天文8年(1539)9月6日は細川晴元の家臣茨木長隆が土一揆の東福寺への乱入を阻止した日。晴元は細川高国ら細川一族や細川氏に仕えた三好氏との争いが続いたが一揆にも対処する必要があった。土一揆といえば農民が徳政令や年貢減免などを支配者たちに要求した活動で当時頻繁に起きていた。
天文3年(1534)9月3日は近江に逃れていた第12代将軍足利義晴が7年ぶりに入京し建仁寺に入った日。後ろ盾の細川高国が細川晴元勢に敗れて近江に逃れて以来。晴元は堺公方を擁立するも内紛により義晴と和睦したため帰京が実現した。この後も義晴は細川氏の内紛で何度も京から離れることに。