一つ命の教え、皆が悟るまでは私は悟らない!という力強く慈悲慈愛を超えたもの、それが、本当の教えだ。ただ、自分にとっては、南無身延山があっているだろう。生きとし生けるもの、人も動物も植物さえも、統合した教えでもある。
南無身延山、これが、40代にして到達した一つの心境/心経だ。此処から先は、南無身延山一本でいこう👍
それは、シヴァ神ではなく、オーム・アルナーチャレーシュヴァラーヤ・ナマハと聖なる丘の名前を唱えた聖者マハシルにも似ている。南無函館山でも、南無高尾山でも良いし、南無津軽海峡でも、南無富士山でも良い。富士山を讃える祝詞でも良い。念仏や祝詞や御経を唱えることに重心があるわけではない。
かつての自分も、スピリチュアルや自己啓発や宗教本や哲学本に大きくハマった。確かに、経済力も社会的地位も手に入れた。転職は8回してきたが、概ね世間体の良い所ばかりでもあった。
立花大敬先生の御経CDを聴きながら、勉強しています。家でひたすら、化学の勉強と瞑想、御経三昧です。
迷わず進もう
人生四十年、色々な紆余曲折山坂葛藤がありました。しかしながら、五井先生の消えゆく姿(世界人類平和の祈り)でメンタルブロック解除し、世界人類平和の祈りでアクセルを上げ、呼吸瞑想で整え、立花大敬先生の読経でギアチェンジし、方位取りでターボしようと思います。ありがとうございます✨
もし、唱えるのならば、それは、南無妙法蓮華経ではない。日蓮上人も、身延山も、世界人類も一体化した形で、南無身延山と唱えるのが良いだろう。第一の方便を超えた(南無妙法蓮華経)、一つ命の教え(南無身延山)だろうなぁ。
お釈迦様が法華経で説いた教え、一つ命の教え、皆が悟るまでは私は悟らない!と言う宣言/真言が本当の教えなのだ。ここで勘違いしてはいけないのは、南無妙法蓮華経と唱えよ!とは言っていないのだ。それは、1番目の方便だ。
これら3つの方便、瞑想も、風水も、方位取りも、九星気学も、読経も、念仏も、世界人類平和の祈りも全ては絶大な効果はあるが、それは、あくまでも副産物に過ぎない(と言っても一生涯に有り余るほどの功徳と恩恵をもたらすが)。
さらにまた、神仏宇宙大自然は、自分に職を与え、仲間を与え、住む場所を与え、社会的地位も与えた。さらにまた、大学院教育まで与えた。仏教や神道、哲学も学ぶことができた。極めて超超超超超大当たりの人生だろう。
間違えてはいけないのは、念仏も、御経も、方位取りも、吉方位転居も、瞑想も、世界人類平和の祈りも、全て絶大な効果はあるということだ。そしてまた、それらは有り難い功徳があり、それでOKな人はそれでOKなのだ。
しかしながら、改めて立花大敬先生の法華経解説を読むと、それらは全て一つ残らず方便である!ことがわかります。間違いではないし、効果は絶大だ。しかしながら、それらは方便に過ぎない。
しかしながら、若い頃の疑問は、どれが正しいのか?どれが一番効力があるのか?だ。御経は何回唱えればよいのか?方位取りは何泊しなければいけないのか?世界人類平和の祈りは毎日何回やらなければならないのか?二十代三十代の頃は。この疑問を持ったし、残念ながらそれに答えられる指導者はいない。
3つ目は、人を助ける、世の中のお役に立つ生き方救い方だ。徳の積立でもある。これもまた、間違いのない生き方だ。瞑想や世界人類平和の祈りもそうだ。瞑想を通じて徳を積み、世界人類平和の祈りを通じて徳を積むことでも人は救われる。悪いことは何一つ(そう、何一つだ)起きない。
次に、論理的に説くやり方だ。西洋占星術や九星気学が良い例だ。風水、方位取りや月の欠損(反転星座、土星、太陽)などもまた、人を救える。自分も現に、国家資格も法定講習会も無事に終わった。それらもまた、救いの道なのだ。
立花大敬先生の動画を改めて見直して納得。救い/悟り(方便)には三つある。まずは、念仏、祝詞、御経、アファメーションをひたすら唱えること。これは苦難や貧困や逆境に喘ぐ人達を救うためのやり方だ。これは即効性がある。念仏一本で救われるのは全く正しいのだ。
昨日は、立花大敬先生の法華経の解説動画を読む。久しぶりに聞いたがとても良かった👍 https://youtu.be/_6hr6Y2Yq6k?si=sImBMhvf8feEdq4t
ネドじゅんさんのエレベーター呼吸、立花大敬先生の読経CDに励んでいます。まさに、インナーマイニング/グレートマイニングに入ったと思います👍
他力 サレンダーの法則 降参
後者でありたい
確かに今まで整っている…