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「サスティナブルの実践は闘争」なのかもしれない。


#業界あるある

猫も杓子もSDGs


今やあらゆる商品やサービスの枕詞になった「サスティナブル」
「サスティナブルを語らざるは人にあらず」と言わんばかりだ。

「竹の、箸だけ」を作るヤマチクにも、たくさんのお問い合わせを頂いている。
製造背景に関心を持ってくださるお客様も増え、本当にありがたい。


その一方で、「ん?」というお問い合わせも少なくない。

SDGsを掲げている割には、めちゃくちゃ値下げ要求してくる方。

輸入品の価格をベースに予算を組まれる方。

「サスティナブルなオリジナル商品を委託販売で」と全くリスクを取らない方。

正直辟易としている。
それでも丁寧に、「なぜこの値段なのか」「どういう作り方をしているか」など、製造背景をしっかり伝える。
メールを書きながら、ある言葉がふと頭に浮かんできた。

これもまた「闘争」かもしれない。


法の理念は正義であり 法の目的は平和である
だが 法の実践は 社会悪と たたかう 闘争である 

民法学者 末川 博

母校である立命館大学の総長だった末川 博 の名言。
学部棟に名言碑があったので、妙に印象に残っていた。
(今でもあるのだろうか?)

「法」を「サスティナブル」に変換しても、成立するような気がした。

「サスティナブル」の理念は正義であり 「サスティナブル」の目的は平和である 
だが 「サスティナブル」の実践は 社会悪と たたかう 闘争である 

妙にしっくりしした。
今のこのメールもまた、「闘争」なのかもしれない。

「一番大切なもの」が抜け落ちたサスティナブル案件


生長の早い竹。現在サスティナブルな資源として世界から注目されている。
以前、切子さん(お箸の材料である竹切る職人さん)を手伝ったことがある。
大きな竹を切り、山から運び出すのは本当に重労働だ。

竹は想像よりデカい

「大変な仕事ですね」そういう私にこの切子さんはこういった。

「世の中が回るためには、損する人も必要やけん」

竹取の翁、御年76歳

本当にショックだった。
自分たちの仕事は彼らの我慢の上に成り立っていた。

「竹はサスティナブル」
でも、そこに関わる人達も営みは全然サスティナブルじゃない。

一般的にヤマチクにくる「サスティナブル」案件のほとんどは、
「資源が枯渇しない」「安定供給できる」「放置竹林が社会問題」という、
材料視点ばかり。
もちろん大事なことだし、間違ってはいない。
でも、その竹も人が切っているのだ。

「ファンタジア」のほうきのように、竹が自分で歩いてきてくれたらどんなに楽だろう。

材料供給の理想像


一番大切なのは「関わる人達の営み」が続くかどうか。
そのためのお取り組み条件にしなければならない。

そんなことを、根気強くメールにしたためている。
今回はちゃんとご理解いただけるだろうか。

いや、弱気になってわいけない。
「サスティナブルなお箸作り」の実現のために。
これが私の仕事であり、使命なのだから。


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