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母の見送りへの道 【気付きと感じた事②】(訪問診療)第25回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。

今回は訪問診療について話してみたいと思います。


【訪問診療の決定までは時間を要するのか…?】

母が旅立つまでの道のりの途中で訪問診療にお世話になることがありました。

母自身が治療をしない方針を決めた11月下旬に、O病院のがん支援センター相談員(Yさん)に紹介される形で訪問診療を決めたと聞いています。

ただ実際に訪問診療の担当医(IクリニックのI先生)に決まったのは12月下旬で、その担当医が初めて我が家に訪問したのは1月の初旬だった。私自身はちょっと実際に訪問してくれる医師が決定するまでの流れを正確に把握はしていませんでした。なので何とも言えない面はあるが、実際に担当してくれる(訪問してもらえる)医師が決まるまでにはある程度時間を要するものなのだろうと理解しています。

母にとっては治療をしない→動けなくなるから訪問診療でお世話になる→最終的にホスピスお世話になる…という一連の流れはとうの昔に決めており、訪問診療の担当クリニックの決定において母自身の決断が遅れた…という事は無いと思ってます。

【手厚い訪問診療だが、それでも僅かな温度差を感じ】

実際11月下旬にはもう母の身体は下降線に入っており、12月には完全の悪化の一途を辿っている。訪問診療にお世話になって僅か数週間(1月中旬)で寝たきりとなり、1月下旬にはホスピスにお世話になる事となる。

母としては病状が本格的に悪化する前に訪問診療にお世話になり、徐々に訪問してもらう回数を増やして…という事を想定していたのだが、正直そういう想定の通りにはならなかった。結果的に訪問診療が決まる事が遅かったし、何よりも母の病状の悪化のスピードが想定以上だったとも言えるだろう。

今回、母と私がお世話になった訪問診療の先生はかなり良心的だったと思う。まあ他の先生と比較したことが無いから…というのはあるのだが、何よりも母が「あの先生は安心して診てもらえる」と言っていたのが何よりの証拠だろう。以前記事にも書いたがO病院の一部の先生があまりにも母に関して無関心で、それに対してI先生はちゃんと話を聞いてくれると常に言っていた。なんでもこの先生は某病院で医局長までされていたと聞いたような気がする。

ただ若干ではあるが、母の病状の進行の速さに比べて対応そのものが多少遅いような感じを受けたのが正直な所。毎日看護している私にとって痛み、目眩、嘔気を訴える回数が増えているのは分かっていたが、それを先生の訪問時に上手く伝わっていないようにも感じていた。

初回の面談では「薬で痛みを取りましょう」という話だったが、実際には母の病状の進行の速さに追いついていないように思えた。まあこれは医療側と患者側との僅かな温度差だったと思うのだが、痛がったり苦しんだりする母の姿をずっと見ている側からすると、非常にもどかしい思いで一杯だった。

【訪問診療の先生は対応力の高さが武器かも】

しかし1月下旬。母が夜中に容態が急変した後の訪問診療で、I先生は母の斜視を一発で見抜いた。その後即座に母の部屋を病室改造計画をブチ上げ、様々な方面に連絡(私の目の前ですべての箇所に手配、連絡をつけた)しわずか数時間ですべてを整えてしまった。

あの時は予定の診療時間を大幅に超えたと思うのだが、自宅に滞在してくださって薬の変更と安定剤の投入などを即座に決定。さらに決まっていなかったケアマネージャーを即座に決め、ケアマネが来るまで待っていてくれて私と引き合わせてくれた。さらに病室改造に必要な機材を事と細かに指示してくれたし、もう訪問診療では間に合わない可能性が高いとしてホスピスへの入院の手配もすべてを同時進行でやってくれた。

この時の先生の対応の速さと、的確な指示には驚いたものである。後に訪問看護師の方々にお聞きすると、「看護師に対して厳しいけど、その指示の正確性と根拠、そして対応力は凄い」と話してくれた。あの当時は私もあまりにも変化が大きすぎたし、それに一人で対応するのは大変だった。それでも後に振り返ってみると「あの先生本当に凄いな」と思える内容だったと思う。

【訪問診療の本当の良さを理解できぬままに終了?】

母と私が訪問診療にお世話になったのは1か月足らずで、訪問診療の本領を見ぬままに終了してしまったのかもしれない。それでも訪問診療を受けた時期は母にとって非常に大事な期間であり、本当に必要な時期の診療だったと思っている。

もし訪問診療にお世話になっていなかったら…と思う事はある。特に夜中に容態が急変した際、訪問診療を受けて居なかったら母は救急車で運ばれていただろう。そして最終的にどこかの病院のホスピス行きになったかもしれない。

最終的な結果は同じだったかもしれないが、それでも母にとって可能な限りギリギリまで自宅で診てもらえたのが一番良かったと思える。これこそが訪問診療の最大のメリットだろうし、何よりもあのとにかく待たせるO病院への通院はとてもじゃないが出来そうにない状態だったから…。

【短い期間だったけど、訪問診療の先生とスタッフの皆様に感謝】

また短い期間の中ではあったが、先生には母だけでもなく私にも色々と気遣ってもらった。特に最後の訪問となった日(S病院の緩和ケア科に入院が決まった後)は看護、介護を続ける私にも「無理をするなよ」と言ってもらえた。前回の記事でも書いたが、何もしない家族(父)が居て、全てを私一人で対応している事を見て気遣ってくれたのだろう。

母も最後の訪問となった際には先生にお礼を述べていた。母自身が思い描いていた感じとは少し違ったかもしれないが、それでもホスピス行きが決定するまで手厚く診てもらえた事に安心したと思う。

母と私にとってこの訪問診療は初めての経験だったけど、様々な事に対応して頂いて本当に感謝しかない。また入院が決まった際も「何かあって家に戻ってくる事になればまた診ますから」と言ってもらえたのも嬉しかった。「最期は家で迎える」という選択肢を示してくれたのは心底嬉しかったです。結果てとしてもう家に戻る事はなかったのだけど、「家に帰ることも出来る」という選択肢があった事は、母も私も心理的な面で余裕を持てた。

【幸いにも双方が目的としていた場所に到着できた】

私が思うに結果的に一番いい形で訪問診療を終われたのではないか?と思う。先生や母と私にとってもホスピス行きという目標を達成して終わったからである。

悲しいお別れでは無い。
双方とも目標に向かって歩み続け、そして無事に目的地に辿り着けたのだから。
訪問診療を受ける側にとって、これほど幸せな事はないのではないだろうか。

母が入院して2日後には、訪問診療のIクリニックに今までの感謝のお手紙をお礼の品を持参してご挨拶に伺った。無事に目的地であったS病院に入院出来たという事実のご報告。さらに母は元気である事を伝え、これは現状で考えられる最高の形であると強調して伝えた。

先生も私の「現状では」という言葉に深くうなずくと「本当に良かった」と返してくださったもちろんこの先にある険しい道は私も先生も理解していたが、この場でそれを言う必要はなかった。

母と私にとって訪問診療はこうやって最高の形で終える事が出来た。
本当に感謝しかない。

ちなみに訪問診療の核となっていたのは訪問看護師の皆様。
次回はその訪問看護師さんについての気付きと感じた事を書いてみようと思う。


【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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