小日本主義

「名言との対話」8月26日。武村正義「質実国家」

武村 正義(たけむら まさよし、1934年(昭和9年)8月26日 - )は、日本の政治家。 滋賀県立八日市高等学校では日本民主青年同盟。新聞部の部長時代に無期謹慎の処分を受けた。生徒会長に立候補し、吉田内閣の逆コースと再軍備施策を批判。名古屋大学工学部機械工学科に1浪の末に合格。東京大学教育学部の3年生に編入学。卒業後、東京大学新聞研究所を経て経済学部に学士入学し卒業。国家公務員上級試験に合格後、27歳で自治省に入省。面接官は後藤田正治だった。 1970年退官し、郷里の八

スキ
6

石橋湛山の小日本主義(3)(2008)

第4章 『大日本主義の幻想』の論点  『大日本主義の幻想』は国際政治や安全保障をめぐる議論であり、国内の政治諸問題に関する言及は抑えられている。しかし、小日本主義は、何も、国際政治に限定された思想ではない。湛山は文芸批評家出身のジャーナリストであり、『百年戦争の予想』のような例外的な作品を除けば、そのテキストは具体的な出来事や事件、国内外の情勢、政策などについての批判・提言である。『大日本主義の幻想』は、一切を安全保障に翻訳して政策を組み立てる一元主義の典型である大日本主義を

スキ
3

石橋湛山の小日本主義(2)(2008)

第3章 大日本主義とは何か  湛山は、「大日本主義」について「日本本土以外に、領土もしくは勢力範囲を拡張せんとする政策」と定義し、その主張を次の二点に要約している。 (一)我が国はこれらの場所を、しっかりと押さえた置かねば、経済的に、また国防的に自立する事は出来ない。少なくも、そを脅かさるる虞がある。 (二)列強はいずれも海外に広大な殖民地を有しておる。しからざれば米国の如くその国自ら広大である。而して彼らはその広大にして天然豊かなる土地に障壁を設けて、他国民の入るを許さ

スキ
3

石橋湛山の小日本主義(1)(2008)

石橋湛山の小日本主義 Saven Satow Jan. 07,. 2008 「つまり石橋湛山は日本人は西洋列強の真似をするのをやめて、植民地や勢力圏を放棄することを主張したのです。そうすれば軍備も不要になるという注目すべきことも述べています。それはとても小さな声で当時はほとんど無視されましたが、こうした主張があったことも忘れてはならないと思います」。 駒田和幸『NHK高校講座日本史 第34回第一次世界大戦』 第1章 『大日本主義の幻想』の背景  石橋湛山の全作品の中で『大

スキ
3

保阪正康『日本の地下水脈』|五つの国家像

昭和史研究家の保阪正康が、日本の近現代が歩んだ150年を再検証。歴史のあらゆる場面で顔を出す「地下水脈」を辿ることで、何が見えてくるのか。第二回のテーマは、五つの国家像。欧州型の帝国主義国家への道を目指した維新後の政府。だが、日本が取りえた「国のかたち」は他にもあった。/文・保阪正康(昭和史研究家) 構成・栗原俊雄(毎日新聞記者) 保阪氏 「玉砕」「特攻」に至るまでなぜ日本は太平洋戦争を始め、敗戦に至ったのか。なぜ「玉砕」「特攻」といった無謀な作戦で多くの人命を失ってしま

スキ
18

新たしい雰囲気

出兵して復員後、「国破れて山河あり。」と荒廃した故郷を見て、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと思って政治家を志した竹下登。憲法の精神が云々、占領秘話が云々は、外務省の腰抜けが愚痴を垂らしているだけで、結局、自身の心には何も響かなかった。事実上、日本は、太平洋戦争敗北まで、外国の軍隊に占領される事はなかったわけだから、世界ではよくあることで済まされても、日本の場合、何せ、初めての事で、どうやって戦後を収拾したらいいのか分からない。村山富市政権が、政権を取った時に右往左往した

スキ
2

お花畑思想にすぎなかった小日本主義

左翼陣営が戦前の日本を非難する際、必ず持ち出してくるのが軍国主義だ。日本を戦争へと導いたのは軍国主義だったというのがその理屈である。 もっとも、では軍国主義以外にどんな道があったのかと問うと、多くは口をつぐんでしまう。だが、なかには勝ち誇ったようにこう答える者もいる。「小日本主義」を知らないのか、とーー。 小日本主義というのは、戦前の自由主義者として知られたジャーナリスト石橋湛山が唱えた政策で、台湾や朝鮮、さらに満州などの植民地は不要であり、それらがなくとも自由貿易で日本

スキ
1
有料
100