その歌もまた、紫式部の詠んだものであるということ
大河ドラマ『光る君へ』が最近の毎週の楽しみだ。
映像作品ならではの場面。
絢爛な衣装、セット、視覚効果。
豪華な俳優陣の演技は仰々しさがなく、物語への没頭を邪魔しない。
大河ドラマ『光る君へ』では、『源氏物語』の作者である紫式部の生涯を描く。『源氏物語』の映像化ではなく、あくまで作者に光を当てたものだ。
『源氏物語』とオーバーラップするようなシーンもあるだろう。
しかし、物語はあくまで紫式部が主人公である。
宮中における清少納言とのやりとりや、藤原道長との関係がどのようになるのか、今からとても楽しみである。
少し脇道にそれるが、平安時代のコミュニケーションにおいて、手紙(文)がとても重要だったという。
どのような紙に書くか。
みみずがのたくったようなものではなく、人の温度が伝わるような字を書けるのか。
香を焚き、文に香りをつけることもあったのだとか。
何を書くかも大事だ。
体裁が整っていようと、センスのない手紙を書いてしまっては元も子もない。
特にセンスを映し出すのが、和歌だろう。
コミュニケーションの道具であり、センスの発露でもあるこの31文字の調べが、現代にさまざまな形で残されているのはとてもありがたいことである。少しばかり大仰な言葉でいえば奇跡だと思う。
この2020年代において、短歌は盛り上がりの中にある。
現代短歌の転換点、俵万智さんの『サラダ記念日』の発表以来の盛り上がりがあるわけだが、ここ数年の勢いは相当なものだと思う。
この時代に大河ドラマが平安時代を舞台とするのだから、ドラマに登場する和歌にも注目が集まるだろう。
さて。
最近ふと思ったのが、紫式部の歌の技量は、当時どのような評価を受けていたのか、ということである。
競技かるたを題材にしたマンガ『ちはやふる』でもお馴染み、百人一首にも紫式部の歌は採られているのだから、定評はあったのであろう。
しかし、勅撰集における採録数は和泉式部の4分の1ほど。
紫式部は和歌の優れた詠み手ではなかったということだろうか。
それについて、俵万智さんは著作『愛する源氏物語』(文春文庫)の中でこのように述べている。
なるほど、俵さんのこの文章を読んでからドラマを見直すと、代書屋で働いていたという設定が、父への反発や自分でいられる場所を求めての行動だけでなく、さまざまな人になりきって文を書くというスキルの修行にぴったりだと思える。
『源氏物語』は紫式部によって書かれたものである。
物語の中で詠まれる歌は、彼女に詠まれたものなのだ。
ただただ人の心に残る歌を詠んだだけでなく、物語の中で詠む。
そして歌を含む物語全体が、平安時代から現代に至るまで多くの人を魅了してきた。
歌人としてどのように評価されていたか、勅撰集への採録数や現代における「優れた歌を多く作った歌人」という評価だけでは、紫式部の歌の技量をはかることは難しいのかもしれない。
最後にまた、本筋からそれた話を少しだけ。
俵万智さんの『愛する源氏物語』(文春文庫)は、『源氏物語』における愛を、和歌に焦点を当てて取り上げているのだが、取り上げられた和歌に俵さんによる現代訳が添えられている。
これは単に散文的な説明を行うのではなく、現代の言葉を使い、31文字で再構成するという試みだ。
とても面白いので、ご興味のある方は読んでみてほしい。
気に入られた方は、『恋する伊勢物語』(ちくま文庫)もぜひ。
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