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【劇評237】勘三郎が演じていない役を、勘三郎のように演じてみせる勘九郎。七世芝翫十年祭の『お江戸みやげ』。

 懐かしい演目が歌舞伎座にあがった。

 北條秀司の『お江戸みやげ』は、十七代目勘三郎のお辻、十四代目の守田勘弥のおゆうによって、昭和三〇年十二月、明治座で初演されている。もとより私はこの舞台を年代的に観ていないが、先代の芝翫が、六代目富十郎と組んだ平成一三年、歌舞伎座の舞台を観ている。

 吝嗇で金勘定ばかりしているお辻が、酒を呑むうちに気が大きくなり、ついには役者を茶屋によぶにまで至る話は、大人のファンタジーとして楽しむ芝居だと思った。

 先代芝翫には、明治、大正、昭和初期を彷彿とさせる古風な味があった。風貌ばかりではなく、身体がまとった雰囲気は、勉強して学べるような性質のものではない。
 十代目三津五郎が、鴈治郎と、平成二十三年に新脚演舞場で上演した舞台は、北條作の作り込んだ人間の喜怒哀楽に眼目を置いていた。

 今回の上演は、七世芝翫十年祭を掲げている。冒頭、常磐津文字福役で、先代の長男、福助の元気な姿が見られた。少しふっくらして、ふくよか。豊後節の女師匠の風情が匂うのはさすがだ。
 
 当代の芝翫が、このひたむきで滑稽なお辻に挑む。本来、立役、しかも力感のある役が得意な役者だが、小手先の芝居に走らず、おおらかに演じて新しい境地を開いている。

 相手役のおゆうを演じる勘九郎がまた適役である。
 資料を調べると、十八代目勘三郎はこの役を手がけていないが、口跡のおもしろさ、情味があふれだすあたり、父十八代目が演じたら、こうなるだろうとさえ思わせる。勘九郎は、もともと身体や声の特徴が、十八代目と似ているが、この頃は、「似ている」のではなく「生きている」と思わせるだけの領域に達している。


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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。