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読書感想文は、肩肘張らなくていい

大好きな本のひとつに、坂木司さんの『おやつが好き』というエッセイがあります。

この本は、小説家である坂木司さんが、好きな“おやつ”を挙げてはひたすらおいしいおいしいとその“おやつ”をデレデレと愛でるだけのエッセイです。

しかし流石は小説家、ただの「おいしい」というだけでは済ませず、「こういうところがおいしい」「このおやつはほかのおやつとこう違う」と、いろんな表現を駆使して読者に“おやつテロ”を仕掛けてきます。

この本が何度私のお腹を鳴らしたことか・・・。

読書感想文が苦手だった

私がこのエッセイを読んでいるとき、丁度ツイッターで「読書感想文の宿題は必要なのか」という議論が巻き起こっていました。

私は幼少期から読書に親しんできましたが、読書感想文はあまり好きではありませんでした。

「読書感想文ってどう書けばいいの?何を書くの?」

親に聞いても、「わからんのやったら(夏休み中なのに)学校に行って先生に聞いてきなさい!」の一点張りで、結局読書感想文の何たるかを知らぬまま、本のあらすじが8割を占める読書感想文をずっと書いてきました。

小学生のとき新聞に載っていた読書感想文の入賞作品を読んで、とても真似できないそれに肩を落とし、それも読書感想文への苦手意識に拍車をかけました。

でも、『おやつが好き』を読んで、私は読書感想文の書き方が少しわかった気がしています。

『おやつが好き』に見る読書感想文論

『おやつが好き』では、その“おやつ”と筆者の出会いに始まり、その“おやつ”の好きなポイントが味だけでなく、見た目やパッケージ、そのおやつの背景に至るまで幅広く語られます。

読書感想文だってそれでいいじゃない、と私は思うのです。

表紙が映画化記念の限定カバーになっていてつい買ってしまったとか、

図書館でその本を予約していてやっと読めたとか、

ところどころに描かれている挿絵や写真が素敵だったとか、

激しいジェットコースターに乗った後のような読後感でしばらく放心状態になったとか。

“読書”という言葉は、書店や図書館に本が並んでいるところから始まって、そこから何かに惹かれて本を選び、読み、余韻に浸るところまでのすべてを指していると思っています。

だから、本の内容に対するか感想でなくとも、表紙、言葉選び、タイトル、著者、その本と自分の出会い、著者の他の本に対する自分の思いなどなど、思ったことは何でも読書感想文に入れ込んでいいと思います。

書店に並んでいるその本から何かを感じ取り読み取った体験は素晴らしいものだと思ってほしいし、それを堂々と読書感想文に書いてほしいのです。

先生や親が喜ぶような感想を書く必要はありません。

読書感想文で評価・表彰されようなんて思う必要もありません。

どうか自分の読書体験を大切に、その読書体験で得たものをそのまま書いてください。

そうして完成した読書感想文は、8割をあらすじで埋めて残り2割の感想をうんうん唸ってひねり出した私の読書感想文よりも、はるかに素敵だと思います。

そんなわけで

そんなことを考えていたら、どこかしらで読書感想文を書きたいと思うようになって、

ついに始めてしまいました、note。

きっと読書以外のことも書くかと思いますが、ヨロシクドウゾ。


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