母の旅立ち、私の見送りへの道 1月編③ 1/22(容態急変?)第7回/全35回
この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。
今回は1月21日の深夜に起きた出来事を紹介。深夜に急に母の体調が悪化。激しい目眩を訴え、ベッドから起き上がれない状態。さらに体の震えと発汗もあって緊急事態と判断した出来事を紹介する。
1月22日
1:30 【深夜に目まいを訴え容態急変。緊急事態と判断】
深夜に寝た状態で激しい目まいと吐き気を訴えて起き上がれず。
同時に前日の便通薬による影響で便意を訴えるも、目まいと吐き気の強さでベッドから起き上がることが出来ず。
身体の震えと呼吸がかなり荒く、緊急事態と判断して看護師さんに連絡にて来てもらう。
看護師さん到着までに便意の強さから出してしまったが、母を抱えて無理矢理トイレへ連れて行く。
2:00 【無理矢理トイレに連れて行くもトイレ内で動けず】
トイレで動けない状態になるも、急遽来てくれたA看護ステーションの看護師さん(Hさん)と一緒にようやくトイレからベッドへ移動。
シバリング、発汗あり。
体温35.8℃まで低下。
心身のダメージかなり大きい。
お尻拭きも看護師さんがやってくれたものの、看護師さんに今は手持ちの薬が無いので朝で待つようにと言われ(担当医師のI先生にも連絡はいった)、看護師さんは帰ってしまう。
3:00
少し落ち着く
3:30
眠る
8:00
寝た状態でも強い目まいを訴える。
起き上がることが困難でお腹も重いと訴え。
8:30
ポカリスエットを少量飲む。
10:00
トイレ(小)。
私が抱えて移動(この時点でもはや母が自力で移動するのは困難に)。
看護師さん(Hさん)到着。
点滴を(生理食塩水)を投入。
11:00
少し眠る。
12:30
寝ながらも目眩を訴える。
13:00
眠るも未だ目眩を訴え。
15:00
ポカリスエット少量飲む。
トイレ(小)へ私が母を抱えて移動。
17:00
リンゴゼリーを少量寝た状態で何とか食す。
同時刻点滴が止まっている事を確認。
看護師さんに点滴が止まった事を連絡すると、こちら(私)で外すように言われる。
20:00
夕食、おかゆ少量と僅かにお茶を飲む。
薬を全く飲んでいないので腰や身体の痛みを訴える。
20:30
無理矢理体を起こしてトラベルミン(酔い止め)トラマール(痛み止め)を飲む。
21:00
トイレ(小)抱えて移動。
21:30
就寝。
この日より私が母の部屋で一緒に寝る。
また母上を1人には出来ないと判断し、この日以降の仕事を休む事を決断。
【1/22補足】
とにかく未明の出来事が心配。看護師さんを呼んだものの処置らしいものは殆ど無し。来てくれたのは嬉しいが、ほとんど自然回復待ちという感じになった。
目眩を頻繁に訴えているし、容態が急激な悪化したと見る。
また薬は20:30に飲んだ1回きり。薬を飲む為に上体を起こしても目眩が激しく、今後どうやって薬を飲ませるべきか…。本日I先生が来訪予定(昨日深夜の事があるので)だったが、予定がつかず来れず。
【この日の一連の出来事についてのあとがきを書いていたので、そのままここに掲載します】
あとがき
容態の急変により看護師さんに来てもらった時、実は看護師さんには「今は投与できる薬(おそらく鎮痛剤や安定剤的なもの)が無い」と言われ、更に「一応事務所に一度取りに帰るがおそらく薬の在庫が無いと思う。その場合はどうもできないので、そのまま朝まで待つように」と言われた。確かにトイレからベッドに戻るまでにご協力を頂いたが、対処できる薬が無いからそのまま待つように…という指示には正直ガッカリしたのを覚えている。
またこの容態が急変した時はにベットの上で激しい目眩と頭痛を訴えており、その後に便意の強さからトイレに私が抱えて行った。この一連の事を訪問してくれた看護師さん(Hさん)に説明したが、実際の看護記録(A訪問ステーションの看護記録)には
「トイレで動けなくなったとの事で緊急連絡を受けた」
…となっている。確かに看護師さんが到着した時には母上はトイレ内で動けない状態ではあったが、そこに至るまでにすでに激しい目眩と頭痛の件には触れられていない。
その後(夜中)に訪問医師(I先生)にも看護師さんから連絡が行ったが、おそらく看護記録に載っている事と同様の説明をしたのだろう。この件を受けて夕刻にI先生が急遽来る予定となっていたが、結局先生が来てくれたのは翌日の1/23になっている。もちろんI先生もお忙しい身であることは承知しており、この日は忙しくて来れなかったのだろうと思う。
しかし捉えようによっては単にトイレで動けなくなった程度であり、そこまで緊急性は無いという判断だったとも受け取れる。医師も看護師も母上がここまで急激に悪化しているという風には受け取ってもらえていない感じに見えた。ここに至るまでの経緯を毎日見ている私からすれば、いくら母の状態を説明しても正面から受け止めてくれたとはあまり思えない。この辺りは私と医療側で少し温度差を感じた一件でもある。
1月編③ 1/22 まとめ
母を見送るまでの期間にあった大きな出来事の一つ。正直、夜中に緊急で看護師さんを呼ぶのはどうか?というのもあったし(遠慮、躊躇い)、また看護師さんではなく医師の方に連絡した方が良いのか?といろいろ迷った。たぶんどちらに連絡しても問題なかったと思うし、結果として薬の投与などもなかったが母のあの状態で看護師さんを呼んだ事も間違いでは無かったと思っている。
結果、この一件が何が起因したかは定かではない。当時は前日のシャンプー(洗面台に頭を下げるなどの行為)がいけなかったのではないか?とも思ったし、同じく前日の便通薬(2錠)が影響したとも考えられる。
ただ結果として便通薬を2錠(通常は1錠)を飲んだことでトイレに行きたくなった事が事態をややこしくさせた感もある。この時の母は目眩と便意の両方で戦ったのであろう。最終的にはもう出してしまった…という状況で、無理矢理にでもトイレに連れて行かなくてはならなったのだが、こういう結果になるのであれば目眩であろうと出す前に無理矢理連れて行けば良かったと思う。
あの時母は私に抱えられながら泣いていた。私が上手く対処できなかった事で、母には惨めな思いをさせてしまったという後悔の念は強い。
とは言え、この後の1/27の病院の検査であることが発覚する。因果関係はハッキリしないのだが、この夜の時点である事が起きていたのかもしれないと私は思っている。
【注意事項】
この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。
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