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日本の発見2

『Le Japon』の挿絵の続きです。

Le Japon 1883年(明治16年)日本の学校

明治5年、国民の初等教育の充実を第一の急務と考えていた政府は学制を発布し、学校教育が始まりました。学制はフランスの制度をモデルとし、各学区を作り各学区に小学校を1校設立することに決めました。

筆者の住む山形県を例に挙げてみますと学制が発布する1年前の明治4年に米沢県庁より「学制改革の達」が出されます。どういった内容かというと士族の師弟のみを対象としていた藩校から「四民一途」の理念に従い身分職業の差別無く学制を「人材教育」の制度とし、教科も皇学(日本の文字で書いた本で学ぶ)、洋学(西洋の文字書いた本で学ぶ)、医学、筆学、数学の五科とすると決めました。

東北諸藩は戊辰戦争に敗れ疲弊していました。人々は後退した地域をどうにかして新しく再生・新生させ、新しい世の中を平等で豊かな生活と文化を望む気持ちが強く、そのためには優れた人材を多く養成する必要があったというわけです。

本資料に戻ると学制が発布された当初は寺子屋の延長で学校は寺院や民家を借用していましたが、本資料が書かれた明治16年には各地に小学校が作られていたはずので、その様子と考えていいと思います。居眠りをしている生徒がいるなど今と変わらない風景が微笑ましいです。


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