人気の記事一覧
シリーズ3の慰霊か、異例か~皇室外交の失敗、中国~
+23
「答礼」として始まった!?天皇の外国御訪問──高橋紘『人間 昭和天皇』を読む(2016年2月17日)
R5.5.11(木) 学校図書館の充実No4 『み国始めの物語』
R5.6.28(水)総理への手紙No.3 サウジアラビア
モンターニュの折々の言葉 371「他人のことは勿論大事ではあるけれども、自分のことで精一杯」 [令和5年4月20日]
R5.4.7(金) 皇室外交に期待 chat GPTも大賛成
R5.2.23(木) chat GPTと天長節を語る
【続いてる写経 706日め】〜日本の切り札、それは皇室
私達が皇室の方々の基本的人権を奪っている ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
【百年ニュース】1920(大正9)6月1日(火)「東久邇宮稔彦王殿下には長途のお旅,御微恙だもあらせられず6月1日無事パリに御到着あそばされたり(パリ駐在陸軍武官永井来中佐→陸軍省)」5月13日に日本では王妃聰子が三男彰常王を出産。稔彦王は子の誕生を待つより渡欧を優先。
中学生でも解かるのは簡単!わからないのは大人だけ!これが理解出来なきゃ、御鳥羽上皇の仲間入り!なんて無理!無理!中学以下だ!
【百年ニュース】1920(大正9)6月24日(木)ルーマニア皇太子カロル親王に大勲位菊花大綬章が贈進される。皇太子裕仁親王が病気の大正天皇の代わり贈呈。皇太子は4月14日の英国大使信任状捧呈式以降代理公務が増えていった。菊花大綬章は最高位である菊花章頸飾に次ぐ勲章。
再生
再生