140字連載小説

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実際、危篤状態に陥っていた時の記憶はない。この装置によっても思い出せない、つまり、その間の記憶は元々ないということを意味する。生と死の狭間にいたわけだが、どちらかというと、死寄りだったのかもしれない。生よりの危篤もあるのかという話だが、もしあるとすれば何か見られるのかもしれない。

時間が収束したかのような感覚にはなったが、時間は相変わらず進んでいたらしい。気がつくと看護師が食事を運びに部屋に来て、大人しく僕はそれを口にした。外からの施錠はしばらく解かれなかったが、何日か経つと、僕は通常の個室に移された。だいぶ落ち着いたと診断されたのだ。退院の目処も立った。

2週間前

そして、47歳の誕生日に実際にこの装置を発明できた。もちろん、僕ひとりではなく、AIや医学の専門家などいろんな人の協力を得ての成功だった。この装置を発明しておいたおかげで67歳になった今、過去を全て思い出せているのである。ただ、思い出したくない過去もあるが、副作用のようなものだ。

3週間前

実家を改築する際、2階を造るかどうか迷った挙げ句、結局、造ったらしいのだが、もし、1階建ての家にしていたら、僕の居場所はなかっただろう。たらればはないので、もともと、こうなる運命だったとも言える。僕の人生は、どうも他力本願な面が大きい。自立していない。よく、発明などできたものだ。

2週間前

個性か。今思えば、逆にあんなに興奮して支離滅裂なことを言っていたら、病気と診断されるのが普通な気がする。でも、医者が振り返って、個性だったということは、言動は支離滅裂に思えても、その裏側には正しい確信と筋があったということなのだろう。僕は、強制入院させられたことを恨んだりしない。

3週間前

人間は、常に、今を生きている。であるならば、過去に行ったり未来に行ったりすることはできない。仮に、過去らしき時や未来らしき時に行くようなことがあったとしても、その時点とは、あくまで、今として体験されるものなのだ。したがって、この意味においてはタイムマシーンを作ることなどできない。

1か月前

発明したものの、発明したこと自体を忘れてしまっていて、その発明品で発明したことを思い出しているのだから、もはや、自分で意図してやったことなのかどうかさえ怪しい。よくよく考えてみれば、自我などというものは、わかっているようで、さっぱりわからないものだ。自分が自分とはどういうことだ。

2週間前

なぜこのような事態になっているのだろう。僕は、懸命に最後の記憶を辿った。最後の記憶は、37歳になる前日の夜だった。ということは、この監禁されている状況が夢でない限り、僕は37歳になっているのだろう。今がいつかもわからないから誕生日を過ぎたのかどうかすらわからなかった。なんて日だ。

1か月前

強制入院させられたことを恨みこそしないが、あの時は不思議な体験をした。自分の意思で動いているのではなく、すべては動かされているという認識でいた。そして、時の流れに身を任せ、体を動かしているうちに、「永遠」を体感した。時が一点に収束して、自分の人差し指の先もある一点に向かったのだ。

3週間前

ある時期から思うようになったが、僕は僕として生涯を終えなければならない。それぞれ、みんな同じことがいえる。いつか死ぬということは、今のところ誰にとっても普通なのだ。でも、本当にそうだろうか、とも思う。証明は不可能だが、もしかしたら、自我は永遠に不滅なのかもしれない。どうだろうか。

だが、退院の日が近づくにつれて、不安が募っていった。僕は、これからどうして生きていけば良いのだろうか。37歳にもなって、両親に引き取られて、またタイムマシーンがどうのこうのなどと言わないように心配されながら暮らしていく。どんな日々になるのだろうか。まともに生きていけるのだろうか。

2週間前

過去や未来を今において経験する。それができるとしたら、寝ている時に見る夢の中だと考えた。例えば、わかりやすく考えれば、正夢を見るということは、未来を今において経験しているのと同じことと言える。また、過去の経験が夢の中で再現されたら、過去を今において経験しているのと同じことだろう。

1か月前

なぜこの装置を発明しようと思ったかと言えば、究極的には、自分が誰だかわからなくなることを防ぎたいと思ったからだ。記憶を失くしては何とか思い出していたけれど、いつ再び思い出せなくなるかはわからない。ならば物理的に記憶を何でも思い出せるようにしておけば安心だ。発明できると信じていた。

3週間前

意識が朦朧としているのと、そんな記憶がないのとで、医者の説明に理解が追いつかなかった。信じ難いが、医者の言っているとおりなら、今、僕は67歳の誕生日を迎えていることになる。僕が医者に熱弁した内容はレコーダーに録音され保存されているらしい。僕は30年後に行ってくると宣言したそうだ。

1か月前

頭で「永遠」とは、こういうことなのか、と直感するように認識しながら、まるで、時間が永久に進むということは時間が止まることに等しいような気にもなった。矛盾しているようだが、こう表現するのが、あの感覚の正体としては適切だろう。「死」とはどういうことなのかさえ、わかった気になっていた。

3週間前

「・・・さん、言葉はわかりますか?あなたは、先ほどまで危篤状態だったのです。意識が戻らなければ、そのままお亡くなりになっていたことでしょう。・・・さん、確認しておきたいのですが、最後の記憶はいつですか?」僕は、答えようとしたが声が思うように出せない。あと、自分の名前がわからない。

1か月前

次の瞬間、目が覚めると、僕は自分がどこにいるのかわからなかった。状況もよくわからなかった。監禁されているということだけはわかった。タイムマシーンのことなど、その時はすっかり頭の中になく、そこから脱出したい想いでいっぱいだった。だが、外から鍵がかけられており、脱出する術がなかった。

1か月前

他人になりたいと思ったことがある人も世の中にはいるだろう。しかし、決してなることはできない。自分というものがわからなくなってしまったとしても、自分は自分なのだ。トートロジー。僕は何度も記憶を失い、何度も思い出してきたが、その間中僕は僕のままだった。たとえ都度別人のように感じても。

僕は気づいたら67歳になってしまったわけだが、この先どのようにして生きていけば良いのだろうか。記憶こそ思い出せるものの、何を目的に生きていけば良いのか皆目見当もつかない。両親はもう90歳台後半である。親孝行した記憶がないのが、自分の人間性を明らかにする気がする。まだ間に合うのか。

自分と自分以外の境界線を考えると、案外、自分というものは全体における部分でしかなく、その部分ですら、無限に部分に分割できるようにも思えるから、自分などという概念は、何かを指しているようで何も意味していないのかもしれない。そんな風にも思える。記憶が違えば他人ということなのだろうか。

2週間前

この夢を30年前の誕生日を迎える前に見て、タイムマシーンができたと両親に報告しに行ったのだった。タイムマシーンは、装置ではなく、脳内にあるようなものだということで誰でも使えるようになると信じてやまなかった。頭に装着された装置によってまず想起された記憶は、この30年前のものだった。

1か月前

この発想に至った時、夢こそがタイムマシーンになりうると僕は思ったのだ。通常は、荒唐無稽な夢だったり、記憶の整理と言われる夢だったりするが、過去や未来を夢で経験でき、それが再現性を伴ったら、すごいことだ。きっとできるはずだ。できる方法があってもおかしくない。そう信じた夢を見たのだ。

1か月前

「意識が戻ったばかりで、今は何がなんだか、お分かりにならないでしょう。少し休んでいてください。私は私で、結局あなたの言う通りのシナリオになっていて、驚いているところです。安定したら、事の詳細をお伝えしましょう。そうすることが私の役目です。では後ほど。」医者は、そう言って退室した。

1か月前

では、タイムマシーンができるとしたら、どういうことになるのか。それは、過去や未来の時点へ行くのではなく、過去や未来を今において経験するということになる。過去や未来を今において経験できれば、一般的にイメージされているようなタイムマシーンができたことと同じことになる。僕はそう考えた。

1か月前

「30年前の今日、つまり、・・・さんの37歳の誕生日の日の朝、あなたは目が覚めると、いきなりご両親のところへ行き、『ついにタイムマシンができた!人類初の快挙だよ!』と宣言しました。心配になったご両親が、半ば強引にあなたを私のところへ連れてきたのです。あなたは、私に熱弁しました。」

1か月前

そう思ったことを、この頭につけられている装置によって、今、思い出しているわけだが、二度あることは三度あるではないか。これまでの記憶がなくて、最後の記憶が37歳になる前日だなんてことが人生で二度もあるだろうか。まだまだ30年分の記憶を思い出すには時間がかかるがデジャヴ感が半端ない。

4週間前

だが、妄想にしては、確固たる記憶だった。それは、ちょうど30年前、僕がタイムマシーンがついにできたと、両親に報告に行った朝のもの。僕は、なぜタイムマシーンができたと思ったのか思い出していた。その根拠は、人間の認識と記憶、そして時間に関する僕の持論にあった。僕は正しかったと思った。

1か月前

自分の記憶を何でも思い出せるとはどういうことだ?と、初めは意味がわからなかった。わけのわからない装置を取り付けられて、恐怖を覚えた。だが、次の瞬間、装置を取り付けられる前にはなかったはずの記憶が想起された。まるで夢でも見ているかのように鮮明に。不思議な感覚だった。妄想かと思った。

1か月前

医者が僕の両親だと言っていた老人2人が生まれたての赤ん坊を見るような笑顔で静かに僕を見ている。確かにどことなく僕の記憶にある両親の顔に面影がある。もう一人老人が僕を見ているが、少し若めの女性で、なんとなく妹っぽかった。そういえば先程まで危篤だったんだな僕は、と状況を整理している。

1か月前

その一点とは、ドアの鍵の位置だった。外側から施錠されていて、内側からはどうしようもないのだが、その鍵の位置に、カウントダウンをするかのように人差し指が吸いついていって、ゼロになればドアが開く気がしたが、1からゼロの間には無限の時点があってそれらを全て通過していくような感覚だった。

3週間前

そしてあっけなく退院当日の日を迎えた。所定の手続きを済ませ、母親と共に実家に帰った。頭につけているこの装置は、何でも思い出せるから、忘れていたことをふと思い出すと自分でも驚く。当初、実家には僕の部屋はなかったのだ。偶然、空き部屋が一つあり、そこに居候させてもらうことになったのだ。

2週間前

退院の前日となった。その夜、背中の中心を、針で垂直に突き刺されたような感覚に陥った。痛みとは違う、今までにない感覚。違和感。僕は、まだ退院してはいけないのではないか、これは何かの天啓ではないか、と考えた。医者に申し出たが、退院を目前にして何らかの症状が出るのはよくあることらしい。

2週間前

老人の一人が口を開いた。「どうやら奇跡的に意識を取り戻したようですね。30年になりますか。あの日から。」30年?あの日?どういうことだ?この老人は聴診器を首からぶらさげ白衣を着ている。どうやら医者のようだ。僕は、ここがどこかと思ったが、直感的に病院だと察した。医者はさらに続けた。

1か月前

医者が話しかけてきた。「どうやら、30年前に私があなたを強制入院させた時のことを思い出されたようですね。この装置は、こちらのモニターで何を思い出しているのか確認することができますからね。便利なものをあなたは開発されました。当時はあなたが病気だと診断したわけですが、個性でしたね。」

3週間前

タイムマシーンは脳内にある。とはいえ、当時、意気揚々とタイムマシーンができたと宣言したのは時期尚早で、両親は心配になり僕を医者に連れて行き、医者は支離滅裂な言動をしているということで、僕を強制入院させた。そういう流れだったことを思い出した。注射をされ、強制的に眠らされたのだった。

1か月前

最後の記憶はいつか?そう言われてみると、明日が37歳の誕生日だと思ったのが最後でそれ以降の記憶はない。それもそのはず。現状がよくわかっていないが、僕は昨日寝て今日目覚めたと思っているからだ。最後の記憶も何も、たった今目覚めて新たな記憶がスタートしているのだ。医者が再び話し始めた。

1か月前

第一、僕は、人が何をすると喜んでくれるのか、よくわからない。若かりし頃は、今よりも感受性豊かでいろんな感情を顕にしていたことも多々あったが、持病が発現してからは、人間らしい感情というものをほとんど失ってしまったとさえ思う。だから、自分が親不孝だとはわかっても、親孝行がわからない。

明日は、37歳の誕生日だ。そう思って、いろいろ物思いに耽りながら眠りについた。そう記憶しているが、目が覚めると、見覚えのない老人達が何名か、僕を囲うようにして立ち、僕の顔を覗き込んでいた。うわっと驚いて、体を起こそうとしたが体が言うことを聞かない。一体僕の身に、何が起こったのか。

1か月前

そう、僕の人生には記憶をなくし思い出すということが幾たびもあった。今はこんな装置も発明されていて自分の記憶を何でも思い出せる時代になっているけれども、この装置がなかった時代にも、僕は記憶を失い周りからの証言などで思い出すということが多々あったのだ。実はこの装置は僕が発明したのだ。

4週間前

人は他人の死を知ることができるが、自分の死は知ることができないと思われがちである。しかし、死以外についてもそうだが、人は他人についてその他人の主観において何が起こっているのか知れないし、自分の死については死後に意識はないという前提で考えている。現実はどうなっているのか不明なのだ。

12時間前

普通に憧れるといっても、もしかしたら普通などという概念は、あってないようなものなのかもしれない。あらゆる存在は、固有の存在であって、種類に分けられたとしても個物はどれをとってみても個物だ。こんなことは昔から論争されてきたことかもしれないが、普通などと一括りにできるのは何だろうか。

両親に恩を返すどころか、この歳になっても保護してもらっているようでは、人間失格かもしれない。生きる目的とか以前に、両親がいなくなってしまったら、きっと路頭に迷うだろう。比較的早く餓死して死んでしまうかもしれない。医者は、良い意味で普通じゃないと僕のことを言うが普通とやらに憧れる。

予言的なことを言ってそれがいくら当たっても、役に立たなければ、意味のない発言と大差はない。自分で記憶がないから残念だが、あまりにも予言的な発言の内容が当たるので、その状態になっていた時の僕を頼り占いに来た人が大勢いたそうだ。僕は、何かの役割を背負って生かされてきたのかもしれない。

実を言えば、危篤状態のとき以外にも、僕の人生には記憶がない期間がいくつかある。酒に酔って記憶がないというのと近いかもしれないが、持病により自覚がないまま行動していたこともあるのだ。医者によれば、その間の僕の予言的発言が当たり、驚いたことが何度かあるらしい。何か憑依したかのようだ。

僕は、何でも思い出せる装置を発明してしまったわけだが、忘れてしまった方が良いことや、思い出せない方が幸せなんてことは、世の中にいくらでもあるだろう。もしかしたら、何でも思い出せる装置よりも、何でも忘れられる装置を発明した方が世のため人のためになったかもしれない。皮肉なものである。

それにしても、記憶を失うのは、とても怖いことだ。よく酒に酔って記憶をなくした、なんて話を聞くが、記憶のない中で自分が何をしでかしたかわかったものではない。後からその事実を知ったとしても、記憶がないということは、故意に行為を行ったわけではないが責任は伴うということである。恐ろしい。

僕は抵抗する余地もなく、頭に見たことのない装置を取り付けられた。その装置は、医者によると、保存された記憶を脳内に復元することができる代物らしい。パソコンの外付けハードディスクのようなものだとのこと。他人の記憶を思い出すことはできないが、自分の記憶であれば、何でも思い出せるらしい。

1か月前

静寂な病室の中、誰が何を言うでもなく、1時間程度経過した。僕の意識がかなりはっきりした。ちょうど頃合いを見計らったかのように医者が戻って来て話し始めた。「さて、・・・さん。意識がかなり戻ったようなので、お伝えしますね。この30年間何があったのか。これを頭につけさせてもらいます。」

1か月前

監禁されるという非常事態による精神状態だったからか、却って感覚が研ぎ澄まされて、あのような認識に至ったのだろうか。それとも、あの時はただ必死で、今、冷静に振り返っているからこそ、当時そう感じたと思っているのか、その辺のことは自分でもよくわからない。この世はわからないことだらけだ。

3週間前

人生に意味なんてない。意味らしきものがあるとすれば、自分でそれを決めるということで、やはり、もともと用意されていた意味などない。そう思っていた。しかし、人類の、あるいは宇宙の一部として存在しているからには、何かあるのかもしれないなと思った。人生に意味が見出せることはきっと幸せだ。