金岡新
「137 福沢諭吉」から「160 坂口安吾・小林秀雄」までです。 第1回からの全体像は、以下のサイトからご覧いただけます。 https://timeway.vivian.jp/rinri/index.html
江戸時代の思想をまとめています。
鎌倉仏教について、113~119を束ねました。
「時間切れ!倫理」102~112、日本の思想 古代~平安時代
私は高校で社会科(正確には地歴科と公民科といいます)の教師をしています。 社会科には、日本史、世界史、地理、現代社会、政治経済、倫理があります。2年先にはカリキュラム改訂で変更がありますが、同様の分野があると考えてよいでしょう。 さて、我々社会科教員は、みなそれぞれ専門科目があります。私は大学で東洋史を専攻したので、専門は世界史です。とはいえ、教師になればどの科目も教えなければなりません。私でいえば、世界史専門だからといって、世界史だけを教えているわけではありません。 一人
ただ、自分は救われる人間だと思っても、やはり不安は残ります。本当に救われるのか?、と。救われるか救われないか、知る方法はあるのか? カルヴァンの回答はこうです。 カルヴァンもルターと同じく、職業は神から与えられた天命だという職業召命観を持っています。そこで、カルヴァンは「知る方法はないけれど、神がはじめから救うと決めている人は幸運な人だから、その人は仕事、職業において成功する確率が高いだろう」という。職業で成功することと、救われる人であることは、相関関係が高いのではないか
ルターのあとから、同じように別の宗派を作る人物が出てきます。その一人がカルヴァン(1509生まれ)です。フランス人で、フランスで宗教改革をしようとしたのですが、うまくいかず、スイスのジュネーブに招かれて、ここで宗教改革を行いました。著書は『キリスト教綱要』。 カルヴァンの教えで、非常に有名なのが予定説です。簡単にいえば、「誰が救済されるかは、神によって予(あらかじ)め定められている」という説です。これは、すごいこと言っています。もう一度言います。 どうすれば、人は天国に
ルターの教えを、具体的に見ていきましょう。 ローマ教会は、教会の言うことを聞いて罪を償えば天国へ行けると教えた。対して、ルターは、その教会の教えがおかしいと言う。ではどうしたら天国へ行けるのか。ルターは、ちゃんとした信仰をもっていれば天国に行けると教えた。これが信仰義認説です。 前にも出てきましたね。パウロが信仰義認説を説いていました。ユダヤ教は戒律を守ったら天国へ行けると教えていた。それに対して、パウロは戒律などはどうでもいい、信仰が大事だと教えた。同じことの繰り返し
ドイツのルター(1483生)は、カトリックの聖職者でヴィッテンベルク大学の神学教授でした。エラスムスがカトリック教会のラテン語聖書の誤訳を指摘したり、様々な人が聖職者の堕落を指摘したりして、カトリック教会の権威は揺らいでいましたが、やはり信仰の拠り所はこの教会でした。 1517年、ルターはそのローマ教会への質問状を発表します。西ヨーロッパ社会を大きく揺るがす宗教改革の始まりです。 ルターの教会批判は、教会による贖宥状販売の批判から始まります。少し長くなりますが、贖宥状に
エラスムス 北方ルネサンスの学者として、一番有名な人物がエラスムス(1466?生)です。現在のオランダ・ベルギーにあたる地域、ネーデルラントの人物です。著作としては『愚神礼賛』。教会の腐敗を批判した風刺小説です。また、学者としてはヨーロッパナンバーワンで、最も有名で権威を持った学者でした。 学者としての仕事では、ローマ教会が発行していた聖書の誤訳を指摘したのです。もともと新約聖書はギリシア語で書かれていましたが、ローマ=カトリック教会は、これをラテン語に翻訳して使ってい
美術 ボッティチェリ(1445?生)。『春』『ヴィーナスの誕生』が代表作です。 『ヴィーナスの誕生』は教科書に絵が出ていますね。皆さんも見たことがあると思います。ホタテ貝の上にヴィーナス=アフロディーテが乗っています。これは古代ギリシア・ローマの愛と美の女神です。キリスト教とは関係がない神です。この女神が一糸まとわぬ姿でこちらに向かってる。春です。裸です。完全にローマ=カトリック教会の教えに対する挑戦ですね。 レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452生)はご存知だと思います
ルネサンスの人物として最初に登場するのがダンテ(1265生)です。作品は『神曲』。物語風の長い詩です。物語の主人公はダンテ自身で、かれが地獄、煉獄、天国を旅する物語です。煉獄というのは、当時考えられていた死後の世界の一つで、地獄と天国の中間にある。めちゃくちゃ悪い人は地獄に行くのですが、そこそこの人は煉獄でしばらく罪を清めてから天国に行ける、そういう場所です。 この地獄・煉獄・天国を旅する話の、どこがルネサンスか。この物語の中で旅の道案内の人物が出てきます。それが古代ロー
ヨーロッパの思想は、古代ギリシアとヘレニズム時代の哲学者までやりました。また、キリスト教登場後の、アウグスティヌスの『神の国』、また中世ヨーロッパの神学者トマス・アクィナスについても触れました。 西ヨーロッパでは、ゲルマン人の民族大移動の混乱のなかで、西ローマ帝国が滅んだあと、ゲルマン系の人々が各地を支配し、ヨーロッパは中世の時代に入ります。かつて中世ヨーロッパは、暗黒時代とも呼ばれていました。西ローマ帝国が滅びるとともに、高い水準を誇った古代ギリシア・ローマ文化が滅び去
坂口安吾は戦前から活躍していた小説家ですが、敗戦直後『堕落論』という評論で大ブレイクしました。今を生きる人々の営みを、徹底的に肯定します。「堕落せよ!」と言う。 生きるためには、こんな事やってはだめだ、なんていうことはない。極端なことを言えば、人がどんどん増えて駐車場が足りなくなったならば、法隆寺を潰してそこに駐車場を作ったらいいんだと言う。千何百年か前の文化遺産よりも、現在生きている人間の方が大事だという。 敗戦直後の、戦争から解放された人々の生きるエネルギーに応えた
丸山真男は政治学者、東大の教授です。彼は第二次世界対戦が終わった後、なぜ日本はこのような無謀な戦争に突っ込んでいったのか、なぜ軍国主義を止めることができなかったのか、ということを分析しました。1960年代70年代には広くみんなに読まれました。私も大学に入って彼の本を何冊か買って読みました。丸山真男を読むのは、まともな大学生の常識、という雰囲気が当時はまだあった。『超国家主義の論理と心理』とか、分厚くて高い論文集も買って読んだな。 「無責任の体系」というのがキーワードです。
石橋湛山は、ジャーナリストから政治家に転身した人物です。第二次世界大戦前、軍国主義的な政策に傾いていった日本が、中国東北地方、当時でいう満州地方に侵略を開始していきます。日本中が軍国主義に乗っかって、植民地を広げることに賛成していたなかで、石橋湛山は、植民地を取りに行き領土を広げようとすれば、日本は滅びると訴え続けていました。「小日本主義」と言います。結果的に見れば、第二次世界対戦の敗北を予言していたような、鋭い視点を持っていたわけです。 しかし彼の訴えは、全く世間に受け
柳宗悦 柳宗悦(やなぎむねよし)は美術評論家。ただし、彼が評価したのは著名な芸術家の作品ではない。江戸時代以降だけでも、尾形光琳、狩野永徳、葛飾北斎、いくらでも芸術家がいます。しかし、柳宗悦はそういう名の知れた芸術家の作品ではなく、名もない職人さん達が作るお茶碗など、日常生活で使う様々な道具に美を見出しました。これを民芸運動と言います。一般民衆の暮らし、伝統文化に目を向けたのは、柳田国男と相通じるものがあります。 私は、今朝もご飯を食べてきました。ご飯のお茶碗には、模様が
柳田国男の弟子で一番有名なのが折口信夫です。信夫と書いて「しのぶ」と読みます。釈超空(しゃくちょうくう)という名前で、歌人としても活躍しました。 この人は戦後の1953年まで生きています。高度経済成長前の日本には、まだまだ昔の風景が残っていて、昔ながらの村落共同体的なものも残っていた。折口は日本全土を旅して、伝統的な祭りを観察します。 また万葉集や神道の研究などもしている。柳田国男とは違って国学の系統も引いている人です。古事記や万葉集などは全部暗記していたのではないかな
次は民俗学です。日本の民衆の伝統や文化を研究する学問。この人たちの名前は聞いたことがあるかもしれません。僕らくらいの年齢だと、社会常識的に何度も聞いたことがあるし、読んだ人も割と多いのではないか、そういう人たち。 最初は柳田國男です。日本の民衆の風俗や生活を研究した、民俗学を確立しました。若いころは、島崎藤村や『武蔵野』で有名な国木田独歩とも交流があって、文学に志があったようですが、やがてそこから離れ、東京帝大卒業後は、農商務省(現在の農林水産省)の官僚となります。仕事上
和辻哲郎は、日本文化の特徴のところで既に紹介しました。哲学者、日本文化の研究者として出てきます。主著『人間の学としての倫理学』『風土』。日本文化を考えていくなかで、人間関係の考察をした。日本文化論のさきがけのような人といえばよいでしょうか。それで教科書に出てくるのだと思います。 「間柄的存在」としての人間、というのが教科書に出てくる和辻の用語です。これはヨーロッパの哲学・思想に対するちょっとした批判なのです。 ヨーロッパの思想は、理性とは何か、主観とは何か、ソクラテスや