日記(le 19 juin 2021)

ツイッターのアカウントを分けたこと

ツイッターのアカウント、メインで使っていた @hashida_toyoya が政治系RT(左派・反ネトウヨ)や時事ニュースの紹介(主にパンデミック関連)と希死念慮に偏ってしまい、短歌に関する話題や告知が埋もれてしまいがちだったので、短歌アカウントとして @Hayato44da をあらたに立ち上げました。まだフォロー/フォロワーなど試行錯誤中なのですが、今後は短歌関係のツイート(主に告知など)はこちらでしていこうと思います。とりあえずメイン垢のほうをフォローしてくれていたのにフォローを返せていなかった短歌関係のアカウントなどに、こちらのアカウントから改めてフォローバックをしていこうかなと思っています。スマホからではやりにくいので、タブレットPCなど使いながら……。
また、怪獣映画などはともかく、アイドルなどのオタク活動についてつぶやくにあたって、オタクアカウントの必要性も感じていました。48グループや坂道グループに関してはいわゆる「在宅」だしそんなに気にしていなかったのですが、眉村ちあき・絵恋ちゃんといった、実際にライブに参戦したりツイッター上でも直接コミュニケーションを取るようなアイドルに関しては、やはり政治ツイートの多いアカウントから応援するのは迷惑がかかるだろうと思い、半ば休眠状態だった @deresuke0425 というアカウントを再開させました。ただ、このアカウントはフォロワーが極端に少ないので、より広く発信するために、たとえばオタク垢でつぶやいた内容をメイン垢でRTするなどのことも予定しています。
そのほか、「アライさん界隈」に持っていたアカウントは鍵をかけ、基本的に「病み垢」として運用していくつもりです。メイン垢では人目を気にしてつぶやけないような内容も含めてツイートするのに使う予定です。
4つのアカウントを使い分けるのは大変そうですが、最近の若い子は複数アカウントを使い分けるのが当たり前になっているそうなので、負けないようにしたいと思います。

失業保険と緊急事態宣言のこと

前にも書いたように、緊急事態宣言が出ている間は失業保険をもらうのに、いつ行っても密になりがちなハローワークへ行かずとも郵送だけで済んでいました。しかし明日で宣言が解除されてしまうと、話はまた変わってきます。また陰気でやりきれないハローワークに通い詰めなくてはならない可能性が出てくるのです。
緊急事態宣言が解除されてから最初の認定日までは郵送を推奨するというので、とりあえず7月までは無理をせずに済みそうです。しかし「まん延防止等重点措置」の場合は郵送だけで済むのか、それともハローワークに行かなくてはならないのか、基準がはっきりしません。とにかく、8月からはまたハロワ通いを再開しなくてはならないかも知れない……と思うとそれだけで憂鬱で、痛いほど奥歯を噛み締めてしまいます。東京に関しては緊急事態宣言を解除するかどうか「複雑な判断」だったようで、それならいっそ延長してくれたほうが、こちらとしてはありがたかったのですが。緊急事態宣言が出ている都道府県のうち、沖縄以外では東京の解除にも反対意見が出ていたそうですし。
もちろん既報のようにオリンピックやインドで猛威をふるったデルタ型変異ウイルスを考慮に入れなくても、8月上旬にはまた緊急事態宣言を出さなくてはならないようになるというシミュレーションも出ているので、今後の状況がどうなるかはわかりません。とはいえ今の政府のことを思うと、オリンピック開催中はなにがなんでも緊急事態宣言を出さないような気もします。
もし緊急事態宣言が出ないか、もしくは出るとしてもオリンピック・パラリンピックが終わったあとということになると、少なくとも8月は求職活動を含めて何度かハローワークに行かなくてはいけないことになります。そして去年の10月下旬から給付が始まり、鬱病の診断書を出して半年から300日に延長になったことを考え合わせると、およそ8月が最後ということになりそうです。あるいは9月途中のぶんまで出るかも知れませんが、細かいことはよくわかりません。とにかく、先のことを考えると今から憂鬱です。

ワクチン予約のこと

このあいだの記事にワクチンの接種券が届いたとウキウキで書いたわけですが、いざ予約しようとすると想像をはるかに超えて厳しい現実にぶち当たり、早くもくじけそうです。
せっかく早く届いたのに予約が取れないのではどうしようもありません。僕の年齢でも券さえあれば自衛隊の大規模接種場で接種を受けられるようになりましたが、暑いか雨かどちらかという季節に、都心のわかりにくいところまで(しかも2回も)出かけていくだけの元気はありません。
そうなると自宅最寄りの会場で受けるよりほかありませんが、朝9時ちょうどにポータルサイトにアクセスしてもつながらないし、やっとつながったと思ったらもう全ての枠が埋まっているのです。それも最寄りの会場だけでなく、区内の会場すべて。いつになったらワクチンを打てるのでしょうか。非常勤が始まる9月下旬までに2回目の接種を終えられるといいのですが……。

アフリカにいるかも知れない人のこと

アフリカの某国に行ってしまった知り合いがいます。高校のころ新聞部(正確には委員会だが実態は有志の集まりなので部活のようなもの)で一緒だった仲間です。それまで堅実なメディア関係の仕事をしていたのをやめて、試験を受け、国際貢献活動の一環としてアフリカの某国に行くことになったのです。アフリカの中では治安のいい、比較的住みよい国ではあるようで、話を聞いたとき調べてみて安心したのを覚えています。
出発に際しては、現在は各地に散らばっている同期で福島に集まって壮行会まで開いたぐらいなので、あるいは旧友と言ってもいいかも知れません。しかしそう頻繁に会えるわけでもないし、それどころか連絡すらほとんど取っていないので、なんとなく友達扱いするのは申し訳ないような気もします。かつて共に取材や原稿書き、さらには広告取りなど新聞作りに熱心に取り組み、力を入れて活動していたことから、やはり部活動(金銭の遣り取りも含む)に精を出す高校生たちを描いた『映像研には手を出すな!』NetflixAmazon Prime Video)の「友達ではなく同じ目的を共有する仲間」という関係性・呼称を思い出したので、仮に仲間という言葉を使いました。
ともあれ彼が行った某国も含めアフリカでは感染第3波が広がっているうえに、ワクチン接種も進んでいないという報道を見ました。もしかしたら昨年の第1波のとき既に帰国勧告が出て日本に帰ってきているのかも知れず、もしそうだとしたら僕の心配は杞憂に過ぎないわけですが(もっとも、日本が安全というわけでもない……)。いずれにせよ、息災であってほしいものです。

曜日感覚とタイムフリーのこと

月曜深夜1〜3時の「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」をリアルタイムで聴き損ねることが最近増えてきました。遅い時間帯なので寝てしまっていたから、というのならまだ健康的でよいことなのですが、実のところ聴き逃しが増えているのは、ひきこもり生活が長引いて曜日感覚を失ってしまったからなのです。たとえ月曜の夜中1時から3時までの時間帯に起きていても、曜日感覚がなくなっているため、放送しているのをすっかり忘れていおり、数日後に気付くというようなことがここ数週間ほど続いています。
2週間に一度、火曜日の夕方に通院があるとか、月に一度、これも火曜日に失業保険をもらうため書類を郵送しなくてはならないとか、まだそういう曜日感覚はあるのです。日曜深夜の坂道3番組(乃木坂工事中・そこ曲がったら、櫻坂?・日向坂で会いましょう)も、テレビを見る元気もないぐらい余程しんどいときや、睡眠リズムが狂って寝過ごしたとき以外はかろうじて見られています。また平日と休日という感覚は逆に痛々しいほど感じていますし(平日のみんなが働いている時間帯にツイートするのがはばかられる、など)ゴミの日も基本的に忘れないのですが、なぜかラジオだけは忘れてしまいがちなのです。
「深夜の馬鹿力」だけでなく、このあいだは弓木奈於が週替りパーソナリティだというので水曜深夜の「乃木坂46のオールナイトニッポン」を聴こうとしたらなぜか星野源が話し始めて、どうしたことかと思ったら火曜深夜だったということもありました。ちなみに今週(先週?)の「深夜の馬鹿力」は月曜日だと理解していてこのあと深夜1時から放送だということもわかっていましたが、中途半端な時間に眠気が襲ってきたこともあり、このまま聴いても途中で寝落ちするだけだなと判断してリアルタイムでは聴かずに寝てしまいました。
ただradikoのタイムフリーで聴くのに不便なのが、なぜか最近になって急に、2時間番組の前半1時間と後半1時間を分けて配信するようになったことです。
朝〜昼間の「伊集院光とらじおと」なら時間もタイトに守っているし放送時間も長いし、ゲストコーナーだけ聴きたいとかそういう需用もあるだろうから分割されていても仕方ないとは思うのですが、深夜帯の2時間番組まで1時間ごとに分割する意味はあるのでしょうか。特に「深夜の馬鹿力」は(他の深夜ラジオもそうかも知れませんが)途中に入る2時の時報を無視して喋り続けるので、2時の時報に合わせてタイムフリー配信をぶった切られてしまうと、せっかくのトークが中断されてしまってたいへん聴きにくいのです。特に次の月曜日は「深夜の馬鹿力」の裏番組に「エヴァンゲリオンのオールナイトニッポン」があり、必然的にどちらかをリアルタイムで聴いてもどちらかはタイムフリーで聴かなくてはなりません。願わくばこの声が大きなうねりとなってラジオ局なりradikoなりの偉い人にまで伝わって、長尺番組だからといって機械的に1時間ごとでぶった切るのをやめてもらえないか……と思う次第です。
(2021.6.20.18:00追記:radikoタイムフリーで「深夜の馬鹿力」を聴いてみたところ2時で機械的に分割される状態が改善されていました。やはり反対意見が多数あったのかも知れません。よかった。)

ケーシー高峰のこと

YouTubeのAIはさすがに優秀で、僕にはシティ・ポップなどではなく、ケーシー高峰の医事漫談動画を勧めてきました。人が何を求めているかよくわかってらっしゃる。これはシンギュラリティの到来も近いことでしょう。人間がAIの奴隷になって、ピラミッド作りとか無意味な重労働を強いられることになる日もそう遠くはないはず。
しかしケーシー高峰のネタ、改めて見るとすごいですね。あくまで映像が残っているのはある程度トシをとってからのネタですし、あくまでテレビで放送されたネタばかり(舞台ではもっと過激なネタをやっていたらしい)なので、全盛期をリアルタイムで知らないのですが。
まず拍手で迎えられると、「グラッチェ、アミーゴ」などと怪しげなラテン系の挨拶で登場。その後も続く拍手にはあからさまに不機嫌そうな顔をしてやめさせます(その一方で、漫談の途中で「健康法」と称して観客に手を叩く動きをさせて、万雷の拍手を受けているかのように見せかける持ちネタもあります)。そして漫談が始まるのですが、いくらか最近の健康知識のような話をしたあと「家庭の医学クイズ」的なものを出して、「ほれそこのヨシコ答えてごらん」と適当な観客に話を振ります。そこで答えられなければ「あんた今にボケるよ」、変な答えをすれば「どこから来たんだこのカカアは」と客いじりに突入。
すると別の観客から野次が飛びます。日大医学部に入ったものの途中でドロップアウトしたケーシーに「無免許医者!」。あるいはケーシーのデコボコしたあばた面を果物の皮にたとえて「ゆず!」「夏みかん!」。さらには下ネタ漫談のイメージが定着していることから「スケベ!」など。それを必ず嬉しそうに拾って「免許あったら山形の田舎に帰って開業してらぁ」「俺の顔がデコボコなのは道路公団が手抜き工事したからだ」「俺からスケベ取ったら何が残るんだ」と応戦するのです。冒頭から飛ばしていくスタイルです。福島県いわき市に豪邸をかまえていた(たしか親類がバブルのころ建てたものの維持できなくなっていたのを頼まれて引き取ったもの)こともあって、3.11のあと出演した笑点では「放射能の原産地、いわきからやって参りました」とブチかましたこともありました。のちに本人は「あれは東電への嫌がらせ」と発言していたそうです。
肝心の漫談は、医学豆知識を披露すると見せかけて、下らないダジャレで落とすパターンが定着しています。しかし途中までは大真面目な顔をして解説し、ときどき客を「笑うんじゃないよ、こっちは医学の話をしてるんだから」と叱ったりもする。
頻繁にコスられるネタの定番は、
「赤ちゃんに栄養を与えるため、羊水は胃で栄養を吸収される前のものがいいと言われている」
ともっともらしく言ったあと、真面目な表情ひとつ変えずに、
「これを胃の上羊水(井上陽水)という」
でオトすものなど。あとは短めのネタで、
「俺だってインターンに行ったんだよ。1年8ヶ月。でもね、途中でUターンしたの」
とかもよく披露されていましたね。でも(少なくとも後年になってからの)漫談は、基本的に時事ネタ絡みのダジャレがメインになっています。ブレーンとなる作家がついていたことも大きいのでしょうが、過去の映像を見ると、少子化問題を憂えるフリをして小泉首相の「聖域なき構造改革」を「精液なき構造改革」と茶化してみたり、他にも「カンダハル陥落したね」とか「ペ・ヨンジュン」とか、「貸し倒れ」「貸し渋り」とか、あちこちに当時旬だった話題を散りばめています。
かといって「真面目な医学知識ふうの導入→しょうもないダジャレでオチ」というパターンがうまくハマって客がウケても、あまり嬉しそうな顔はしません。ましてやダジャレのオチを先読みされて笑われると「もうここから先は言わない」と苦笑しながら、黒板に書いた走り書きのチョークの字を消してしまいます(もっとも、年配になってからはネタを忘れないためかあらかじめ黒板に順番が書いてあったので、全部黒板消しで拭き取ってしまうことは減っていましたが)。しかしひとネタ披露してウケをとったあとの余韻や、オチを先取りされて笑われているとき、しばらく真顔のまま無言でいても場がもつのがケーシー高峰のすごいところです。
過去そういうネタを得意としていたためか(残念ながらその頃のケーシーを僕は知りません)新婚夫婦の営みの「医学的考察」などファンサービス的に下ネタも交えてくるのですが、子宮を「ウテルス」、乳首を「にゅうしゅ」、乳房を「にゅうぼう」などといかにも医者らしく呼び換えることで生々しさを避け、うまくネタに落とし込んでいきます。このあたりは本当に医学部出身で、また母親が高齢になってもなお僻地で診療を続けて読売医学功労賞まで受けた産婦人科医というバックボーンをもつ、ドクター(ケーシーの愛称)ならではのネタなのかも知れません。
……もっとも、とっくに男性機能を失っていたであろう晩年になっても共演した日本エレキテル連合に楽屋で迫ってみたり(もちろんジョークでしょうが)、テレ東系「チマタの噺」出演時にはいきなりホスト役の笑福亭鶴瓶に、
「師匠は最近、スケ(女性をさす隠語。女番長=スケバン、など。)のほうはどうなの?」
と問いかけて、
「今の時代に"スケ”って……」
と困惑させてみたり、本当にスケベなだけという可能性も大いにあるわけですが。
そういえば最晩年「伊集院光とらじおと」にゲスト出演した際も、新婚の女性アシスタントに「子供のできやすい体位とは……」と解説していました。結局はいつものようにダジャレでオトすのですが(残念ながらオチは失念)本気にしたアシスタントが真面目に聞いてしまい、昼間の番組ということもあり伊集院光が慌てて「医学用語だからね、あくまでも医学用語」とフォローに入ったこともありました。昼間のラジオなのにド下ネタを連発して、「深夜の馬鹿力」では「大陰唇」を連呼したりする伊集院光さえも困らせるのですから、恐るべしケーシー高峰。
そんなドクター・ケーシーは80歳を過ぎてもなお、報道ステーションで寒波の襲来する雪深い山形ロケに出演したことがあります(放送当時83歳で、85歳没)。中継をつなぐと氷点下7度ということで、トレードマークの白衣に聴診器という恰好のうえからダウンジャケットを羽織っているものの、いかにも寒そう。スタジオのアナウンサーたちも、ずいぶんな高齢なのに大丈夫かなと心配そうに見守っています。しかし、
「もう寒くて排尿できないの。おしっこが出ない」
と言って同情を誘ったあと、
「……これをシッコー猶予という」
と相変わらずのダジャレをかますのでした。当時の様子を紹介した記事によると、その後も放送ギリギリ(アウト?)の下ネタも含め、とにかく笑いを取りに行っていたそうです。報ステなのに。寒波が押し寄せ、雪の降りしきる山形の屋外。そんな過酷な環境で、報道番組だということを無視してバンバン下ネタを飛ばし、若手芸人のように笑いに貪欲な姿勢を見せる後期高齢者。もはや笑っていいのかどうかすらわかりませんが、そんなブラックジョーク的要素も含めて、恐らくはドクターの計算のうちなのでしょう。
そんなケーシー高峰の笑いへの貪欲さを示すエピソードを最後にひとつ紹介しておきましょう。これも最晩年、もうテレビ出演はNHKの新春寄席ぐらいになっていた時期のことですが、生放送本番でリハーサルとは全然違うド下ネタをやって、孫ぐらい歳の離れたスタッフから舞台裏で叱られていたんだとか。このことは爆笑問題がラジオで証言しています。僕の記憶では、医事漫談というよりはコントのような設定で、患者役の橋本マナミが、
「ドクターは山形のご出身なんですよね。わたしも山形なんです」
と話を振ると、医者役のケーシーが、
「あんたのオッパイは山型(山形)だけど、俺はアッチのほうがでっかいどう(北海道)!」
と応じるという、どうしようもない下ネタを見たおぼえがあります。救いようがない。上にリンクを貼った爆笑問題の証言ニュース記事も、橋本マナミのブログも2017年のものなので、若いスタッフに叱られたというのはこのときのコントが原因とみてまず間違いなさそうです。ちなみにケーシーは2019年に亡くなっているので、この番組出演はおよそ死の2年前。そんなご老人が、NHKの新春寄席というお屠蘇気分で見るような番組に出てやるネタとは思えません。NHKサイドがこんなお下劣なネタに事前OKを出すともとうてい考えられませんし、これこそがケーシー高峰一世一代のアドリブだったのではないでしょうか。一世一代のアドリブでよりにもよってこんなしょうもないギャグを、しかも80過ぎにもなって披露するのもどうかと思いますが。
そんなケーシーが世を去って2年が経ちます。折しも世はSARS-CoV-2ウイルスによる恐るべき感染症COVID-19のパンデミックが1年以上続き、PCR検査に入院患者の治療にワクチン接種にと、医療従事者は休む間もなく激務と戦い、疲弊しきっている状況です。そしてそんなさなか強行されることになったオリンピック・パラリンピックをはじめ、人災ともいえる各国首脳の対応のまずさも目立ちます。
笑点という国民的番組で原発事故を漫談のマクラにし、舌癌の治療で喋れなくなっても黒板を武器に漫談を成立させた異能の医事漫談家・ケーシー高峰。もし存命だったら今の状況をどう料理したのでしょうか。しかし今はただ彼を偲ぶことしかできません。グラッチェ、ドクター。グラシアス、アミーゴ!

改めて、鬱のこと(ここから先は読まなくていいです)

いつまで経っても鬱が治りません。この状態が何という病気なのかもよくわからない。ハローワークに出した診断書には便宜上「うつ病」と書いてもらいましたが、実態はよくわかっていないのです。鬱病なのか、適応障害なのか、「うつ状態」なのか、双極性障害なのか、それともまた別の病気なのか(あるいは病気ですらなくて、ただのマイナス思考と怠け癖に過ぎないのか)。そこで前にも少し書いたことがあるのですが、改めて自分の頭を整理するために、これまでの経緯を書き出してみることにしました。完全に自分だけのためなので、読まなくてかまいません。

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