大人は、それを”負の感情”と言うかもしれない。でも、私はそうは思わない。幼い私の心の芯から、自然に出て来たものだったから。バナナが南の島で、ずっとワニと楽しく踊っていられたらよかったのに…。あるいは、ずっと幸せに暮らせる場所を見つけられたらよかったのに…。そう思った、幼い日の私。
バナナがずっと食べられてなかったら、ワニのいる砂浜でいつか新しいバナナの木になって、たくさんの実をつけたのだろうか…。幼心に乗っかって調べたら、食用バナナには種がなく、芽を出すことはないそうです。(Wikipediaより)ウーン、残念…。幼い日の私を抱きしめて、慰めてやりたい。
バナナのことや、ワニのことなど、いろいろ調べて面白かったです。”初めて歌った歌”について、理解が深まった気がします。熱川バナナワニ園にも、いつかゆっくり行ってみたいな。いつになることやら…。南の島の幸福な時間を夢見た幼い日に思いをはせながら、今日も私はバナナを食べるのでした。
たぶん、「バナナん、バナナん、バナナん、バナナん…」と、延々、繰り返していた頃の私は、美味しいバナナのことしか考えていなかったはず。逃げ出したバナナの気持ちに感情移入して、ワニと踊る楽しさに共感し、食べられてしまったことに失望を覚えたのは、いつ頃のことだったのだろう…。
『とんでったバナナ』の歌の結末に、幼い私はガッカリしてました。でも、歌は明るく「食~べちゃった、食べちゃった♪」と結ばれる。”面白かったね~♪”という感じ。これはきっと、”面白かった~♪”ということにしておかないといけないんだな、そういうことなんだな…と、思っていました。