慶長9年(1604)2月18日は毛利輝元が指月山に萩城の築城を許され開始した日。輝元は山陽山陰8ヶ国を有し安芸国の広島城を居城としていた。関ヶ原の戦いで西軍総大将を務めたため減封。隠居し家督を秀就に譲る形で周防・長門2ヶ国を安堵された。広島城に代わる居城を築く許可を幕府から得た。