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死についての思索(3)---生き死に・超越的眼力・世界の色彩を決断する人間・生の形相は死の形よりも恐ろしい・死狂・有限の継承者・軽やかな死の革命児

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全ては必然の道を歩んでいる。人の発心ですら、己とされるものと関わりのない所から湧いてくる。それが心と信じている箇所で起きているので、我意と勘違いするが。主体的に選択したと思える場面も、それはそうするしかなかったということだ。そういう意味で人生に「もし」はない。選択肢はないからだ。

1年前

一口のご飯を我慢する、五分早起きする、修行とは我意を制して我執をなくそうとすること。それは神意にもかない捧げ物ともなる。功利的な考え方をしても、我意へのこだわりが薄まれば、客観的で冷静なものの見方もできるようになる。上記をまとめて「運気が上がる」とも言う。

1年前

捧げものはなんですか

2年前

「無」

3年前

人は我意にしがみつき、隣人と我の境遇を比べる限り、際限なく不幸になれる。かといって我意にこだわらず、比較をやめたとしても幸せになれるわけではない。不幸の対義語は幸せではなく「不幸ではない」なのだろう。だが我意に執着せず、あるがままを受け入れることができれば、安寧の境地には至れる。

1年前