他人ありきの自分?自分ありきの他人?


 日本には古き良きさまざまなことわざがあります。
 そのなかでも私が今回考えたのは、日本にあることわざにはある共通点が含まれている物が多いということ。その共通点とは「人」が絡むものが非常に多い。人が考えているんだから当たり前じゃないかと言われると思います。もちろん分かっています。

しかし、今回着目した点はそこではありません。

ことわざのなかにはある程度の方向付けが存在します。この言葉だけでは分かりにくいと思うので簡単な例をあげると、「人の振り見て我が振り直せ」という有名なことわざがあります。このことわざを分解して考えてみると、良くない行動をしている人を見て、自分の行動を直せ、もしくは気をつけろというものになります。このように、ことわざの中にはある程度の方向付けが存在するものがあるのです。

 さらにことわざの中には更なる共通点が存在するものがあるのです。それは、先述した例のように人の行動を見て自分の行動を直すこと。
 つまり、自分が主体的なのではなく相手を主体として考えているということです。ここで考えてみてください、思い当たることわざを分解して2つ又はそれ以上の目線で見てみると、相手を主体として考えるものが多くないですか?

 この理由として考えられるのが、日本の古き良き文化でもあると思います。昔の日本は天皇や将軍などの上に立つものに従い動くということが当たり前のことでした。目上の人を敬い、自分がへりくだるなどの今の日本の文化はここから作り上げられて来ました。日本人は常に自分以外の人のことを考え行動してきたのです。よってことわざにも顕著に現れているように、自分主体ではなく相手を主体にしたものが多いのです。

 ここまで長々と話してきましたが、

今回の本題は「他人ありきの自分、自分ありきの他人」です。

 現代の日本人は昔の文化を良い意味で捉えるとうまく継承できていると思います。
 一方、悪い側面も存在します。それは、良くも悪くも自分主体ではなく相手を考えた上での自分の選択をしているということです。相手のことを考えることはとても良い事であると思います。しかし一方で自分を知らぬ間に殺していませんか?思ったことが言えなかったり、行動を起こせなかったり、自分を殺してまで取り繕ったりなど。これが日本人の強みでもあり弱みです。なぜもっと自分を大切にしないのでしょうか。しかし、私も相手を考えるがあまりに自分を殺すことは多々あります。正直、命にするならどれだけあっても足りません。

 自分を隠すことで相手を傷付けない。相手は傷つかないしかし、傷がついている自分には気づけないし、気づかれない。知らぬ間にこのような状態になっているのです。
 文字に起こして考えてみてみるとよく理解が出来ます。しかし実際はなかなか難しい。大切な友人、大切な仲間、大切な恋人など大事にする比重が高くなればなるほど自分を隠すことが増えてしまう。
 
 良くカップルや夫婦が別れる原因や理由として、「価値観が違った、ズレていた」などが言われます。正直、私はこの言葉がとても嫌いです。別に言われたわけでも言ったわけでもないですがとにかく嫌いです。
 なぜなら、価値観なんてそもそも合うはずがないのです。違った場所で生まれ、違った場所で育ちさまざまな物に触れ、感じ、考え、違った物を好きになり、違ったことを好きなり、はたまた嫌いになり、こうして成長してきました。そんなの価値観なんて全く一緒な事があるはずがないのです。似ているということはあると思います。しかし全く一緒なんてありえないのです。つまり、価値観を無理やり合わそうとするから、もともと違っている価値観がさらに遠ざかるように見えるのです。

ここでも、他人ありきの自分が生まれていることに気が付きましたか?

 そうです。価値観が違うから合わせれるようにする。その結果、やはりこの人とは価値観が違うから合わない。 
 価値観なんて合わせるものじゃないです。認め合う妥協し合うものなのです。
 つまり、「よそはよそ、うちはうち」の精神です。自分と違う考えを悪く思わないでください。それがよその普通です。自分の考えを恥じないでください。それがあなたの普通なのです。もちろんなかにも良いこと悪いことはあります。しかしそれを全て自分と違うからと言って否定しないでください。自分を出すことを恥じないでください。それがもし、失敗したとしてもそれは、自分を出さなければ見えなかったものです。つまり財産です。自分以外全員違って当たり前です。自分がいるから彼らは他人なのです。他人がいるから自分は自分なのです。他人のことばかり考えていても正解なんてないのです。ひとそれぞれ正解は違います違って当たり前です。本当の自分を認めてもらい、本当の他人を認めてあげてください。わがままだっていいじゃない。


自分がいなければ他人はいません。


もっと自分を大切にしてみませんか?



さいごに

ここまで書いてきたことは自分の考えであって正当化しているわけではなく、単純に思ったことを書いたまでです。自分ありきの他人と書いてきましたがもちろんそれも全てが全て許される訳ではありません。もちろん節度はあります。日本の良い文化である目上の人を敬う気持ちは素晴らしいものです。親しき仲にも礼儀ありです。良いものは繋いでいきましょう。そのなかでも、自分をもっと表現してみましょう。私も表現していこうとおもいます。自分をもっと大切に生きていきましょう。



ではでは長々と失礼しました。

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