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日本保守思想の研究 10

1 天皇 保守思想の拠り所

  保守思想にとって天皇は心の拠り所である
天子さまであり神の具現であり世の中の森羅万象を支配してるー東アジアの古典的で原始的な政治観ーである。
前述したがそういう観点からも大日本帝国憲法を制定したが反キリスト教文化の大アンチテーゼのシンボルでもある
天皇家自体は進歩的な思想を持った人が多いがーそれはリベラルという意味であるがー天皇自体は絶対的主権者であると
いうその政治観によって苦悩する。
昭和天皇は若くして天皇に即位した、したがって年上の政治家に利用された、田中総理を叱責したあと田中が体調不良になったあたりから、此処ぞというと言う時にもの申すことを控え気味であった。陸軍が満州事変後朝鮮軍の越境行為など、大元帥を裁可なしではやってはいけないことすら追認した。
若い天皇誰も相談出来ない、孤独な政治家勿論若過ぎる彼を強く責めることははばかれるが…
彼は後に大日本主義者特に陸軍の青年将校から在らぬ噂を流され相当気にかけていたらしい、それほど彼は大日本主義者にとって不都合な天皇であり、利用する存在であった
2・26では赫怒した甲斐があったが開戦迄陸軍の暴走と追認であった。それが本人にとって不本意であっても。

2 天皇の戦争責任

開戦後は破竹の勢いだったのもミッドウェー海戦の敗北から、アメリカの国力と
を見せつけられる物量戦それは維新の時から恐れていた西欧諸国との本格戦争ーアメリカはアメリカの戦争資源のたったの35%としか対日戦に使っただけだがーに押され遂にサイパン玉砕になった。
軍部上層部いや天皇も戦前の図上演習で理解していたがどう足掻こうが 負けは決定的になった。

そして彼は聖断により戦を終わらせた。

私は天皇に戦争責任はあるとおもう

それは実際大元帥であり國の総攬者であるから彼が反対する戦争など起きはしないただ終戦という国家という行為ーそれは当時としては体制内革命であるーを行ったのも彼であるし彼しか出来ない行為である。
つまり彼は若い純粋な政治家として、自分の命を捨ててまで臣民多くは民族の救済に無心に純粋に政治行為をしたわけである。
では、英霊はどうなるのか、東大の憲法学者の宮沢教授の8月革命説をベースに
私なりに考えるのは、彼等は見方によれば日本に民主主義を受けるための受け皿になった、前述した当時は大日本主義や小日本主義も既に手詰まりになっている。大政翼賛会まで造った大日本主義だが結局拡大政策しか出来ないのだ破滅しかもたらさない、小日本主義にして天皇にしてもできえない憲法改正しかないそれは酷い内戦になっていたはずである、絶対君主制から立憲君主制になるのは
どの国も革命があったからだ。
そしてポツダム宣言の受諾、つまり完全な民主レジュームチェンジを受け入れる最大の原因になったからだ。
彼等英霊は民族自滅を救うために散華した。決して無駄死にではない。

それは石橋湛山風に云えば、外と戦ったのでなく実は内と戦ていたのだ。

天皇と少数の良識的政治家は
戦後また始まる保守思想の暴走を影で観ながら表舞台から去るのである。

次回もお楽しみに!

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