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「祈」 何もできないと思っても、 祈ることで、 現実が変わる。 何もできてなくない、 祈ることができたなら、 きっと未来は変わるから。

1か月前

CHUNITHMの運指メモ-08【祈 -我ら神祖と共に歩む者なり- SSS編】

9か月前

また一年。 いつしか干支も一周。

『ニケ』デジタル画

『太陽系』デジタルイラスト

ウクライナ訪問 必勝しゃもじ 広島名物 岸田文雄 自民党 20230321 日本 20230324

「オリーブの木は  何本もの小さな幹が絡まって  ひとつの大きな木になる」 昔そう聴いた 確かに そのようにも見えるが 真偽は定かではなく 調べても どこからも この説は出てこない 「小さな幹がひとつになる」物語を 夢でもいい 信じたいな みんなの力で 仲良くなれますように

柳田邦男氏がノンフィクション作品を冷静な眼で表しながら、一方喪失の悲しみは生々しく率直な感情を記している。悲嘆に暮れた日々が多少形を変えても、癒えることはないのだろう。そんなことも思いをほんの少し想像しまた重たい感情に纏わり付かれる。

一日一書 祈

『祈』毛筆+棒人間GIFアニメ

リアルタイム怒りながら聞く

もう半分

4年前

4年前

疫病厄災退散!

ふと5年前を思い出す。命に関する呟き

4年前

祝祝亭 あひの拡散 個人的な欲望

3年前

お願いごと

4年前

9月1日

4年前

願い

今日の帰り道

8年前

COBRA更新 最新状況報告 (2024/01/13)

魂を入れて触れて、今日を感じる。

それでもたとえ黒業界でも学べることはあった。ステイホーム中とイレギュラーの連続の中で。この三年間の予想外の試練が何とか実ることを願ってまたイレギュラーに神社に行ってまいります。きっと何とかなる。うまくいく。明日は祈願をしてきます。祈願健闘。

覚えているのは一回寝るつもりが、もう一度起きて若い日比野さんの少しぼそぼその話を最後までみてしまった。長いか短い夜だったか、覚えていない。郵送が届く日も知らさせていなかった。それでも、この夜を経験した後はさわやかな気持ちで他に臨むことが出来た。いつもの通りいつものままで。

試験シーズン。ステイホームの影響をもろに受けて来たということになるのだろう。追い詰められたり心穏やかでいられないのは当たり前だと感じている。自由を謳歌してこれず、様々な苦痛を背負ったかもしれない。今日は自分の課題は持ちつつ、思いを寄せて過ごそう・・・

無力にできること

2年前

中井久夫先生がご逝去と聞き、未だ開けることすら出来ない本を思い出す。中井先生のご著書を遺品に持ち帰ってもらったのは十数年前である。急なことで取り合えず持ち帰ってもらった本の中に。以来十六年、読まず読めず仕舞いであった。故人の愛読書であったらしい。どうも有難うございました。

先週末から夭折した人々のことを思い出すことが度々あった。生真面目・勤勉・実直愚直・・これらがキーワードの地域性にあって「一途なゆえに」ここまでたどり着けなかった人たちが。この振り返りは自らの老いによるものでもあろう。いいから加減に生きられず。少し理解できるいま。今日は走り出した

私が全身で受け止めてしまった幾つかの矢はその時だけのいたみに終わることはなかった。永く永く突き刺さったままで生き方に影響を及ぼして来ている。逃げ道を失って呻いている人々に何とか非難の場が与えられます様に。四方塞がっても天井がある。迷わず逃げられます様に。よき救済があります様に。

その方の美しく長い髪を覚えている。私にとってそれ迄のことを悔い改める機会になった。渾身の指導をして下さったことを生かすべき時なのだと感じる。もう自分の残り時間を自覚した方がよい時だからなおさらである。彼ら彼女らに向かい合う時は髪は束ねられて何とも勇ましい女性であった。

JRA 狙う馬メモ 1/5

2年前

ことばが無力な時がある。それでもあの演出、あのコメント、あの歌声、そのひとつひとつに魅せられたひとりとしてエールをおくらない訳にはいかないのです。

服部さん襲撃事件。あの時の衝撃を忘れる事は出来ない。留学し楽しみなイベントの日に命が途切れてしまう。留学を学生時代にしたかった私にとっては殊更、温めていた夢が一瞬にして消える悲劇を辛く感じた。誰にでも若い時代があり夢がある。服部さんが無事帰国していれば...世界は広がったのではと

残り時間を意識した時、初めて人生を大切にする姿勢が生まれる。ーそうなんだろうと思う。ただ嵐が静まるまで耐えなければならない年月もあった。これは変えられない。しかし現実を見よ。健康寿命迄あと幾らもないではないか。イエスは嵐を止めた。イエスにはけしてなれないが、私なりに乗り超えたい。

何年も思うように食事は出来ず、何とか受け付けるものを栄養を考えつつとっていると美味しいものってどんなものだったろう、とふと思う。美味しいと思えた一番最近は...。それでも三度の食事があるのは幸せなのだと考えを改める。何時かは飲食店を少しは応援できる位にと、焦らず回復を祈るだけ。

誠実で勤勉でこころの真っ直ぐな人たちが多い場所。ロバート・フロストが家はそこに戻らなければならないときに受け容れてくれるところと表現していただろうか。私にとってはあなたが原点であり戻れる場所であり、ふらりと行ってしまっても素晴らしいホスピタリティで迎えてくれる憩いの場に違いない。

熊本地震で神様が守ってくれたもの