福島県三春町での暮らしや季節の行事、風景など ゆるやかで心地よい時間の流れを 「三春タイムズ」と題して追っていきます。 題字をはじめ、毎回文章に合わせて 素描家shunshunが絵を描き下ろしてくれます。 更新は二十四節気の変わり目に沿って 一年で二十四のお話を綴っていきます。 文・長谷川ちえ 絵・shunshun
こよみを意識して生活するようになってから数年が経つ。それは三春で暮らし始めた時期とも重なっている。冬至が過ぎると徐々に陽が延び始め、小寒の寒の入りになったと思えば、最低気温が氷点下の日が続き、そして寒さが最も厳しい大寒を迎える。その年ごとに異常気象や気候変動による影響はあるものの、こよみと季節の移ろいは、不思議と足並みが揃ってハッとすることが度々ある。新年についても新暦のカレンダーを横目で見つつ、旧正月の方に重きを置くと、以前よりも「師走だから」とか「新年を迎えるにあたり」
東京でひとり暮らしをしていた頃、今からもう10年以上前になるだろうか。掃除道具を掃除機から箒へと切り替えた。そうするための何かが特にあったわけでもない。あるといえば当時の引っ越しがきっかけだったかもしれないが、それが決定的な理由でもなかった。あえて言うなら「身軽でありたい」ただそれだけのことだったように思う。そういえばその頃から掃除機だけではなく、テレビや電子レンジも家に置くのをやめてしまった。当時はまだ実家では電気店を営んでいたので、父からは 「家にテレビも電子レンジも無
カサッ、クシュッ、カサッカサッ、クシュッ。 カラッカラッに乾いた落ち葉を踏む音が耳に心地好い。親しくさせて頂いているご近所のKさんの森へ出かけた冬の日のこと。ケヤキや桜、朴木などの広葉樹はどれも葉を落とし、地面には枯葉が何層にも積み重なって、歩くごとにフカフカとした感覚も音と相まって気持ちがいい。意識とは関係のないところで身体が勝手に喜んでいるようだ。見上げれば背の高い木々の枝先が、細いペンでくっきりと線を描いたようによく見える。その背景には澄み切った青空。森の匂いや鳥の
陽が暮れるのが日に日に早くなっている。午後を過ぎてin-kyoの白い壁に、冬のやわらかな光が届いたと思ったのも束の間、スッとその姿を消してしまう。まるでその日の最後の挨拶を済ませて、そそくさと帰ってしまうみたいだ。こちらは挨拶を返せぬまま、ポツンと置いてきぼりにされたような気分で意味もなく寂しくなる。 夕暮れの余韻は短く、まさにつるべ落とし。夕方も5時を過ぎれば辺りは真っ暗になり、急ぐ用事があるわけでもないというのに、暗くなってしまったし、寒いしというだけで、なぜか早く家
東京でお店を構えていた頃から今も、なぜか食べ物をよくいただく。それは甘いお菓子やパンのこともあれば、お惣菜ということも。祖母譲りの食いしん坊が顔にでも書いてあるのだろうか? 三春では季節の野菜や果物も多く、しっとりとした畑の土をつけた採れたてのものだったり、スーパーではなかなか出回ることのない土地ならではのものだったり。初めて出会ったサツマイモの茎は、簡単に調理できるようにと下茹でまでした状態でいただいた。シャキシャキの食感が蕗に似ているけれど、苦味がないのできんぴらや焚
朝の開店準備は、まずは入口のドアを開け放ち、箒で店内の掃き掃除を始める。ヒヤッとするような冷たい空気は、身が引き締まるようで気持ちいいなどと言っていられるのも今のうち。掃除をする間、ドアを開けたままにするほんの数十分ですら躊躇するような寒さは、もういつやって来てもおかしくはない。今年は寒さが厳しくなるのだろうか、それとも暖冬か。雪はどうだろうと冬の天気予報をこれほど気にするようになったのは、三春で暮らすようになってからかもしれない。 祖母が健在だった頃は、雨が降ろうが寒
「あぁお腹が空いた」と、時計を見るともうすぐお昼。私の腹時計はだいたい正確にできている。切りのいいところで仕事の手を止め、お湯を沸かしお弁当を広げる準備をする。in-kyoの大きなウィンドウの向こうに目をやると、12時のバスを待つ人たちが停留所前のベンチに座っている姿が見える。この時間帯は行き先の違う町営のバスが2台続く。スーパーでのお買い物の帰りだろうか、それともこれから病院へでも行くのだろうか。 バスを利用する人はご年配の方が多く、待つ人どうしでおしゃべりをしているその
カラリと乾いた風が心地良い秋晴れの日が続いている。日中は汗ばむような陽気でも、金木犀のむせ返すような甘い香りはいつの間にか薄らいで、朝晩のひんやりとする空気が秋の深まりを教えてくれる。そして木々の葉は、まるで間違い探しで私を試すかのように、日毎に少しずつ色づいて見せるのだ。 田んぼの稲穂は見事なまでの黄金色。緑の頃ももちろん美しいけれど、真夏のあの暑さや長雨、台風をも潜り抜け、何事もなかったかのようにしなやかに風に揺られて輝く姿には、やはり心打たれるほどの美しさがある。
お隣りのお宅の庭にニラの花が咲き始めた。白くて可憐な花。朝、出がけに見かけて、そのかわいらしさにホッと和まされたのも束の間、草刈りをされたのだろうか。翌朝にはきれいさっぱり姿を消し、草刈り後の草の匂いに混じって香る、かすかなニラの匂いだけがそこにいたという存在を感じさせてくれるのだった。なんだかそのこと自体が短い秋を象徴するかのような出来事だった。 祖母が生前、まだ元気で自宅の庭の片隅で畑をやっていた頃、そこに自生していたのか植えたのかは今となってはわからないけれど、
自宅の敷地内には古い井戸がある。この辺りの水はその昔、三春城下の名水のひとつに数えられていたそうで、今もその石碑は名残の石碑はあるものの、飲用としては使えなくなっている。現在は水道水へと切り替えられているが、ご近所の方に伺うと数十年前までは一帯は井戸水を使っているご家庭がほとんどだったようだ。 我が家の井戸は、ポンプが壊れて使われなくなったまま、おそらく何十年も経ってしまったのだろう。井戸を覗きこむと、底の方にはまだ少し水が溜まっているので、枯れ井戸ではないと夫は言う。ポ
お盆が近づくと、in-kyoの二軒隣にある花屋「まるおん」さんの店先にはお供え用の花が束となってズラリと並ぶ。お寺が多い三春町。お盆以外の時期でもきれいに整えられた墓地が多く、お花がお供えされていたりする。「まるおん」さんの冷蔵ケースに通年のように扱われている1〜2輪の白い紫陽花。聞いたことはないのだけれど、故人のためにどなたかがいつも買い求めるからなのだろうかと勝手に想像している。そうだとしたらなんて素敵なことだろう。「白い紫陽花が大好きだった人」そのことが故人の記憶とし
朝からジリジリと強い陽射しが照りつける。気づけば家の軒下や木戸には、セミの抜け殻があちこちにしがみついている。いつだったか、セミの羽化を自宅の庭先で見たことがある。子供の頃はテレビや図鑑でしか見たことがなかったというのに、生まれて何十年も経って三春のこの土地に来て、初めて目にするとは思いもしなかった。 その日は朝、仕事へ行くために表へ出ると、玄関先でまさに羽化が始まるところだった。白緑(はくりょく)と言ったら良いのか、白みを帯びた淡く美しい緑色をした羽のセミが、地上の日の
今年に入って、以前から興味のあったアロマテラピーを学ぶために、月に一度いわき市にお住いの先生のご自宅まで通っている。私が車の運転をしないものだから、はじめの1~2回は夫が用事を兼ねて送ってくれたものの、それもなんだか気が引けて列車で通うことにした。 三春駅からいわき駅までは本数は限られるけれど、磐越東線の直通運転の列車に乗れば約1時間半で行くことができる。私が乗る時間に通学で使っている学生は、田村高校へ通っているようで三春駅で皆降りる。入れ違いに乗り込んだ車内は大抵ガラン
お昼を過ぎ、陽が傾きかけたといっても外はまだ明るい。in-kyoのカウンターに座って作業をしていると、入口のガラス扉から下校途中の小学生の姿がちょうど見える。まだまだランドセルの方が大きいように感じられる低学年の子もいれば、私と身長がさほど変わらないんじゃないかなと思う高学年の子もいる。子どもたちの溌剌とした声や楽しそうな姿にはいつも元気をもらっている。ついこの間入学したばかりだと思っていた近所の女の子が、いつの間にか6年生になったと聞いて驚く。私は子どもがいないものだから
まだ梅雨入り前だというのに、天気予報は雨マークが続いている。と言っても、1日中雨が降るわけでもなく、夏空のような晴れ間が広がっていたかと思えば雷が鳴り出して突然の豪雨。と、空の様子はくるくると忙しない。そんな天気に歩調を合わせるかのように、雑草たちはぐんぐんと勢いを増して成長している。「つい先週草刈りをしたばかりなのに」なんて私の独り言など夕立の音に簡単にかき消され、雑草たちはまたその隙に庭を覆い尽くしてしまうのだ。私と雑草たちとのイタチごっこをよそに、秋に蒔いた草花の種も
今年も梅農家を営む知人に梅干し用の南高梅を注文した。梅が届いたらすぐさま大きなザルに広げて黄色くなるまで追熟を待つ。数日経つと、青梅は次第に色づき、ポッと頬を染めたように赤みを帯びてくるものもある。そうなってくると、部屋中が甘酸っぱいような、なんとも言えない芳しい香りに包まれていく。 梅干を漬け始めるようになったのはいつ頃からだろう?震災があった年は途切れてしまったけれど、それを除けば10年以上は続けている。食べたいから作っているのはもちろんだが、梅しごとの作業自