、正直覚えていない。秋の記憶が強すぎるのかもしれない。
冬休みは、ネクステを何回も解いていた。
洋書を読んでnoteを更新していた。英語学習が半分趣味になってきた。
というわけで、いい波に乗った僕は、共通テスト同日体験を高1から全科目受験し、2月には英語のみだが東大入試同日体験も受験した。これがまた良い経験で、「自分、意外といけるんじゃないか」と思わせてくれたし、何より大学受験生じゃないのに先取りして大学受験に参加している感覚が楽しかった(異常)。そんなこんなで高1が終わった。東大入試の英語はなんだかんだ半分くらいとれたけれども、まだまだ学ぶことは沢山あるなと思えた。
このころ、勉強の記憶があまりない。。。のは、実は、実際そこまで勉強をしなくなったからかもしれない。僕はクエストエデュケーションという教育プログラムに参加していて忙しかった。これにも本気で取り組んだ。自分でも思う、いろいろやりすぎである。あたまおかしい。。。
だって、こんなときに
動画編集して
登山してるし。。。
高2~いったん勉強を忘れる~
ここまでの流れをまとめると、以下のようになる。
中3一年間・・・定期試験と英検はしっかり勉強。
高1一学期・・・勉強スタートダッシュ!!
高1二学期・・・本気で勉強!(英検・駿台模試)&弁論大会・獅子児祭
高1三学期・・・ゆるく勉強(大学受験チャレンジ)&クエストエデュケーションなど
というわけで、いろいろやりながらもどうにか好成績に持ち上げることができた高1だったが、高2では、なんと、勉強からだいぶ離れてしまう。
なぜかと言えば。。。
そう。獅子児祭である。
高校2年生になると、世界史と地理の授業が始まり、大学受験を見据えた授業展開になる。世界史は、大学受験に役立つよう試験範囲を記述式でまとめ直すなど丁寧に勉強した。そして、相変わらず、学校の授業については中学生の時と同じような定期試験対策をした。
しかし、獅子児祭で実行委員の中心核となってしまった僕に、大学受験を見据えたプラスアルファの勉強をする時間は無くなってしまった。
これは別に後悔すべきことでは全くない。むしろ、三年間受験に向けて走り続けるのは無理だから、ちょうどよい気分転換のようなものだった。
というわけで、高校二年生の一年間は、勉強を最低限のことに絞り「駿台模試で東大A判定の維持」を目標とした。
勉強は、戦略で抑えた。
それぞれの科目・分野について、これをやればええやろ、というリストを作り、それだけ実行していった。
そして、夏休み、なんと新しい問題を解く手を緩めた。英文法の問題集は新しいものを使っていたが、数国に関しては、模試・テスト・Z会教材の復習に絞ったのである。もともと高1から復習ノートを作ってあったので、そこに載っている問題を解き直し、できるようになるまで何度も演習する。6冊分くらいになっていたノートを、夏休みいっぱいかかってやっと見直し終わった。そんな感じだった。
夏休み中にはzoomを介した獅子児祭の準備や打ち合わせもあり多忙だったが、素晴らしい仲間と素晴らしい時間を過ごせたと思う。
そんなこんなで夏が過ぎ、いや、二学期もそんな感じで過ぎてしまった。学校は、定期試験をいい感じの点数で乗り越えていただけだった。
そして、模試の方は、最低限の学習だけでA判定を維持できた。
これは高1の時の復習ノートのおかげである。僕が天才だからではない。高1の時の知識の蓄積を使える力に変えていったからだ。でも、本当に、それだけで高2の内容にまで通じたのである。
これは別に不思議なことではなくて、高1の駿台模試を完璧にすれば高2の駿台模試も取れるようになるのだ。僕のノート法は「類題が出たら得点できるようにする」ものだったので、このノートだけで十分力を伸ばすことができた。
また、高2から学習を始めた世界史は新鮮で興味深く、大学受験関係なしに楽しかった。友人とともに博物館へ赴き、世界史で学んだ内容を現物で確かめたこともあった。
11月、獅子児祭が終わった。
少しだけ寂しくもあったが、そろそろ大学受験や!という意気込みを持てた。
今振り返ると、受験勉強だけで精一杯になりがちな特進クラスの上位層も、しっかりと獅子児祭に参加して自己犠牲(笑)を払ってくれていた。それが良かった。獅子児祭を共にやり切り、これから大学受験!という雰囲気が醸成されていたし、それが嬉しかった。
そしてここから、いよいよ「受験生」になる。
高2・1月~共テ一年前の挑戦~
年が明けた。
「これからの一年は大変な一年かもしれないけれど一緒に頑張ろう」なんていう趣旨のLINEを何人かと交わしたのを覚えている。塾なし・予備校なしで学習するつもりだった僕にとっては学校の仲間がそう言ってくれるととてもハッピーだった。
受験生になるにあたり、まず最初の関門は共通テスト(同日体験)だった。
まだ地歴が固まっていないのは当然なので、目標は英数国で80%、とした。というか、学年の先生がそう指示していた。
年末年始以降、自分と同じく塾なしで学習を進めていた友人のN君と点数報告をしながら本格的に共テ対策を行った。毎日模擬問題を解いて点数を報告し、感想や反省を共有していた。(まさに切磋琢磨!)とはいえ、英数国80%というのは当時の僕らにとってはとても高い壁であり、たいていの会話は「こんくらいしかとれんかった」「8割取れねえ。萎え。」「ムズイ。。。」のような感じだった。ある時はあまりに落ち込んで「8割なんて無理そうです」と先生に弱音を吐いた。ダサいけれどそんくらい「8割」という言葉が頭を占めていた。
学習の中心は予備校の出版している共通テストの模擬問題だったが、これは難易度にばらつきもあり、また駿台あたりはたいてい難しかった。
しかし、目標に届いても届かなくても共通テストは祭りである。
高1でも高2でも、受験生と同じ土俵で勝負できる。しかも日本国内においてはおそらく最大規模の試験だ。楽しむしかない。
そう、共テは祭りなのだ。
そうして、できるだけの対策をして、同日体験を受けた。
受験生でもないのに、気合いをもって会場に向かった。
結果。
数学は驚きの難しさだった。
(実際、この年の数学はとんでもない難化で、歴史に残るくらい受験者平均点が低かった。)
数学のせいで、英数国の平均は8割に届かなかった。しかし、数学が難化していたせいということもあり、偏差値や志望校判定となるとわりかし良い結果だったように思う。
しかし、当時の自分にとって一番大事だったのは、私大の共通テスト利用だった。
共通テスト利用とは、会場受験なしに共通テストの点数のみで合否を決める私大の入試形式だが、高校2年生の時点でどの大学まで共通テスト利用の合格を出せるのか試したい、というのが、実のところ、当時の僕の目論みだった。
共通テスト数日後に、複数の予備校によって「共通テストリサーチ」なるものがでる。
受験生でない限り大学への出願はできないので、予備校により発表されるボーダーラインで合否判定を(勝手に)行った。
明治の法学部までは合格ラインに達していた。
これで、来年も共通テスト利用を使えるかな、と思った。
しかし、もちろん上智や早稲田には届かぬ点数だった。
特に、早稲田大学の共通テスト利用は9割を要求する学部もある。早稲田大学政治経済学部となるともう最高峰で、夢のまた夢のように感じられた。
例えば、早稲田の政経に共テで受かるには、一年間で+15%程度伸ばさねばならなくなる。(うわー無理そう。。。)
でも、共テ本番を一年後に控えた僕は、「早稲田を共テ利用で受かったら、かっけえな。」と思ったものである。
「政経は無理でも、どこかの学部で、早稲田に引っかかったら……。」
そう思えただけでも、高2から共テに本気で取り組んだのはよいことだった。
また、過去に先輩が「早稲田の共テ利用は9割なきゃ無理。微妙な点で出願するのは金の無駄です。」と書いていたこともあり、逆に共テ利用で早稲田に受かってみたいという情熱が沸いてきた。
「今の実力がどれくらいか見たい」といってノー勉で共テ同日体験を受ける人もいるだろうが、僕は高1も高2もある程度本気で対策をしてみるべきだと思う。やはり本気で取り組んでどこまでいけるかどうかが重要だ。そこからしか学べないことがあるから。今後一年間の指針もそれでこそ見えてくる。
高2・2月~いよいよ受験生~
さて。共テを乗り越えた2月は試験でいっぱいだった。
2/5の全統模試は思い入れこそそこまでなかったが、一日中、仲間とともに(←学校団体での受験だったためクラスメイトと隣同士だった)試験を受けているとなんだか感慨深くもあった。国公立文系・地歴2科目受験の僕らは、最後の最後まで残る数少ないグループだったのだ。科目が進むにつれ受験者が去っていく教室は、寂しさよりも、残された者の仲間意識で満たされているようで、すこし嬉しかった。帰りには、夜の町を見て、「ああ、自分ももう入試まで一年を切った受験生なんだな」と思ったものだ。友人とともに駅まで歩きながら、この先一年に思いをはせた。一年、仲間とともに歩んでいこう、と決心した。
2/13の駿台模試は、高1から取り組んでいた駿台全国模試の最終回とだけあって、ある程度の好成績を収めたかった。が、残念ながら記憶はあまりない。その代わり、模試の前後に、「模試を受けすぎて、復習が追い付かねえ!大変だあ!」と思いながらランニングをしていた記憶がある。
そういえば、高1のコロナ禍に始まり、現在でも、予定が空いている日には、近所で5km程度ランニングしている。受験生活を支えた良い習慣だ。その間に脳内をリフレッシュできるのでぜひオススメしたい。
さて、2月の最後は東大入試同日体験だった。
花粉症で鼻が詰まった中で受験した。数学はイミフだった(11/80点)。英語だけそこそこ(68/120点)。国語は大して点が取れず、古文が1/30点しか来なかった。合計で139/440点だった。正直、渋いな、と思った。可能性は低くはないが、東大には全くもってほど遠いい。対策を積んだわけでもないので当然だが、しかし、「全然解けねえ」というショックは良くも悪くも、貴重な体験だったと(今振り返って)思う。
復習は、一応しっかり行った。でもやっぱり、「東大入試むずすぎ。わかんねー。」という感覚が残った。
……これ、一年後できるようになるわけ??
高3・春~受験生デビュー~
春休みは、高2までを固めるというより、難関大の受験勉強の入り口、といったような学習をした。林修や村瀬哲史の講義(厳密には二月末)に一度だけ行った(が、それ以後行くことはなかった)。それと、Z会の教室が主催する東大入試の解説講評や駿台の東大入試分析講演会にも足を運んだ。情報を集め予備校を回った。いろいろ勧誘も受けたが、高校に素敵な仲間がいて、今までも塾なし・予備校なしである程度やってこれた、というわけで、結局、どこの予備校にも通うことはなかった。ちなみに、村瀬哲史の講義を受けた感想は、「世田谷学園の授業と大差ないやん!」だった。一流講師にあこがれる高校生も多いが、結局やるかやらないかは自分自身だし、優れた先生は自分の高校にもたくさんいるはずだ。ちなみに、林修の「いつやるの?今でしょ。」は耳にしなかった。(聞いたところで何の得もないが。)
話を戻すと、情報は自ら積極的に集めるべきものである。僕は春休みの時間を勉強より情報収集に割いた感じもあるが、悪い選択だったとは思わない。大学受験はある程度情報戦だ。ちなみに、この時の僕はすでに私大のスケジューリングも何となくできていた。本当に、何となく、だが、受験方式などはこの時までにある程度把握できていたように思う。
高3・一学期~スランプ~
4月。学校が始まった。
突然一気に苦しくなった。
数学が、特に苦しかった。学校の授業の予習で精いっぱい。
塾・予備校に通っていたクラスメイトは特にひいひい言っていて、半分放棄するやつもいた。
でも塾・予備校に行っていない僕は学校に食らいついて頑張るしかなかったので、必死に勉強した。
朝、早起きして学校へ。始業前にクラスで共テの模擬問題を演習した。
登下校の際には、古文単語帳を見ていた。帰ってからは共テの復習をして反省点や新たな知識をルーズリーフにまとめた。点数を集計していたのだが、思った点数はなかなか取れず、精神的には割と苦しかった。
授業中も大忙し。数学の授業で扱われる東京一工の入試問題、特に京大の問題は当時の自分にはとても難しく、授業を理解するだけでも大変だった。授業を理解することに集中していると板書に後れをとり、授業後も教室で一人ペンを動かし続ける羽目になった。体育の授業の頭に食い込んで体育館やグラウンドに遅刻したことも多い。(ごめんなさい。)
数学は、予習・授業・復習、どれをとっても大変だった。
しかし、数弱のくせして東大志望の僕にはあの鍛錬が必要だった。学校があそこまで厳しくやってくれなければ、塾なし予備校なしの僕は受験に失敗していたかもしれない。今思えば、感謝、である。(当時は、ぜえぜえと苦しさしかなかった。)
ところで、世界史の授業の予習では知的好奇心が爆発し時間がかかりまくってしまった。地歴は授業中もものすごく楽しかった。
さきほど、しつこく苦しい苦しいと書いてしまったが、学校には素晴らしい先生方や友人がいたので、学校は好きだった。
それに、5月には、友人と東大の5月祭に行った。けっこう楽しかった。
楽しかった。
たしかに、楽しかったのだが、
やっぱりあのとき、勉強はキャパギリギリだった。メンタル的にというより、「やりたいこと」が全然終わらずに苦しんでいた。夏前の僕は、「ワクチン接種の副反応、東大五月祭、模試のため休日の勉強時間確保が困難」だった、と5月を振り返っている。
それに加え、睡眠時間が少なくなっていた。
これはよくなかった。一番短いときは5時間あるかないかくらいだった。
そのせいだろうか。
5~6月くらいに、スランプに入った。
少なくとも、自分では、そう思った。
まず、やる気が減退した。ぜえぜえ数学の授業についていくのが大変すぎて悟りを開きそうになった。
また、合格者の体験談を聞いて心にもやもやが残った。他人と比較して、かえって自分は努力のコスパが悪いのではないかと思った。
5月に受けた全統模試も、特にどうということもない結果だった。むしろ、共テの点が全然伸びず腹が立った。毎朝やっているというのに。
さて。当時は学校の予習復習に精いっぱいすぎてスランプを自称していたが、冷静に振り返ってあれはどういう状況だったのだろう。
まず、スランプの原因として考えられるのは、
・やること多すぎぃぃぃ(全部)
・授業の予習辛すぎぃぃぃ(数学・世界史)
・授業についてくの大変すぎぃぃぃ(数学)
・毎朝解いている共テの点が伸びなくて萎え(英数国)
・授業の復習が終わらねぇぇぇ(数学)
・もっと基礎的な問題もやらなきゃやばいやん(数学)
といったところだが、いやそもそも
・睡眠時間が短い
・太陽光をたいして浴びてない
という身体的側面も悪影響しかなかった。
なぜこの時期にスランプだったかは案外単純だ。
この時期には突如として自分の向き合う問題の質が高まり、量が増えていたわけである。そんな中、成績がどんどん伸びるわけがない。勉強が大変な割に成績は停滞してしまうのだ。
ただ、このスランプ、耐えるしかない。
勉強から逃げたら、絶対に抜け出せないので、耐えて抜け出すのを待つしかない。
苦しいけれど、でもそれが勉強のスランプだ。
スランプ下の僕は、自分がどうして東大を目指すのかよくわからなくなっていた。そしてよくわからない行動を始める。
まず、TOEFLという英語の検定試験を申し込んだ。これは米国などに留学する際に必要な資格で、大学受験には不要である。しかし、英語の勉強は数学に苦しめられていた僕にとって救いだった。英語の試験の予定ができれば、少なくとも勉強自体からは逃げずに済むはずだ。担当の英語の先生に相談し同意を貰えたので、7月末の回を申し込んでしまった。
また、もし東大が無理ならほかの旧帝大も見に行っておくか、ということで、中高の体育祭終了後、夜行バスで仙台に行った。友人3人まで連れ出してしまった。楽しかったから許してほしい。
というわけで、スランプ状態の僕は学校についていくのに必死になりつつ、少し息抜きをした。
いや、息抜きをした、といえば聞こえがいいが、普通に三日くらい勉強をサボったわけである。
東大志望者だというのに、大丈夫か??
しかも、こんな中東進の東大本番レベル模試を受けた。相変わらず数学がダメだった。梅雨の季節にぴったりのどんより気分が続いた。
【②離陸編】へ続く……。
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