高知県の歴史

長元記(ちょうげんき)とは?

長元記(ちょうげんき)とは?

長元記は『長元物語』(ちょうげんものがたり)とも呼ばれ、 元親記とともによく目にする機会も多い軍記物です。 これも元親記と同じく江戸時代に長宗我部元親公の家臣により書かれた軍記物です。 著者は【立石正賀】(たていしまさよし)殿と言われ、元親記よりも後の万治二年(1659年)に書かれたと言われています。 覚え書きとして書かれた側面があるため、箇条書き形式になっており、長宗我部氏の盛衰を冷静に分析しているそうですが、元親記と同じように記憶違いや多少の誇張もあるそうで注意とか。

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高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その1

高知県立埋蔵文化財センター「山城講座」に参加して その1

高知県立埋蔵文化財センター様主催の【山城講座】 に参加してきました。 テーマは高知県佐川町にある佐川城跡だったのですが、 佐川城の話も交えつつ、先日発刊された 「城郭研究と考古学」 で松田所長が書かれたレポートの内容をわかりやすく話してくれました。 高知県の中世城館は716あり、中での幡多・高岡地域が390箇所と土佐一条氏の力が及んでいたエリアに多い事がわかっているそうです。 前提条件として松田所長の説では 竪堀が連続する形には 「連続竪堀」・・・3本以上の竪堀群 「

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長宗我部氏の家紋(七つカタバミ)

長宗我部氏の家紋(七つカタバミ)

長宗我部家の家紋として知られている「七つカタバミ」ですが、その由来が江戸時代に書かれた軍記物「元親記」に書かれています。 それによると 「江村郷、廿枝郷、野田、大埇、吉原の3千貫を与えるという天皇の命令と杯を賜った際に、杯にカタバミの葉が1つ浮き、これを飲んだ。これをもってカタバミを家の家紋にしたと伝わっている。」 と書かれているそうです。 個人的にはあまりにもできすぎた話です・・。まあ真実はさておき、そのように伝えていたということですね。 ちなみに「続々群書類従」のなか

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元親記とは?

元親記とは?

よく長宗我部元親公に関する本などを読んでいると、 「元親記」 と出てくることがあると思います。 その元親記っていったい何なんだい? というのを書きたいと思います。 「長宗我部元親記」とも言われているそうです。 作者は高島正重(たかしま・まさしげ)。 土佐一条氏の家臣であり、その後長宗我部氏の家臣になった人物です。 長宗我部元親公三十三回忌を記念して 寛永8年(1631年)に「元親記」を記しています。 元親記を記した時は山内氏の家臣となっていました。 長宗我部元親公の生涯を

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