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おひとりさまの通な時間のつぶし方 その3 -スパークリングワインとクラシック-

ビルの水面に浮かぶ、夜の海の滑走路。

夏が終わろうとしている。日が沈む瞬間に、さらさらと波が耳を撫で、遠退く笑い声を背に、さく、さく、と浜辺を歩き、自分は確かにこの夢の中に存在していたのだ、ということを踏み締め、跡をつけていく。そんな夢から醒めても、気がついたら再びこの夢の中に戻ってきてしまう。そんな夏という季節。

今日はしとやかな雨が外界を静かに包み込んでいた。傘をひらくと切り取られた、わたし、という存在を静寂が覗き込み、「きみはだれ?」と問いかけてくるので、「わたしはあめだよ」と答えると、「うそつき」と言って、ざあざあと音を立てて消えていった。そんなやりとりを繰り返す、雨の日。

小噺 表現する、ということ

久々に会社の下のファミマのコーヒーを飲んだら、酷く苦くて焦げた花火の味がした。それでも飲みながら眠気をごまかし、(加えて空調も非常に寒かったがそれもごまかし)目の前の仕事を無心でこなしていたが、こんなにも全ての感性を閉ざしていた自分を思い出し、ここは戦場だ、と改めて思った。

真夏日、中間試験の時期なのか制服を着た学生が自転車を漕いで横を過ぎていった。そんな時代もあったなあと電車から河川敷を眺め、張り巡らされた電線に囲まれた街を見下ろし、私たちがいたのはあの、河川敷の青い空へ抜けた空間で、網にかかる前の魚のように泳いでいた、一瞬の夏だったのだと悟った。

天パのまま、凄いダボめなサマソニTシャツを着て、どん兵衛をすすりながら会議に出るという遊び。

最近出会った美しい言葉、「午前四時の自動販売機は 路上の水族館」(水無田気流)

モーツァルトは夜。偏見かもしれないが朝にモーツァルトを聴ける人は、絶対に晴れている日に太陽の光が厭わしいなんて思ったことがない人だと思う。特にオペラの序曲なんかを夜に聴くと、子供の頃の寝静まった中、自分だけが起きているという背徳感とわくわく感を音にした、キラキラした魔法のようだ。

ハイボールはサラリーマンの味がする。鼻に抜けるアルコールの余韻が、たった今喉まで込み上げてきたのに押し殺して飲み干した理不尽な、でもそれが正しいのだ、と言わんばかりの強い何かに圧倒されている。そんな私たちを客観的に舌で転がしているような気になる、新橋で飲む、ハイボール。