野中兼山公はどう考えても現代に至るまでの土佐国の功労者で、この像の説明文の通りなのだけど、死後その一族に対する苛烈な仕置き(男子断絶まで座敷牢に幽閉)の話を知ると、複雑な気持ちになる。土佐の嶺北、本山町あたりは兼山の領地で、領主としての兼山公を祀っているのは今日まで知らなかった。