私が沖縄にこだわるわけ

返還されたのは「沖縄」でなく「領土」だった

返還されたのは「沖縄」でなく「領土」だった

「核」より「基地」にこだわった沖縄民意 1967年6月、沖縄の地元紙・琉球新報は当時としては異例の全島世論調査を実施した。「沖縄の祖国復帰が実現しない限り戦後は終わらない」と述べた65年8月の佐藤栄作首相の沖縄訪問から約2年。11月には日米首脳会談を控え、米国が交渉に応じるのか、返還される場合の条件とは何なのかが大きな焦点となっていた時期だ。  調査は無作為抽出の1500人が対象で回答率は70.9%。返還の際の基地の在り方をめぐる問いでは「米軍基地を一切撤去」が24.6%、

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米国制作だった「日本外交の金字塔」

米国制作だった「日本外交の金字塔」

ライシャワーの危機感 この連載が始まって1年が経つ。当初は沖縄にまつわる歴史や文化、特に本土ではあまり知られていない出来事や人物にスポットを当てて、観光と基地だけでない沖縄の奥深さを紹介しようと思っていた。ところがふとしたことで来年5月が返還からちょうど50年であることを思い立ち、近年公開された外交文書や古文書を渉猟しているうちに私の中の“常識”や世間の通説を覆すようなことがわんさか出てきた。不知の事実だけなら「そうか、そんなこともあったのか」で済むが、返還交渉にまつわる秘史

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『糸』と『縄』にみる宰相の葛藤

『糸』と『縄』にみる宰相の葛藤

ニクソン怒らせた佐藤の裏切り 半世紀前の沖縄返還は「糸」を売って「縄」を買ったと言われた。米国が沖縄を日本に返還する代わりに日本が米国の求める繊維輸出の自主規制を受け入れる“密約”があったとされるものだ。果たしてこれは真実なのか。  「糸」と「縄」の取引説については、これまでさまざまな書物が出ているが、最も真相に近いのは返還交渉に当たって佐藤栄作首相の密使を務めた京都産業大教授・若泉敬の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)だろう。彼は米国から「糸」と「縄」の取引を直

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戦時報道の教訓映す「反復帰」記事

戦時報道の教訓映す「反復帰」記事

🔻社論に反旗掲げた編集委員  朝日新聞が5月26日、東京五輪パラリンピックを中止すべきという社説を掲載した。世論はどの調査も一時7割以上が「中止・延期」だっただけに、英断というより「ようやく」という印象だ。だが、他の大手紙は一向に態度を明らかにしない。社説だけではない。 記者個人の署名記事や外部識者の寄稿でも、明確に「中止」を訴える記事はほとんどない。五輪スポンサーに名を連ねているのだから「中止」を唱えることは社論と矛盾するということなのだろう。  それにしても新聞にとって

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安保族の“見捨てられ不安”

安保族の“見捨てられ不安”

🔻重みが違う52年ぶりの「台湾」言及  4月の日米首脳会談。バイデン米大統領が就任後初の対面会談の相手に選んだのは菅義偉首相だった。一番切符を手にするための外務省、駐米大使館の下工作は大変なものだったらしい。  米側はその“貸し分”を使い、渋る日本を説得して共同声明に「台湾」を入れ込んだ。日米共同声明で台湾が言及されるのは52年ぶり、沖縄返還に合意した1969年11月の佐藤ニクソン共同声明に遡る。この時に言及された「台湾」は簡単に言うと、米軍が台湾海峡有事の際に沖縄の基地か

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佐藤栄作は恩人なのか

佐藤栄作は恩人なのか

当初の目標は日中国交回復だった  1972年5月15日、沖縄は27年間の米統治から解放され日本に復帰した。その偉業を成し遂げたのが安倍晋三の大叔父に当たる佐藤栄作である。64年11月、首相に就任した佐藤は翌年8月に沖縄を訪れ、那覇空港で「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって『戦後』は終わっていない」という歴史的な言葉を残した。それから約4年後の69年11月、ニクソン大統領との首脳会談で返還合意を勝ち取り、戦争で失った領土を平和的に取り戻したとして74年にはノーベル平

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「日本国万歳!」の深い含意

「日本国万歳!」の深い含意

半世紀前の「普天間閉鎖」構想 沖縄は5月15日、本土復帰記念日を迎える。ほぼ半世紀前、日本武道館で開かれた復帰記念式典で佐藤栄作首相は最後に「日本国万歳!天皇陛下万歳!」と音頭を取った。作家の大岡昇平は「『沖縄万歳』ではなく『天皇陛下万歳』を唱う。呆れた国なり」と評したという。当時、「沖縄が日本に復帰したのだから『日本国、天皇陛下』でいいのだ」という言説もあったが、いま映像で振り返っても、確かに違和感の残るシーンではある。  沖縄が本土に復帰した1972年当時、沖縄本島には

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