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母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編④ 1/23(病室改造計画、斜視確認、フェントステープ使用開始)第8回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

今回は1月22日の未明の出来事を起因として、訪問医師の指導のもとに急遽母の部屋を完全な病室へ変える事になる日を紹介。その他に朝にはかなりの斜視、また普段使っている薬を大幅に変更する事になるなど変化の多い日となる。


1月23日【斜視確認・病室改造計画実施・フェントステープ使用開始】

2:20

0:00~2:20まであまり眠れず。
目眩訴える。

2:30 

身体の痛みの為にトラマール(痛み止め)、目眩の為にトラベルミン(酔い止め)を無理矢理飲む。

3:30

3:30まで眠れず。
以降も眠れずに終始目眩を訴える。

4:00過ぎ

ようやく眠る。

7:00 【斜視を確認】

起床。
右目が明らかにおかしく(外側へかなりの斜視)、本人も右目の視野を不調を訴える
右肩にしこりがある事も訴える。

7:30

朝食。
リンゴゼリー少量食すも、即座に嘔気と激しい目眩
嘔気の合間を見て何とかトラベルミン(酔い止め)とトラマール(痛み止め)を飲む。

8:30 【嘔気頻発】

トイレ。
トイレ内で激しい嘔気
トイレ内で下着の着替えを手伝う(昼前にIクリニックのI先生が訪問予定の為)。

9:00

少し落ち着いて眠る。

9:30 【母の上半身の腫瘍を見る】

上半身の着替え(昼前にIクリニックのI先生が訪問予定の為)。
着替えの際に母の上半身に腫瘍だらけの姿を見せてもらう
痛々しいと言うか、がん転移の凄まじさを実感。

11:00 【病室改造計画スタート】

訪問医師IクリニックのI先生到着。
母上の状況説明と斜視を見て、即座に母の寝室を病室へと改造するとの事。
そして同時に母の今後についての話し合いを行う

母の容態を見て、医師としての現状での見立てでは要介護3と言われる。
(後の市役所から届いた認定では要介護5だった)

まだケアマネジャーが決まっていなかったので、即座に決めて頂き介護用品一式の手配できるようにしてもらう。また同時にホスピスの(S病院の)申し込みもしてもらう

とりあえずの対応策として、セレネース(安定剤)用の器具取付(右胸上)

12:00

I先生から紹介されたケアマネジャーYさんが早速訪問してくれる。
介護設備の見積もり(I先生も立ち会ってくれて、介護用品に注文をつけてくれる)。

13:00

A看護ステーションの看護師さん(Oさん)到着(Oさんとは初対面)。

薬の変更を伝えられる(訪問医師の指示で)。
トラマール(痛み止め)は中止。
フェントステープ(麻薬)、オプソ(トラマールに替わる痛み止め)、ランソプラゾール(吐き気止め)を追加。

トラベルミン(酔い止め)1錠、オプソ(痛み止め)半量を服用。
セレネース(安定剤)皮下点滴開始。

フェントステープ貼り付け、使用開始(13:00)。

各種薬の説明を受ける(特にフェントステープ、オプソの取り扱いに注意するように言われる)。

14:00

嘔気あるも何とか抑え込む。
その後に少し眠る。

16:00 【病室改造計画実施】

介護用品レンタル方々(レンタル会社SのHさん他)到着。
介護設備の設置(介護ベッド、テーブル、車いす、点滴棒、ポータブルトイレの搬入と設置)
ケアマネYさん、介護設備の設置に立ち会う為に再度来訪してくれる。
レンタル会社のHさん、ケアマネのYさんらとほぼ同時にA看護ステーションの看護師さん(O、Tさん(Tさん初体面))が揃って来訪。

A看護ステーションの看護記録によれば、この時から生理食塩水に加えてステロイド(デカトロン)を投入との事。
介護用品設置中も看護師のお二人のおかげもあり、母上に痛みの発生や症状に大きな変化なし。

17:00

母上無事に介護ベッドへ移動完了。
母上の部屋が見事な病室へと変わった。

19:30

夕食。おかゆ少量、みかんゼリー、リンゴを少量食す。

20:00

介護ベッドが良いのか、点滴や安定剤の効果なのかとにかくよく眠る…。

21:30

トイレと歯磨き。トイレは車いすを使用してトイレまで移動。
車いす移乗時は介助が必要(今後車いす移乗時はすべて介助付き)。
ただベッドからの立ち上がり時に目眩、ふらつきは無しで一安心。

22:00

本格的に眠る…
(昨晩も殆ど寝れていないし、今日は色々あってお疲れだったと思う)

1月編④ 1/23 まとめ

23日未明からの激動の1日となった日。
後に今までの道のりを振り返っても3本の指に入るほどの激動の一日だったと思う。

この日衝撃的だったのは、朝に母の右目がかなりの斜視となっていたのを見た事。母上も右目がおかしいと訴え「私の右目はあるのか?」と私に聞いたくらい。「当然あるよ、普通だよ」と当り障りのない言葉を返した。それは母上を心配させない為であり、実際に私は母のキツめの外側への斜視にかなりの焦りを感じた。

ただこれは時間が経つと徐々にではあるが回復していった。この日は11時に訪問医師のI先生が来た時にはかなり回復したと思ったが、I先生は母を見るなりすぐに斜視に気付いた。

ただ訪問医師のI先生の対応は早かったと思う。
即座に病室への改造を指示したはもちろんの事、ケアマネージャーの選定、薬の変更、安定剤の投入…とその日のうちにすべてを実行に移したそしてかねてからの申し合わせの通りにホスピスへの入院の申し込みもしてもらう事になった。

この一連の動きの中で特筆すべきは16:00には介護用品レンタル会社の方々が来て、介護ベッドを含めた介護用品の設置を一気にしてもらった事だろうか。同時にケアマネージャーのYさんも立ち会ってくれたし、訪問看護師のOさん、Tさんも来てくれた。あの時間帯で我が家に一気に7人もの来訪者があったのだ。

すべて母上の為に我が家に来てくれた方々で、おかげで17:00には母上の部屋は完全に病室へと様変わり。病室への改造が行われている間もお二人の看護師さんのおかげで、ずっと安定し状態で過ごすことが出来た。この時訪問して頂いたの方々のおかげで、すべてが無事に終わった事に本当に感謝にしている。

また病室改造計画が終了してやはり介護ベッドの便利さ(もちろん快適さも)は痛感したし、またトイレに行く際に車いすを使用できたのも大きかった。流石に車いすへの移乗(ベッドから車いす、車いすからトイレへ等)は介助が必要になったが、あの母を抱えてトイレへと移動させていた時の事を考えるとはるかに便利になったし、母の負担も激減したと思う。

また安定剤の投与や薬の変更、さらには介護ベッドの効果があったのか、母上の容態も安定したようにも見えた。目眩は訴えなくなったし、この日の夕食は珍しくおかゆに加えてゼリーやリンゴも所望している。この日の午前中までがあまりにも酷い状態だった事もあり、この時点ではこの安定した状態が嘘のように思えた。

ただこの状態で母の劇的な回復は見込めないと判断し、会社に連絡して1月一杯の休職を願い出た。ホスピス行きには最低でも1週間はかかると先生に言われたからであるが、そう言われなくても会社を休んだと思う。もう一人にしておくような事はどう見ても出来ない状況だったから。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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