時間切れ!倫理 167 宗教改革 カルヴァン 前篇
ルターのあとから、同じように別の宗派を作る人物が出てきます。その一人がカルヴァン(1509生まれ)です。フランス人で、フランスで宗教改革をしようとしたのですが、うまくいかず、スイスのジュネーブに招かれて、ここで宗教改革を行いました。著書は『キリスト教綱要』。
カルヴァンの教えで、非常に有名なのが予定説です。簡単にいえば、「誰が救済されるかは、神によって予(あらかじ)め定められている」という説です。これは、すごいこと言っています。もう一度言います。
どうすれば、人は天国に行けるのか。ローマ教会は、教会の言うことを聞けば天国に行ける、という。 ルターは、聖書に基づいて信仰を持ちなさい、という。カルヴァンは、「どうしたら天国へ行けますか」と聞かれれば、「そんなことは分からない」という。私には分からない、ここがすごいところ。
カルヴァンによれば、神というのは人間から隔絶した、ものすごく遠いところにいる偉大な存在であり、神が何を考えているかなど人間に分かるはずがない。どうしたら救われるか、というのは、神が誰を救うかということであり、神のご意思を人が分かるはずがない。蟻が人間を見あげて、人間が何を考えているか絶対にわからないように、人間には神の意思は絶対に分からない。だから、どんな人が救われるかなど分かるはずがない、という。
さらに、次のように説きます。神は完璧であり、この世界を作り出すときに、この世界の始まりから終わりまで、すべてを完全に計画している。世界は、初めから神によってプログラミングされている。だから人は生まれた時に、いや生まれる前から、どの人が救われて天国に行くのか、地獄に行くのか、初めから決まっている、とカルヴァンはいう。神が救うと決めている人は、生前にどれだけ悪事をはたらき、信仰心のかけらもなくても救われる。逆に、神が救わないと決めている人は、 どれだけ真面目に人生を送り、人のために尽くし、深い信仰を持っていても救われない。なぜ。そんなことはわからない、それがカルヴァンの考え。
こんな神ならば、信じても意味がないじゃないか、と思ってしまいます。カルヴァン派の信者は、いったい何を考えて信仰したのか、不思議に思いませんか。
当時カルヴァンの説を信じた人々は、彼の説教を聞いてこんなふうに考えた。初めから救われる人間と、救われない人間にわかれているのなら、自分は救われる側の人間に違いない、と。
宝くじと同じです。人間とは面白いもので、宝くじを買う時、人は自分は当たると思って買う。絶対に外れる、という確信をもって宝くじを買う人はいません。 それと同じ。カルヴァンの説教を聞いて、人々は自分は当たりくじだと思ったのです。そうすると、「ああ、神よ、私を救われる側にしてくれて感謝します」と、信仰心はより深く熱心なものになった。これが予定説です。