余白

  毎日が嵐のように過ぎていく日々の中で、世界は目まぐるしく変化して、追い越し追い越される毎日。必死にその流れに置いていかれないようにしがみつく。人はそうやって前に進んでいく。いや、進んでいくのか、進まされていくのか。







 


 ここまでしっかりとスクロールした人は続きが気になってくれた人達ですね。あなた方は無意識のうちに、不思議な始まり方をしたこの文章の続きが少しでも気になってしまった。

 それはなぜだろうか。

 それは、私があえて設定したこの「余白」に原因があるのです。最初の文章から次の文章までとても長く改行をしたことで、ここで終わりなのかそれとも続くのか、人は無意識のうちに気にしてしまうのです。つまり、「余白」というものには、思考させる働きがあると思うのです。

 確かに有名な小説や物語を読んでも上手な人は余白や改行を使いこなしているイメージがある。ここでの私が言っている「余白」とはただ目に見える改行やスペースのことだけでは無いのです。

 
 私はオフの日や少し時間が空いた日であっても暇を持て余すということがあまり好きでは無い。どちらかと予定を埋めて遊んだり、行動したりしたい。

 これもとても良いことで充実して楽しいのだと思う。

 しかし私はある日少し考えました。

 なんだか、充実しているはずがなにか違うような気がする。

 時間を有効的に使えていて良いはずなのでは??

 いや、ここが今回の話のミソなのです。

 時間を有効的に使える。つまり余白のない世界。
 ここには、新たな発見や思考、想像が見つけにくい。
 例えるなら、ミッチリと詰まったスケジュールというのはもう既に完成された鮮やかな色のキャンバスのようなものです。つまりここには新たに手を施すことをしなくてもいいのです。

 反対に暇を持て余すような余白のある世界。
 ここでは、新たなものを見つける機会が多いと考えます。なぜなら予め決められた予定がない。つまり自由に考え、行動し、また考え、さらには何も考えない、何も動かないことが出来ます。
 この余白のある世界にこそ新たな発見があると最近気づくことが出来ました。確かに予定が詰まっている日常は充実していて楽しいが体には気付かぬうちに疲労もたまり、凝り固まった考えしか出来なくなっていることに気づきました。

そこでわたしも適度な時間配分と休みを一日の間に設けることにしています。そうすることで自分の頭の中を整理する時間を作ることができ、なぜだかスッキリした気分になることもあります。


 真っ白なキャンバスはなににでも変われます。



 今の世の中は嵐のように毎日が過ぎ去っています。
 知らぬ間にしがみつくことに必死で自分がなににしがみついているのかさえ分からなくなってしまう。
 一度その手を離してみたらどうですか?
 真っ白な世界に身を落としてみることで新たな発見があるのかもしれません。


 余白のある世界にはまだまだ知らないことだらけ。

 それだからこの壮大な白いキャンバスに色を付けていく人生は楽しくてやめらんない。

 色を付けるだけじゃなく、余白さえも美しい。

 普段流されるような生活の中では気が付かないことをこの話を聞いて少し理解してもらえたらなと思ってますを


 毎日に適度な休息を。お疲れ様。














もうおわりです。このように、余白には失敗もあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?