hasirigaki

自分自身感じたこととフィクションの狭間のような世界です。 パラレルワールドとでも言って…

hasirigaki

自分自身感じたこととフィクションの狭間のような世界です。 パラレルワールドとでも言っておきましょう。

最近の記事

音楽の力

今回は自分の趣味の1つでもある音楽について話していきたいと思います。音楽といってもさまざまな関わり方があると思います。 する音楽、聞く音楽、見る音楽などなど。 自分の関わり方は聞く音楽、見る音楽が中心かなと思います。 音楽とこうして関わっていくうちに感じた力を語っていきたいと思います。 まず、音楽にはさまざまな種類があります。大きく分けても、邦楽、洋楽、クラシック、演歌、ジャズなどなど。 自分は洋楽よりは邦楽をよく聞きます。 中でも邦ロックと呼ばれるジャンルの音楽を聞く

    • 輪廻

      「輪廻」という言葉を知らない人は知らないと思います。 私は「輪廻」という言葉を見ると真っ先に思い浮かぶのは、ある漫画に出てくる輪廻眼というものです。その能力は漫画の中では伝説の能力とされており最強のものとなっています。漫画の話は少し脱線しすぎるのでこの辺にしておきます。 「輪廻」という言葉の意味は、生きかわり死にかわりすること。車輪が回転してきわまりがないように、霊魂が転々と他の生を受けて、迷いの世界をめぐること。とされています。つまり、物事は流転して巡り巡っていくとい

      • LIVEの体験談 〜選択と覚悟〜

        今回は自分が最近行ったLIVEであるアーティストの方がMCの時に言っていたことがとても心に残って感心したのでそれを是非共有したいなと思ったので書き綴って行きたいなと思います。 まず自分はとても邦ロックが好きで前まではLIVEには行かずに聞くだけとかYouTubeで見るだけでした。けど最近は自分の時間を見つけてどんどん挑戦してみようと思って、小さなライブハウスのLIVEに1人で行ってみたりだとか、もちろん大きいLIVEにも行ったりしているうちに感じたことは、音源だけでは感

        • 余白

          毎日が嵐のように過ぎていく日々の中で、世界は目まぐるしく変化して、追い越し追い越される毎日。必死にその流れに置いていかれないようにしがみつく。人はそうやって前に進んでいく。いや、進んでいくのか、進まされていくのか。 ここまでしっかりとスクロールした人は続きが気になってくれた人達ですね。あなた方は無意識のうちに、不思議な始まり方をしたこの文章の続きが少しでも気になってしまった。 それはなぜだろうか。 それは、私があえて設定したこの「余白」に原因があるのです

        音楽の力

          横断歩道

           今日はこんなお題で始めてみようと思います。  まあこのお題からなんの話をしていくのか想像できなくて当たり前です。私自身の頭の中の話です。  横断歩道と聞いて自分とよく関わっている友人達はもしかすると少し心当たりがあるかもしれないです。  私は横断歩道という単語を出すときは知らない人にとっては想像もできない会話の中に入っています。  その会話のテーマとは好きなタイプを話すとき。みなさんも人生で1回は必ず聞かれますよね?好きなタイプはどんな子なん?って。  先に言って

          横断歩道

          何かを得るための犠牲

          目標や夢や何かを掴むためには犠牲が必要。 そういった言葉は今まで生きていれば必ず1回は聞いたことがあるのではないでしょうか。確かに犠牲は必要です。 しかし、それには様々な形があります。 昔であれば国を征服するため守るための犠牲は『死』 現代の世の中であれば最初に声をあげたものは叩かれる。 出る杭は打たれる世の中です。 まあこれは一例にすぎません。 他にも様々な犠牲があります。考えて見てください。 私が考える犠牲は『時間』です。 何かをするため

          何かを得るための犠牲

          ハジマリとオワリ

          ハジマリ こんなありきたりなタイトルですみません。 どうしてこんなタイトルになったのかは読んでいってもらえば最後のほうにわかると思うので読んであげてください。 最近自分は、嬉しいこと楽しいことが多くて、苦しいことや辛いこと悲しいことは少なくなってきました。そんな中で前から気づいていたけど自分の中で自分がひねくれてるなって思うことを再確認できた気もします。 一旦この話は置いておいて最近の話をさせてもらいますね。でも話は繋がっているつもりなのでここからがハジ

          ハジマリとオワリ

          他人ありきの自分?自分ありきの他人?

          日本には古き良きさまざまなことわざがあります。 そのなかでも私が今回考えたのは、日本にあることわざにはある共通点が含まれている物が多いということ。その共通点とは「人」が絡むものが非常に多い。人が考えているんだから当たり前じゃないかと言われると思います。もちろん分かっています。 しかし、今回着目した点はそこではありません。 ことわざのなかにはある程度の方向付けが存在します。この言葉だけでは分かりにくいと思うので簡単な例をあげると、「人の振り見て我が振り直せ」という有名な

          他人ありきの自分?自分ありきの他人?

          コンビニエンス人間

          いま私たちの日常の中にはなくてはならない存在であるコンビニエンスストア。だいたいのお店が24時間営業していて、自分のタイミングで欲しいものを買いに行くことが出来ます。つまり私たちにとってはとても『便利』であり、『好都合』ですよね。 もしコンビニがない世界だったら、どうしますか。喉が乾いた、お腹がすいた、トイレを借りたい、忘れ物をしてしまい買いたい、などなど普段コンビニで済ましていませんか?それが無くなってしまったら『不便』で『不都合』ですよね。つまりいつもの日常に当たり前

          コンビニエンス人間